首相の指導力が制約された新型コロナ感染症対応:「危機の1年」を振り返る

政治・外交 医療・健康

新型コロナウイルス感染症の感染拡大による「日本社会の危機」は、紆余曲折を経ながら丸1年以上に及んでいる。筆者は、感染症対策の策定・実施するこれまでの政治過程を振り返り、首相の指導力が権制約された構造の中で、安倍・菅両政権と知事との間にしばしば意見の食い違いがあった、と指摘する。

「私としては、国民の皆さんの命と暮らしを守るために、2週間程度の延長が必要ではないか、このように考えております」。菅義偉首相は3月3日夕方、首相官邸で記者団にこう語り、3月7日に期限を迎える緊急事態宣言を再延長する意向を示した。

本稿では2020年1月にコロナ危機が発生してから、再発令した緊急事態宣言を再延長するまでの期間における安倍晋三政権と菅政権および地方公共団体のコロナ危機への対応過程について説明する。この過程の特徴の一つは、首相の指導力が制約された上、両政権と知事の間で対応をめぐりしばしば齟齬(そご)が生まれたことである。

まず、安倍・菅両政権や地方公共団体のコロナ対応過程を理解する視角を提示する。次いで、2019年12月に中国・武漢市で原因不明の肺炎発症が報じられてから21年2月までの政治過程を概観する。その上で、コロナ危機の対応で首相の指導力がいかに制約されたかについて説明する。最後にこの政治過程が日本の権力構造にとって持つ意味を論じる。

対策実施の「主役」は知事、保健所

新型コロナウイルス感染症対応に関係する政治アクターは、国のレベルでは内閣、首相、官房長官、感染症対策担当相、厚生労働相と首相官邸周辺の官僚である。また政府対策本部の下に置かれた専門家会議や、その後、専門家会議に代わって置かれた「対策分科会」も重要である。地方公共団体に関係する政治アクターとして都道府県知事と保健所がある。

コロナ危機に対応する上で国レベルのアクターの権限は必ずしも大きいものではない。感染症法の下で、内閣はこの感染症を指定感染症に指定する権限を持っていた(その後、本年2月に感染症法が改正され、新型コロナウイルス感染症は感染症法の対象となる感染症として位置付けられた)。また「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特別措置法」)の下では、また、内閣や厚労相は新型コロナウイルス感染症に対応するための基本的な方針を策定する。また首相は緊急事態宣言を発令する権限を持つ。専門家会議や分科会は政府の感染症対策の内容に影響力を及ぼしてきた。

多くの具体的な感染症対策の実施にあたったのは、都道府県知事や保健所である。感染症法のもとで、知事が医療提供体制を整備する。また知事は感染者への入院勧告、感染症の発生状況の調査、検査実施の要請、感染が疑われる者への健康診断受診要請、休業要請などさまざまな感染防止策を実施する。休業要請以外の対策は、保健所を活用して行うことが想定されている。また、保健所を設置している市や特別区においては、その市長や特別区長が保健所を指揮して休業要請以外の対策を行う。

制限された国の権限

新型コロナウイルス感染症への対応過程を理解する上で重要なのは国と知事、市長・区長は相互に自立しているということである。「特別措置法」の下では、首相は基本的対処方針に基づいて知事や各省庁が実施する政策を調整する権限を保持しており、この権限に基づいて知事に指示を行う余地はある。また、感染症法の下では、厚生労働大臣は知事や保健所設置市および特別区の市長・区長に指示することが認められている。しかし、実際にこの権限を行使することは難しい。

「特別措置法」の場合には、調整が認められる条件について首相と知事の解釈が異なる可能性がある。また首相や厚労相は、指示に従わせるための実効的な手段を持っていない。

結論として、首相が新型コロナ対策で新たな政策を打ち出す方針を決めても、実施・立案する権限を知事あるいは保健所を設置する市や特別区が保持する場合、その実現は知事や市長の判断次第になってしまう。同様に知事が市長・区長が権限を有する分野について市長・区長を指揮することも難しい。

