米中の「新冷戦」で五輪は再び分断されるのか

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今夏の東京五輪が開催の可否で揺れる中、来年2月に予定される北京冬季五輪をめぐっては、米中対立によるボイコットの火種がくすぶっている。過去を振り返っても、平和の象徴であるはずの五輪は、国際政治によって分断の歴史を刻んできた。これからも五輪は「政治の道具」にされ続けるのか。

米国務省や議会からボイコットの呼び掛け

問題がクローズアップされたのは、4月初旬のことだった。米国政府が中国による新疆ウイグル自治区などへの人権問題を取り上げ、北京冬季五輪のボイコットをちらつかせ始めたからだ。

米国務省の記者会見で、中国による人権侵害を批判するプライス報道官は、同盟国などと一緒に五輪を共同ボイコットする可能性はあるかと問われ、「私たちが議論したいことだ」と述べた。

さらに5月中旬には、米議会下院のペロシ議長が、議会の人権委員会公聴会で「中国で開催されるオリンピックについて、何の問題もないかのように進めることはできない」とし、「外交的ボイコットを」と呼び掛けたのだ。

五輪の式典には各国の首脳が出席する。それを「外交的」にボイコットしようというものだ。選手たちの参加の道を閉ざすようなことはしないという考えのようだが、中国外務省の趙立堅報道官は「人権問題を利用して中国を中傷し、北京冬季五輪の妨害や破壊を企てている」と記者会見で反論した。

五輪のボイコットといえば、1980年モスクワ五輪が思い浮かぶ。この時は日本や韓国、西ドイツなどが米国の呼び掛けに追随した。しかし、西側諸国の中でも英国やフランス、スペイン、イタリア、オーストラリアなどは「参加」を選択し、五輪旗を持って入場行進した。国家としてではなく、各国のオリンピック委員会として独自参加したのは有名な話だ。

逆に4年後のロサンゼルス五輪では、報復として東側諸国がボイコットし、東西冷戦の対立図式がそのまま五輪に投影された。

そんな歴史もあって、モスクワ五輪に参加しなかった米国スポーツ界には、今も苦い教訓が残っているようだ。

米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)のハーシュランド最高経営責任者(CEO)は「ボイコットには反対する」という意思を明確に貫いている。プライス報道官の発言の後には「われわれの選手の夢は、世界の舞台で米国を代表することだ。中国での人権問題を見過ごすべきではないが、政府は(五輪のボイコット以外に)多くの対応策を持っており、選手を政治の駆け引きに使うべきではない」と述べ、毅然とした態度を示した。

米議会に対しては、モスクワ五輪の例を取り上げ、「選手の払った犠牲は外交の利益をもたらさなかった。五輪を政治の手段に利用するのは誤りだったことを示した」との書簡を送りつけた。

ソ連のアフガニスタン侵攻を問題視し、モスクワ五輪のボイコットを呼び掛けたのは、当時のカーター米大統領だった。現在のバイデン大統領もカーター氏と同じ民主党だ。

バイデン大統領は中国との対決姿勢を明確にしており、「新冷戦」とも呼ばれる。菅義偉首相が米国を訪問した際には、台湾海峡の重要性を共同宣言に盛り込んだ。人権問題だけでなく、台湾周辺で何か衝突があれば、米中関係が一気に緊張し、日本にも影響が及ぶ可能性はある。

JOCは主体的に意思を示せるか

米国内でボイコットの意見があることについて、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は、「ニュースとしては聞いたが、(日本の参加)方針は全く変わらない。当然ですね」と話したという。モスクワ五輪で柔道の金メダル候補に挙げられながら、ボイコットの苦汁をなめた山下氏からすれば、不参加などあり得ないという気持ちだろう。

だが、日本ではスポーツ界の政治への依存度が以前にも増して強まっているように見える。山下氏個人の考えではなく、JOCが主体的に明確な意思を示せるかといえば、まだまだ心もとない。

五輪に向けた選手強化のために、国立スポーツ科学センターやナショナルトレーニングセンターができ、国からは各競技が選手強化費のための巨額の補助金を受けてきた。一方で、バブル崩壊、リーマン・ショック、コロナ禍によって民間企業のサポートに頼りにくい時代が続いている。

