菅政権崩壊 : 万策尽きた末の自滅

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しぶといと見られていた菅義偉首相が、あっさり政権を投げ出した。その底流を政治ジャーナリストが解説する。

9月3日の昼前、テレビで「首相が総裁選不出馬」の速報が流れた時、筆者は「やはり」としか思えなかった。むしろ、自民党役員会、総務会で党役員人事について順調に「総裁一任」を取り付けていたとしたら、その方が驚くべきニュースだったろう。

自民党総裁選(9月17日告示、29日投票)に向けた首相・菅義偉(72)の策動は、それほど常軌を逸したものであった。

菅の計算

自民党の前政調会長・岸田文雄(64)は総裁選の日程が決まった8月26日、出馬を表明した。「押しが弱い」「優柔不断」の世評にさらされてきた岸田だが、この日の記者会見は違った。「国民政党だったはずの自民党に声が届いていない」「わが国の民主主義が危機に瀕している」と、菅政権下での政治不信をストレートに告発した。

特に権力の集中を防ぐ「自民党改革」として、役員任期を「1期1年、連続3年まで」とする公約が波紋を呼んだ。すでに連続5年を超えて歴代最長になっている幹事長・二階俊博へのアンチテーゼであることは明らかなためだ。

これに菅は直ちに反応した。8月30日に首相官邸で二階と会談し、総裁選前に幹事長を含む自民党役員人事と内閣改造に着手したい旨通告する。前首相の安倍晋三、副総理兼財務相の麻生太郎、自民党税調会長の甘利明の「3A」が、二階の存在を苦々しく思っていることに迎合し、再選を有利にしようと考えた。

二階は「遠慮せずにやってください」と答えたという。しかし、老獪(ろうかい)な二階がやすやすと権力を手放すとは考えにくい。二階は菅政権を生んだ最大の立役者であり、今度も早々に「菅支持」を表明していた。そもそも、事後ならともかく総裁選に先立つ人事一新は順序が逆だった。

菅はさらに横車を押そうとする。緊急事態宣言の期限(9月12日)から17日の総裁選告示までのわずかな間隙(かんげき)を縫って衆院を解散し、10月5日公示、17日投票の日程で総選挙を実施するという構想に傾いた。この場合、総裁選は自動的に先送りされる。弱い野党相手に議席を減らしても政権を維持すれば、再選できるとの計算に他ならない。

地元横浜で手痛い敗北

もはや血迷ったとしか思えない菅の「禁じ手乱発」に政界は騒然となった。すべてはポストにしがみつくためにひねり出した作戦だが、頼みの安倍からも反対され、新聞が「解散検討」を報じた9月1日朝に菅はぶざまな釈明に追い込まれる。

「今のような(コロナ禍の)厳しい状況では解散ができる状況ではない」

この瞬間、菅の手から首相の大権がこぼれ落ちた。その上で形式的に残る人事権を行使しようとセットされたのが冒頭の党役員会だが、解散権を封じられた首相に無理筋の人事などできるはずがない。万事休すだった。

菅の尋常ならざる振る舞いの基底に、地元・横浜市長選(8月22日)の大敗があることは想像に難くない。国家公安委員長だった小此木八郎が大臣ポストと議員職を放り出して出馬、しかも菅肝いりのカジノ誘致を「取りやめる」と公約した。現職の林文子はカジノ誘致の「継続」を唱えて4選を目指したため、菅の子飼いだった自民党市議団は二手に分裂してしまう。

カジノの頓挫は痛いが、金城湯池の横浜を失うのはもっと痛かったのだろう。菅は小此木を勝たせるべく全面的に介入する。企業に直接電話を入れたり、要請文を郵送したり、政府のトップが一地方自治体にすることではなかった。こうして自ら菅政権の是非を問う選挙にした揚げ句、小此木はコロナ対策の不手際を訴えた無名の野党系候補(当選)に18万票もの大差をつけられて沈んだ。

横浜ショックに余波は続く。自民党神奈川県連の幹事長、土井隆典は9月2日、総裁選について「県連としては菅さんを頼む運動をするつもりは一切ない」と以前なら考えられないコメントをしている。

どちらかと言えば、隠微な政界工作を得意とする仕事師と目されてきた菅だ。権力への執着はそれほどに理性を失わせるのかもしれないが、菅の場合には構造的な問題がある。

英国でよく使われる「スピン・ドクター」、すなわち政治家を振り付ける人物の不在だ。第2次政権時の安倍には経済産業省出身の今井尚哉が、同じく長期政権だった小泉純一郎・元首相には飯島勲が、実力派の首席秘書官として仕え、細部にわたってトップをプロデュースした。

個人商店型の政治家

ところが菅の場合、議員会館の事務所から連れてきた政務秘書官の新田章文は使用人の域を出ず、主に菅の日程管理を担当してきた。先の横浜市長選では街頭でのビラ配りに登場している。一時は財務省出身の寺岡光博が政務担当の秘書官になったが、菅の言動全般を差配するほどの影響力も信頼関係もなかった。

首相補佐官の和泉洋人(国交省出身)や官房副長官の杉田和博(警察庁出身)は腹心の「官邸官僚」として名をはせたが、あくまで菅の意向に忠実な実働部隊であり、振付師の役目を担ってきたわけではない。

そもそも横浜市議から叩き上げた菅は、自ら仕入れて営業にも回る個人商店型の政治家だった。そこにシステマチックな組織運営の発想はない。官房長官まではそれで済んだのだろうが、首相は違う。一国を代表する顔として森羅万象に関わり、発した言葉は歴史に刻まれる。

アフガニスタンからの退避作戦終了に伴う発言に、限界がはっきりと見て取れた。9月1日、記者団から政府の対応は適切だったのかと問われた菅は、こう答えている。

「今回のオペレーションの最大の目標というのは、邦人を保護することだった。そういう意味では良かったというふうに思っています」

自衛隊機が運んだのは日本人1人だけで、当初の目標だったアフガン人の協力者とその家族数百人の退避には失敗した。本来なら首相として「日本に協力した人びとは決して置き去りにしない」と言うべき場面だ。

総裁選への不安でいかに菅の心が千々に乱れていたとしても、首相に主要国の首脳とはかけ離れたコメントをさせてしまった責任の半分は、周囲のスタッフにある。

引き際の作法

菅が不出馬を表明した時点では、まだ東京パラリンピックが開催中だった。自らが設定したスケジュールの不首尾とはいえ、国論を二分させてもかたくなに開催へ突き進んだこの国際行事が終わるのを待って、という選択肢にはまったく考えが及んでいない。

何より、菅の一方的な自滅によって日本の政治には1カ月の「権力の空白」が生じることになった。総裁選の投票日は9月29日だから、新総裁がすぐに新首相に指名されても組閣までは1カ月程度を要する。この間に大規模な災害や軍事的な緊急事態が起きた時に「死に体」の菅政権は責任を負えるのかという根本的な問題がある。

もし菅に行政トップとしての自覚があれば、不出馬表明と同時に総裁選日程の前倒しを党側に要請することもできた。国家として不測の事態に備え、『空白』を最小化するためだ。

1年前の安倍そして今回の菅と、日本の首相は2代続けて新型コロナウイルスに敗れた。同時に、最高権力者にふさわしい退き際の作法が2代続けて破られたというのも事実だろう。(敬称略)

バナー写真 : 自民党総裁選不出馬を表明し、記者団への説明を切り上げて立ち去る菅義偉首相=9月3日午後(時事)

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