コロナ危機対応の中央と地方の間の権限関係

感染対策

  できること できないこと
  • 指定感染症
  • 感染症対策の方針
  • 緊急事態宣言
  • 予算措置
  • 知事・保健所の指揮
  • 検査の直接実施
知事
  • 就業制限
  • 時短要請(21年2月特措法改正で命令可能に)
  • 休業要請(特措法改正で命令可能に)
  • 要請に応じない場合の公表
  • 保健所の指揮
  • 検査の直接実施
  • 休業の強制(特措法改正で行政罰は可能に)
保健所を設置する市長・区長(知事:知事直轄の保健所の管轄地域に対して)
  • 感染症対策の協力要請
  • 検査(拒否の際の罰則なし)
  • 強制入院
  • 疫学調査
  • 強制検査
  • 宿泊療養施設への強制入所

医療体制面

  できること できないこと
  • 目標病床数の設定
  • 予算措置
  • 診療報酬
  • 知事の指揮
  • 直接病床を用意すること(自衛隊病院など一部は可能)
知事
  • 病床確保
  • 臨時医療施設
  • 宿泊療養施設
  • 直接病床を用意することは微妙(都道府県立病院を活用する余地はある)

(筆者作成)

クルーズ船対処と五輪延期で揺れた20年初頭

日本で初めて新型コロナウイルスの感染者が報告されたのは2020年1月15日である。中国・武漢では感染が拡大し、23日から都市封鎖が始まる。28日には初めて武漢に滞在歴のない日本人の感染が確認された。

1月下旬から安倍政権は、武漢とその周辺地域に取り残された日本人を帰国させることに注力する。2月上旬からはクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号での集団感染に対処する。

国内の感染拡大を受け、政府は2月下旬に感染対策を次々と打ち出す。安倍政権は「感染症対策の基本方針」を策定し、安倍首相が大規模イベントの自粛や小中学校・高校の一斉休校を呼びかけた。3月9日には中国と韓国全土からの入国を制限し、同13日には新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正する法案が成立した。同24日には、安倍首相は国際オリンピック委員会(IOC)と東京五輪・パラリンピックの1年延期で合意した。

20年4月に初の緊急事態宣言

一連の対策が功を奏し、感染拡大のペースは3月中旬に低下し、政府や専門家会議の対処姿勢も以前よりは厳しいものではなくなる。姿勢の変化も背景に国内で人の流れが活発化する。一方、欧州では2月下旬以降、感染拡大が顕著になっていた。しかし、水際対策が遅れたため、人の動きが盛んになったことと相まって、欧州からの帰国者が持ち帰ったウイルスが拡散し(※1)、。 3月下旬から日本国内での感染が急拡大する。緊急事態宣言を求める声が強まっていく。

医療状況が逼迫したため、4月7日に安倍首相が緊急事態宣言を発令、16日に対象地域を全国に拡大した。その後、感染者は徐々に減り、医療状況も改善したため、同宣言は5月25日に全面解除となる。 

6月上旬に始まった「第二波」では、政府は緊急事態宣言を発令せず、感染拡大の抑制策を都道府県に委ね、この波を乗り切る。この間に安倍首相の体調が悪化し、8月28日に退陣を表明した。

9月16日に就任した菅首相は経済活性化を重視し、「Go To トラベル」事業推進を柱に据える。この事業は東京都を除いて7月22日から始まっており、菅政権は10月1日から都を対象に加えた。

トラベル事業継続で感染急拡大

ところが、10月中旬から感染拡大の「第三波」が始まり、トラベル事業への批判が強まる。11月中旬には一部の都道府県で医療体制が逼迫し、分科会は20日以降、何度も事業の見直しを提言する。しかし、菅首相は札幌市や大阪市を対象から除外することなどを決めたものの全面中止には消極的だった。

12月12日実施の毎日新聞の調査で、内閣支持率が40%、不支持率が49%を記録し、回答者の67%がトラベル事業を「中止すべき」という考えを示すと、首相は12月28日からの全面停止を決める。その後も感染は拡大し、東京都で12月31日には1日の感染者数が1300人以上を記録した。

感染の拡大を踏まえ、1月2日に東京都の小池百合子知事は、神奈川県の黒岩祐治知事、千葉県の森田健作知事、埼玉県の大野元裕知事とともに菅政権に緊急事態宣言の発令を求める。この要請を受け、菅首相は同月7日、この4都県に緊急事態宣言を再び発令する。13日には対象地域を大阪府、京都府、兵庫県などにも拡大した。