新型コロナウイルスの感染拡大による東京五輪の1年延期をめぐっても、国際オリンピック委員会(IOC)との交渉の席に山下会長は呼んでもらえなかった。安倍晋三前首相が主導し、バッハ会長との直接交渉で政治的に延期を決めた。まさに「政治主導」の状態が続いている。

来年2月の北京冬季五輪開幕まで8カ月あまり。もし日本政府がボイコットをJOCに迫った場合、スポーツ界は抵抗できるだろうか。モスクワのような事態を招かないよう、スポーツ界が協力し、「防波堤」を一日も早く築いておく必要がある。

国際政治の対立は1964年東京五輪でも

中国に関係する国際情勢をめぐっては、1964年の東京五輪も少なからず影響を受けた。五輪の2年前にインドネシア・ジャカルタで開催されたアジア大会がきっかけだった。

アラブ諸国と宗教的に近く、中国とも親密な関係にあったインドネシアは、この大会にイスラエルと台湾を招待しなかった。イスラエルはアラブ諸国と敵対関係にあり、台湾は中国が国家として認めていなかったからだ。

この問題が浮上した時、日本選手団は既にジャカルタに到着していた。大会を途中で切り上げて帰国する話も持ち上がったが、日本政府から明確な指示はなく、選手団は閉幕までジャカルタに残った。現地入りしていた東京五輪組織委員会の津島寿一会長と、田畑政治事務総長の判断だった。

NHKの大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人にもなった田畑氏の伝記『オリンピックを呼んだ男 田畑政治』(近藤隆夫著、汐文社)によると、田畑氏はジャカルタで津島氏をこう説得したという。

「ここで引き揚げるという選択はすべきではないと思います。非合法の大会を合法化することに全力を傾注することこそ、アジア・スポーツ界の発展につながる日本が取るべき道だと思います。スポーツに政治を介入させたくありません」

国際的に批判を受けるインドネシアでの大会を「非合法」と呼びつつ、田畑氏は政治の対立を超えたスポーツの友好に力を注がなければならない、という決意だったのだろう。

ところが、大会が終わって帰国した2人には思わぬ事態が待っていた。混乱の責任を取らされ、東京五輪の柱となる組織委の会長と事務総長がそろって辞任させられたのだ。その陰では政治家たちが動いていたとされる。

国際スポーツ界も揺れていた。IOCはインドネシアを資格停止処分とし、インドネシアはIOCからの脱退を表明。これに反対するアラブ諸国が、東京五輪のボイコットをちらつかせる動きもあった。

結局、その代わりに「新興国競技会」(ガネフォ=The Games of the New Emerging Forces, 略称:GANEFO」という大会が63年11月にジャカルタで開催され、社会主義国やアラブ、アフリカ諸国など51カ国が参加した。

ガネフォは、アジアやアフリカ、中南米などの「第三世界」を代表する国際総合大会として注目を集めた。しかし、インドネシアのスカルノ大統領の失脚とともに求心力を失い、消滅していった。

政治利用を食い止めるスポーツ界の矜持を

今も台湾やイスラエル情勢をめぐって緊張が続いている。台湾の周辺海域では米中が軍事演習を繰り返している状況だ。イスラエルでは、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエル軍との戦闘が勃発し、多数の死者が出たばかりだ。

国際政治の分断による影響が、五輪にも何らかの形で現れるのではないかと危惧される。とりわけ米国と中国の対立は、早晩、スポーツ界に暗い影を落とすかもしれない。北京冬季五輪の6年後、2028年にはロサンゼルスで夏季五輪の開催も決まっている。

難しい国際情勢が続くが、五輪の政治利用にストップをかけられるのは、やはりスポーツの力しかないはずだ。五輪の理念や価値を堂々と訴えるスポーツ界の矜持(きょうじ)を見たい。

バナー写真:米民主党のナンシー・ペロシ下院議長(中央)。同議長は中国での人権問題に対する厳しい態度で知られる。AFP=時事

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