東京五輪の課題

「ワクチン優先接種」に見え隠れするIOCの特権意識:東京五輪の課題(10)

スポーツ 東京2020 国際

東京五輪・パラリンピックに参加する各国・地域の選手団に対する新型コロナウイルスのワクチン接種について、国際オリンピック委員会(IOC)が米製薬大手ファイザー社から無償提供を受けることで同社と合意した。接種が確実に進めば、大会中の感染リスクは軽減されるだろう。しかし、国民の大半が接種を受けていない中で、五輪選手だけが優先されることに疑問を投げ掛ける声も聞こえる。選手を隔離し、無観客も想定される「閉ざされた五輪」。その特権的扱いは、世の中の意識との溝をますます広げるばかりだ。

「地域社会の人々との連帯」に違和感

国内の緊急事態宣言延長が議論される中、IOCが今夏の五輪開催に向けて、ワクチンを確保したというニュースが流れたのは6日夜のことだ。

5月下旬から7月23日の五輪開幕までに選手らが2回の接種を受けることを目指すという。対象となる日本選手団について、丸川珠代五輪担当相は「選手が1000人程度、監督、コーチが1500人程度になる」と説明した。外国選手団の対象規模はまだ明確になっていないが、日本到着前に接種する可能性が高い。

IOCのトーマス・バッハ会長は「今回のワクチン提供は、東京大会を全ての参加者にとって安心で安全なものにしてくれる。ワクチン接種により、個人の健康にとってだけでなく、地域社会の人々との連帯と健康への配慮が重要だという力強いメッセージを送ることができる」とコメントを発表した。

ワクチン接種で選手たちの安全が確保されるのは結構なことだ。しかし、「地域社会の人々との連帯」というのは、違和感のある表現だろう。IOCは日本国内の開催支持率がいっこうに上がらないことに危機感を抱いている。今後も感染者数が減少せず、五輪開催に対する世論の批判が高まれば、大会を開くことは難しくなると踏んでいるのではないか。

五輪の運営側と国民感覚とのずれは大きく、医療体制が逼迫(ひっぱく)する中、組織委員会が大会に向けて看護師500人、医師200人の派遣を求めていることにも批判が高まっている。五輪開催といえば、何でも優先的な扱いを受けられるような社会状況ではない。

競技者の側には、一般の国民より先にワクチン接種を受けることにためらいもあるようだ。9日に東京・国立競技場で開かれた陸上のテスト大会に出場した女子長距離の新谷仁美は「アスリートだけが特別という形で聞こえてしまっているのが非常に残念です。どの命に対しても大きいや小さいはない。アスリート、五輪選手だけがというのは私としてはおかしな話だなと思う」と話した。

「アスリート・ファースト(選手第一主義)」という考え方も、ワクチンの優先接種に結びつければ曲解される可能性がある。不自由な制限を強いられる日常生活の中、やり場のない不満の矛先がアスリートへ向かい始めているのも恐ろしいことだ。

白血病から復帰し、東京五輪代表に決まった競泳の池江璃花子は、自身のSNS(ネット交流サービス)に五輪出場辞退を要求する意見が寄せられていることを明らかにした。池江は「オリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています」とした上で「私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません」などとツイッターに書き込んだ。東京五輪開催のシンボル的存在であるだけに、賛否両論、SNS上での議論が過熱している。

オリンピックは誰のもの?

IOCは206カ国・地域が加盟する巨大な国際スポーツ組織だ。加盟国数では国連を上回るが、あくまでも一民間団体の非政府組織に過ぎない。コロナ禍の中、基本的に新型コロナワクチンは製薬会社と国家が契約を結び、国単位で提供されているケースが多い。その枠組みを越えてIOCが業者から無償提供を受けるのは特例中の特例といえる。

菅義偉首相が4月中旬に訪米した際、電話会談したファイザー社のアルバート・ブーラ最高経営責任者(CEO)から「各国の選手団にワクチンを供与したいという申し出があった」という。だが、インドのように連日、数千人規模の死者が相次ぐような国もある。まだまだ世界的な感染拡大が続く中で、五輪はワクチンの無償提供を受けるほど優先される特別な大会なのだろうか。