その後、首都圏4都県以外の大阪府などの地域においては陽性者が減り、医療体制への負担も減少したため、菅首相は2月26日、28日の前倒し解除を決定する。しかし、首都圏4都県の一部では医療状況が改善しなかったため、4都県の知事は再延長の要請の検討を始める。このことが報じられた翌日の3日に首相は再延長の意向を示した。

なお、この間、2月3日に「特別措置法」等改正法案が成立し、都道府県知事が事業者に営業時間の変更や休業を命令することが可能となり、違反者に罰則を科すことができるようになった。

指示に動いてくれなかった知事

コロナ危機をめぐる政策決定過程の特徴は、首相の指導力が制約され、安倍・菅両政権がしばしば企図した形で政策を実現できなかったことである。その要因の一つはすでに紹介した国と地方公共団体の間の権限関係にある。

安倍首相が20年4月に緊急事態宣言を発令した際、課題となったのは感染対策の内容であった。政府は3月28日に策定済みの「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を4月7日に改定し、対応を定めた。

安倍首相は感染抑止のため、「最低7割、極力8割程度の接触機会の低減」の実現を目標として掲げていた。この実現に向け、当初は国民に外出自粛を要請し、2週間ほど様子を見てから休業要請の実施を検討することを考えていた。しかし、実際にはこのような感染抑制策は行われなかった。宣言対象地域の知事が別の形で抑制策を実施したからである。

緊急事態宣言後、東京都の小池百合子知事は事業者への広範な休業要請、飲食店の営業時間短縮要請の実施を考えていた。政府と都の折衝の結果、小池知事は4月10日にほぼ自らが考えた通りの形で対策を実行に移し、他の府県もほぼ都の対策にならう形で休業要請や営業時間短縮要請を行った。

これは「特別措置法」の構造からすると自然の帰結であった。この法律は感染対策を決める権限を都道府県知事に与えているからである。

また、6月に始まった「第二波」でも、安倍首相は望んだ形で感染対策を実施できなかった。政府は、繁華街にある接待を伴う飲食店を対象に、従業員の集中的な感染検査を行おうとした。専門家は3月ごろから、この形態の飲食店を介した感染が多いことを指摘していた。

東京都新宿区は6月上旬、同区歌舞伎町の事業者の協力を得て、飲食店の利用客を含めた集中検査を実施する。豊島区もこれ続き、7月上旬には西村担当大臣は全国で集中的に行政検査を行う方針を示した。しかし、同様の検査実施は広がりを欠いた。実施に向けた権限は保健所にあり、協力を得られなければ国がこうした政策を展開することは難しい。

「第三波」でも、菅首相は東京都における感染対策を思うような形では進めることができなかった。11月に感染拡大が進むと、政府は飲食店の営業時間短縮要請をするよう求めた。当初、都は難色を示し、ようやく同月28日に22時までの営業時間短縮要請を実施した。12月に入って、国は20時までの「時短要請」が必要だと対策強化を求めたが、東京都は感染が拡大していたにもかかわらず、応じなかった。

確かに、菅政権の要請は自らが展開する政策と矛盾していた。国が進めているトラベル事業は続け、事業の全面停止は12月28日以降であったからである。ただ、この事例を見ても、政府に権限がない分野では首相が望む形で感染対策を実現できないことが見てとれる。

「危機」対処へ、権限配分の見直し必要

1990年代以降、選挙制度改革、省庁再編、公務員制度改革などが行われ、首相の指導力は強化された。しかし、新型コロナ感染症対策をめぐる政治過程は、中央と地方の間の権限配分のあり方のために、「危機」に対処する首相の指導力が制約される一因となっていることを示している。今後、保健所設置市・特別区の保健所への指揮権やその帰属を含め、国と地方公共団体の権限配分を見直すべきである。

バナー写真:前年1月と比べた昼間の人出の増減状況について表示するJR品川駅自由通路の電子看板(デジタルサイネージ)=2021年2月22日東京都港区(時事)

(※1) ^ 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」2020年4月22日、6。国立感染症研究所「新型コロナウィルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査」2020年4月27日。

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