シリーズ・結党100年の中国共産党と日本(4): 戦後日本の「中国観」 共感・支持の時代を経て悲観・独裁批判一色に

政治・外交 社会

戦後日本における中国共産党への見方は「民主勢力」としての共感・支持から「天安門事件」による悲観と拒絶など、目まぐるしく変遷してきた。現在は「国際秩序に挑戦し、専制政治を推し進める脅威の存在」として、批判的言説一色で塗りつぶされている。

「新中国」の正統権力

今年2021年は中国共産党建党100周年。そのうち、1921年から45年までは日本人にとって中国共産党の存在感は小さい。日本が敗戦により武装を解除し兵力を撤退させると、国共内戦となった。当初はアメリカの軍事援助により国民党軍が軍事的優勢を占めていたが、48年末、国民党の腐敗・経済的混乱に見切りをつけた米政権は、内戦不介入の政策決定を行った。日本の論壇においては、政権の正統性は共産党の側にあるという言説がはるかに優勢を占め、共産党の指導する土地改革や労農階級の動向に注目が集まった。

翌年10月、中華人民共和国が成立した。日本にとっての新中国の成立は、土地改革によって労農階級を立ち上がらせ、アメリカの支援を受けた国民党軍に勝利し、新しい統一国家を樹立した正統な権力とされ、清新な「新中国」のイメージが醸成された。

同時代中国の現状と前途を伝える新たな情報源として注目されたのが、延安を中心として中国共産党や八路軍の活動にじかに接していた元捕虜兵士たちによる復員報告であった。折から日本国内では獄中にあった日本共産党党員たちが釈放され、中国から引き揚げてきたコミュニストが入党した。中国共産党は、中央対外聯絡部・中央統一戦線工作部が主導する、「人民外交」方式の国際共産主義運動を展開した。

戦後の占領期当初のGHQの宣伝・宣撫工作においては、日本国民に戦争罪悪感を浸透させ、戦争責任を覚醒させることに重点が置かれたため、民主主義礼賛と軍国主義批判の論調が推奨された。論調も日本共産党を中心とする革新政党や社会運動団体の支持を受けて民主革命や戦後改革の意義を強調したものが多かった。中国共産党から発せられる日本国内の民主化要求や天皇制打倒に呼応する声もあった。

反米左派とリベラリストからの共感

米ソ超大国による覇権争いが軍拡の恐怖の均衡のもとで繰り広げられ、東西冷戦の戦後秩序が構築されていくと、GHQは占領方針の転換を図った。朝鮮半島の南北分断状況下で、アメリカだけでなく日本にもレッドパージの嵐が吹き荒れた。進歩派知識人たちは反戦平和と非武装中立を掲げて、単独講和と日米安全保障条約に対抗し、全面講和論を主張した。

1953年以降、中国共産党は社会主義路線を明確にしていく。日本の左派勢力は日本共産党を中心に反米独立と民主化のために、社会主義には親和的であった。日本共産党は暴力革命路線の失敗によりの党勢が失墜していったため、中国共産党は「人民外交」と並行して「民間外交」方針のもと、55年には中央政治局が対日活動方針を打ち出し、政界・財界・文化界の民間友好団体や友好人士に向けた中国支持のための世論工作を積極的に展開した。日中間の民間交流が活発になり、左派勢力だけでなく保守的なリベラリストの中にも中国共産党支持者が浸透していった。

国際社会では55年のバンドン会議を契機として、アジア・アフリカ諸国が次々と独立し、生気に満ちた新興勢力のナショナリズムが存在感を示した。米ソ両大国とは一線を画して非武装非同盟中立主義を掲げる第三勢力としての中国共産党が、親米右派に対抗する批判的知識人にアピールした。

56年のフルシチョフによるスターリン批判を契機として、中ソ論争が起こり、ソ連の議会主義による対米平和共存と中国の反米武装闘争との間の路線対立は、国際共産主義運動内部の党派対立を生んだ。日本共産党内部は動揺し、反核平和運動団体にも亀裂が生じた。台湾やチベットへの軍事圧力や、64年の核実験によって、中国共産党のそれまでの平和勢力像は自壊した。

しかしながら、1960年安保改定を目前にして中国共産党は戦後初めて大々的に日本軍国主義復活反対キャンペーンを展開した。日本共産党を中心とする反米左派勢力の多くは、中国侵略への贖罪意識と日中国交回復論の立場から、中国共産党への共感を表明した。

世界革命のカリスマ毛沢東

中ソ対立の中で、各国共産党はソ連と中国の路線に対して多くは日和見主義の態度をとった。その中で、1965年に非社会主義国家としては最大の共産党員を擁するインドネシアで革命クーデターが失敗し(9・30事件)、翌年3月、自主路線を標榜しながらも中国側への歩み寄りを見せていた日本共産党が中国共産党と決裂した。ここに中国の国際的孤立が明白になった。

毛沢東はそれまでの国家単位による敵味方の区別ではなく、プロレタリア人民による階級闘争を提唱した。副将格の林彪は、世界に向けて人民の武装蜂起を呼び掛けた。文化大革命の勃発の要因となったのは単に国内の権力闘争だけではない。それまでの共産党の国際的連帯による統一戦線方式ではなく、各国人民の国際連帯を呼び掛けて世界革命を発動する毛沢東の起死回生の賭けだったのである。

