カーボンナノチューブ:海水淡水化技術への応用で世界の水問題に貢献

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カーボンナノチューブは、「カーボン(炭素)」「ナノ(10億分の1メートル)」「チューブ(円筒)」の3つの要素を併せ持つ極細の炭素繊維だ。リチウムイオン電池の電極素材などに広く使われている。信州大学では、海水淡水化技術にこのナノテク素材を応用する研究を進めている。

海水淡水化は人類社会の共通課題

安全な飲料水を利用できない人が世界で約6.6億人、汚染した水が原因で命を落とす乳幼児が年間30万人もいるとの国連児童基金(UNICEF)の報告がある。水問題は「持続可能な開発目標(SDGs)」の第6番目の目標に掲げられているが、水はそれ以外の多くのテーマにも関連している。例えば過酷な水くみに追われる女性や、その作業を行うために十分な教育を受けられない子供も多く、海水淡水化の国際会議でも水はジェンダー平等や教育の機会均などにも関係するとした論文が発表されている。水道水を直接飲用できる国は世界中でわずか十数カ国に過ぎず、水道インフラの老朽化と水源の悪化などによる生活用水の向上も喫緊の課題である。

国際社会はカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に向けて大きく動き出している。その1つの流れとしてサウジアラビアをはじめ中東諸国での植生増加や海洋生物保護が計画されているが、そこでは持続可能な海水淡水化技術が必須である。地球温暖化に伴う砂漠化や、人口増、経済成長による水消費の急激な増大によって、水資源の逼迫(ひっぱく)が顕在化している。海水淡水化技術の進化や新たな造水技術の革新による水資源開拓は、人類社会共通の課題である。

サウジアラビアの西海岸にある海水淡水化プラント(Photo courtesy of the Saline Water Conversion Corporation of the Kingdom of Saudi Arabia)
サウジアラビアの西海岸にある海水淡水化プラント(Photo courtesy of the Saline Water Conversion Corporation of the Kingdom of Saudi Arabia)

逆浸透膜を進化させてコストを削減

海水を淡水化して利用する際、現在の主要技術は「逆浸透膜法」である。逆浸透の原理を用いたもので、無数の微細な孔がある膜が水分子だけを通過させ、海水から塩分などをこして淡水を作る。現在この方法によって、世界で1日当たり6500万トンが造水されている。これは人口約1400万人を擁する東京都の水道量の14倍に匹敵する量である。こうして淡水化された水の主要な用途は、都市用水が60%、工業用水が30%となっている。逆浸透膜技術はすでに多大なる人類貢献を果たしている。

サウジアラビアの西海岸にある海水淡水化プラントの内部には、筒状の海水淡水化モジュールが設置されている。この中に逆浸透膜が格納されており、この膜が海水から塩分を分離する(Photo courtesy of the Saline Water Conversion Corporation of the Kingdom of Saudi Arabia)
サウジアラビアの西海岸にある海水淡水化プラントの内部には、筒状の海水淡水化モジュールが設置されている。この中に逆浸透膜が格納されており、この膜が海水から塩分を分離する(Photo courtesy of the Saline Water Conversion Corporation of the Kingdom of Saudi Arabia)

逆浸透膜は1970年代に開発されて以来、多くの改良が行われてきた。現在、広く採用されている逆浸透膜は「架橋芳香族ポリアミド」という高分子ナイロンで作られた、厚さが数100ナノメートル(1千万分の1メートル)の薄い膜である。逆浸透膜を使った海水淡水化技術は安全で安定した造水法として世界に貢献しているが、持続可能な地球環境対策が重要視される時代において、さらなる技術革新が要請されている。

まず改善すべきはコストの削減である。現在、逆浸透膜に5〜7メガパスカルの高い圧力をかけて、塩分を99.8%まで取り除き造水している。このプロセスには大量の電力が必要で、造水コストは1トン当たり約1ドルとなる。このコストを半額にすることが、海水淡水化の国際会議でも目標とされている。

海洋汚染をいかにして防ぐかということも考えなくてはならない。海水淡水化のプロセスで、飲料水1リットルにつき約1.5リットルの濃縮された液体「ブライン(高濃度の塩水)」が生成される。ブラインは海水の2倍の塩分を含むため、特に閉鎖系海域では海洋生態系への影響に配慮する必要が指摘されてきた。その対策として有望なのは、高濃度の塩を含んだ排水を再使用できる鉱物資源として捉え直すことである。ここから塩分やリチウム、マグネシウムなど鉱物資源を回収する研究開発が進められている。こうしたコスト削減や環境対策のために必要なのは、膜の強靭(きょうじん)性をさらに高めることである。

海洋環境保全の観点からも必要な強靭さ

逆浸透膜の劣化を防ぎその強度を高めるためには、まず膜に付着する汚れを少なくすることが重要である。海水には、プランクトンをはじめさまざまな不純物が含まれているため、海水をろ過する段階で膜に目詰まりが発生する。特に汚れを落としにくいのが、海藻中の「アルギン酸」や腐敗した植物から出る「フミン酸」などの天然有機物だ。こうした汚染物質によって膜の分子レベルの拡散経路に目詰まりが生じ、膜の透水機能や脱塩率が低下してしまう。こうなると膜にかける圧力を上げても造水量を確保できず、稼働を停止せざるを得ない。海淡水化装置の運転をいったん止めて、膜に純水を送り込んで表面の汚れを洗い落とすのだが、これにもコストがかかる。