英国のジャーナリスト、アンドリュー・ジェニングス氏は、著書『オリンピックの汚れた貴族』(野川春夫監訳、サイエンティスト社、1998年)の第1章「オリンピックは誰のもの?」の中で、次のように記している。

「オリンピックは皆のものだと思っていた読者も少なからずいるだろうが、残念ながらそれは間違いである。オリンピックは彼らの独占的所有物なのである」

「彼ら」というのは、特権意識を持つIOC委員たちを指している。この一節を裏付けるように、五輪憲章には「オリンピック競技大会はIOC の独占的な資産であり、IOC はオリンピック競技大会に関するすべての権利を所有する」と記されている。IOCが東京都や日本オリンピック委員会(JOC)と結んだ開催都市契約にも「すべての権利は独占的にIOCに帰属する」とし、大会を中止できる権利を持つのはIOCであると書かれている。

米紙ワシントンポストは、バッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と評し、「開催国を食い物にする悪癖がある」などと非難する記事を掲載した。変異株が急拡大し、開催可否が国内外で議論される中で、日本側にリスクを押しつけているという指摘だ。

IOCは、米放送大手NBCユニバーサルとの放映権契約を2014年ソチ冬季五輪から32年夏季五輪まで総額120億3000万ドルで結んでいる。日本円にすれば1兆3000億円にも及ぶ巨額契約で、これがIOCの財政を支えている。しかし、もし大会が中止になれば、返金や損失の可能性が出てくる。IOCが日本の現状を直視せず、何としても大会を開催すると言い張る背景には、そうした事情もあるのではないか。

バッハ会長は本来、広島での聖火リレーに合わせて17、18日に来日し、五輪は平和のイベントであると宣伝するはずだった。しかし、五輪開催に対する世論の批判は収まらず、緊急事態宣言の延長もあって来日は見送られることになった。

このままでは「閉ざされた五輪」に

7日に開かれた組織委の橋本聖子会長の記者会見では、報道陣から「ワクチン接種を受けられず、困っている高齢者も多い。そんな中、選手たちに優先的に接種するようでは、特権階級だけの五輪になる。五輪のあり方としてこれでいいのか」という質問が飛んだ。

橋本会長は「多くのみなさんにワクチンが接種されていない中、違和感を持つ方がいらっしゃることを理解する」と答えた上で、「選手団の安全が確保されれば、日本国民の安全安心にも寄与する」と強調した。だが、選手のワクチン接種がすぐさま国民の安心につながるとは考えられない。大会の準備は大幅に遅れ、今も懸念材料は山積している。

組織委ではIOCなどとの協議の上、4月末までに国内観客の制限を決める予定だった。しかし、変異株の拡大と緊急事態宣言に伴い、決定は6月まで先送りされた。橋本会長は「ギリギリの判断として無観客も覚悟している」と話しており、その場合は社会から切り離されたような形での開催になる。選手たちも感染対策のため、競技会場と選手村を行き来するだけの「バブル」の中に身を置くことになり、閉ざされた環境での生活を余儀なくされる。

スポーツは社会生活とともにある。多くのトップ選手は、地域や学校のスポーツ環境を土台にさまざまな協力や支援を得て育ってきた。プロスポーツもファンに支えられている。エリートスポーツの頂点にある五輪は、その成り立ちを改めて認識する必要がある。

「安全安心な大会」「コロナに打ち勝った証し」「勇気と希望を」などと何度繰り返しても、五輪が特殊化した存在であっては支持を集めることはできない。五輪は特権階級のものではなく、人類が受け継いできた貴重な文化だ。離れていった人々の心を五輪に取り戻すためには、今こそ社会とのつながりを意識し、世の中の声に寄り添う姿勢を示さなければならない。

バナー写真:東京・国立競技場では9日、東京五輪テスト大会が無観客で開催され、男子100mは、2017年世界選手権金のジャスティン・ガトリン(左から2人目、米国)が10秒24で優勝。多田修平(右から2人目)が100分の2秒差で2位となった=時事

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