この呼び掛けに世界各地の人民は呼応した。とりわけ濃厚な影響を受けたのが日本であった。第4の敵とされた日本共産党は、即座に党内の親中派分子をことごとく除名した。代わって文革支持を表明したのは、日本共産党に承服しない新左翼や一部の学生運動家たちであった。彼らが共感した対象は武闘によって機能停止させられた中国共産党ではなく、文革を主導するカリスマとしての毛沢東や林彪であった。文革が紅衛兵を中心とする青年主体の都市型革命で、上の世代や既成権力を打倒する劇場的効果が陶酔感をもたらした。

1970年代に入り日本経済は高度成長期の局面に入り、国民の所得が増えて家計が豊かになり、余暇時間も増えて、大衆消費社会となり、学園闘争は急速に下火になった。71年の林彪事件により、知識人や学者は文革への支持や関心を失い、翌年の連合赤軍あさま山荘事件により、新左翼運動は一気に退潮した。

72年に日中は国交正常化し、日中は「官官外交」へと転じたものの、民間交流の制限は大きかった。国交正常化後は、中国共産党とは距離を置いて、冷静客観的に分析する現実主義的な中国観察家が論壇の主流を占めるようになった。

日中国交回復を記念して贈られたジャイアントパンダ。日本では空前の「パンダブーム」が起き、上野動物園には入場が制限されるほど多くの人が詰めかけた=1972年11月05日、東京・上野(時事)
日中国交回復を記念して贈られたジャイアントパンダ。日本では空前の「パンダブーム」が起き、上野動物園には入場が制限されるほど多くの人が詰めかけた=1972年11月05日、東京・上野(時事)

等身大の中国像を探って

周恩来・毛沢東ら革命第一世代が世を去り、文革は終わり、1978年から改革開放の時代へと変わった。中国の内部の実態が明らかになり、人民の肉声が伝わってきた。実際の中国社会は中国共産党の政策や宣伝とはかけ離れたもので、イデオロギーのメッキが剥がれて旧態依然とした中国社会の地金があらわになってきた。

1980年代半ばから、胡耀邦・趙紫陽ら第2世代のリーダーへと権力が継承され、改革派知識人や学生たちが、新たな改革のためのさまざまな構想を描いた。文革に幻滅したうえに中国社会の実態に失望した日本のメディアや知識人は強い共感を示し、彼らを弾圧した中国共産党首脳を非難した(89年6月の天安門事件)。中国に対する悲観論が論壇を覆った。

日本政府は西洋先進国に先駆けて経済制裁を解除し、関係修復に乗り出した。92年の南巡講話を契機に中国経済は飛躍的な回復を見せて、悲観論は楽観論に反転した。中国は国際的孤立から脱して国際社会での発言力と存在感を増し、急速に台頭する隣国への脅威感が日本に芽生えた。中国観察家及び中国研究者たちは、中国共産党の中央幹部の動向だけでは中国の現実は把捉できないと反省した。政治以外の経済・社会的要素、北京以外の地方の動向など、多元的長期的変動要因へのアプローチを試みた。

1980年代以降、日本の急速な高度成長は止まった。国民は富の豊かさを享受する中で、個人主義と保守主義の気分がまん延した。90年代以降、バブル経済が崩壊し、日本経済が失われた20年に突入した。国内防衛に徹していた自衛隊が対外的軍事貢献に関与するようになり、生活保守主義は排外主義的右傾化へと転じた。

政界・歴史学界・教育界では右派保守勢力が、アジアへの侵略・植民地支配の反省の上に立って日本の軍国主義を批判する歴史観を「自虐史観・東京裁判史観」と指弾した。中国に対しては、歴史・領土・安保・人権問題などで中国共産党の独裁批判を鼓吹した。

専制主義批判一辺倒の現在

中国は堅調な経済成長を続け、2010年には日本のGDPを追い越して国力が逆転し、両国間の貿易総額は飛躍的に拡大し、相互依存関係が緊密になった。しかし両国は相互離反の関係へと悪化しつつある。日本では右派のみならず左派までもが、中国共産党に対する専制主義批判一辺倒の反中言説を展開するようになった。今の中国共産党像は脅威感が高じて、併呑されることへの恐怖心を伴う大国像となっている。

中国共産党は唯一の執政党として国政の全般を取り仕切り、全中国を指導している。だが中国社会にも国民生活にも、イデオロギーや国家政策に回収されない、独自の歴史・構造・原理がある。文革と天安門事件の後、1980年代から90年代にかけては、多元的な中国研究のアプローチが展開されてきた。だが今は中国共産党リーダー層の権力分析や国家政策ばかりに注目が集まり、独裁批判の一色に研究やメディア記事が覆われている。

世論調査によれば日本の対中イメージはますます悪化している。日本は中国の現実を国内メディアのフレームワークを通してしか見ていない。今求められるのは、中国に暮らす人々の社会や生活の現実を見つめるミクロのまなざしである。

バナー写真:安倍晋三首相の訪中に伴い、天安門前に掲げられた日の丸=2018年10月26日、中国・北京(時事)

中国 中国共産党