また、目詰まりを少なくするためには、淡水化に使う海水を薬剤で処理して不純物を除去する化学的な前処理も必要だ。このために使用された薬剤は無害化されて海洋に破棄されるものの、海洋環境保全の観点からその量を最小限にする必要がある。膜の耐久性が高まれば使用する薬剤の総量を減らすことができるので、この観点からもより強靭な逆浸透膜が熱望されてきたのである。

革新的な逆浸透膜の開発に成功

私たちはこうした声に応えるべく、2013年、信州大学内に産官学連携研究組織「アクア・イノベーション拠点」を設置し、ナノテクノロジー(超微細技術)の代表的な素材であるカーボンナノチューブを使った逆浸透膜の開発に取り組んできた。カーボンナノチューブとは、「カーボン(炭素)」「ナノ(10億分の1メートル)」「チューブ(円筒)」の3つの要素を併せ持つ物質である。鉄などの金属粒子の触媒作用によって、およそ1000℃でメタンなどの炭化水素から形成することができる。

このナノテク素材は髪の毛の5万分の1の細さで、軽く、鋼の数十倍の強度を持っている。さらに化学的に安定しており、熱や電気を効率よく伝えるためリチウムイオン電池の電極添加材として使われ、電池性能の向上に貢献している。その他にもテニスラケットやゴルフクラブのシャフトなどの炭素繊維強化樹脂の添加材としても幅広く用いられている。カーボンナノチューブはバイオメタンから製造することも可能で、その場合の副生成物は水素となるため環境に優しい素材でもある。

18年、信州大学は従来の架橋芳香族ポリアミドにカーボンナノチューブを混ぜた革新的な逆浸透膜の開発に成功した。最適量のナノ素材を混ぜることで、膜がプラスの電気を帯びたり、表面の凹凸が減ったりしたのである。その結果、「ファウラント」と呼ばれる不純物が付着しにくくなった。

上が従来の逆浸透膜。下が信州大学開発のナノ複合膜。左が48時間後、右が52時間後。従来膜には緑色に着色したタンパク質がべったりとこびり付いているが、ナノ複合膜では付着した小さなタンパク質の塊が52時間後には剥がれてほぼなくなっている(画像提供:信州大学)
上が従来の逆浸透膜。下が信州大学開発のナノ複合膜。左が48時間後、右が52時間後。従来膜には緑色に着色したタンパク質がべったりとこびり付いているが、ナノ複合膜では付着した小さなタンパク質の塊が52時間後には剥がれてほぼなくなっている(画像提供:信州大学)

左の従来膜(青い部分)にはタンパク質がからみつくようにこびりついているが、右の信州大学膜は弱く付着しているので水流で汚れが剥がれやすい(画像提供:信州大学)
左の従来膜(青い部分)にはタンパク質がからみつくようにこびりついているが、右の信州大学膜は弱く付着しているので水流で汚れが剥がれやすい(画像提供:信州大学)

カーボンナノチューブ配合の目詰まりしづらいナノ複合膜を実用化すれば、環境の世紀にふさわしい「グリーン・デサリネーション」、つまり省エネや薬品使用量の最小化を図る環境に優しい海水淡水技術が可能となる。

ナノ複合膜を使った海水淡水化モジュール。このモジュールに海水を通して塩分を取り除く。断面で黒く見えるのは、カーボンナノチューブが複合されているためだ(画像提供:信州大学)
ナノ複合膜を使った海水淡水化モジュール。このモジュールに海水を通して塩分を取り除く。断面が黒く見えるのは、カーボンナノチューブが複合されているためだ(画像提供:信州大学)

信州大学国際科学イノベーションセンター内に設置されたナノ複合膜の製造ライン(画像提供:信州大学)
信州大学国際科学イノベーションセンター内に設置されたナノ複合膜の製造ライン(画像提供:信州大学)

20年から北九州の「ウォータープラザ北九州」で、実海水を使ってナノ複合膜による淡水化に取り組んでおり、汚染物質に対する性能が実証されている。こうした実証実験によって、各種薬剤の使用量を従来の膜に比べて著しく低減でき、また膜の長寿命化が可能と判断された。その結果、淡水化装置をより長期間稼働でき、運用コストを10~15%減らせるのではないかと期待されている。また高コストの一因にもなっている原海水の前処理設備の簡略化も可能である。

「ウォータープラザ北九州」に設置された海水淡水化のパイロットプラント。コンテナ内では、ナノ複合膜の耐久性などを評価する実験が行われている(画像提供:信州大学)
「ウォータープラザ北九州」に設置された海水淡水化のパイロットプラント。コンテナ内では、ナノ複合膜の耐久性などを評価する実験が行われている(画像提供:信州大学)

現在、海水淡水化に関わる国内外の企業や研究機関と連携して、このナノ複合膜を海水淡水化装置に実装する研究を進めている。また信州大学開発の膜は、下水処理やこれまで十分に活用されていない工場排水の再利用にも応用可能であり、環境や社会と調和した水再利用システムにおいても有望である。カーボンナノチューブ技術で世界最先端を走る信州大学が開発したナノ複合膜は、21世紀の水問題の解決に大いに貢献できると信じている。

バナー画像=カーボンナノチューブのイメージ図(画像提供:信州大学)

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