商業化が進むパラリンピック:理念と現実のはざまで揺れる「クラス分け」問題

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金メダル13個という日本勢の躍進もあり、東京パラリンピックは盛況のうち幕を閉じた。だがその一方で、パラリンピックも五輪同様、大会の商業化が進み、その結果、障害度合いの認定において「公平性」という理念を揺るがしかねない事態が起きていることはあまり知られていない。東京大会でも問題が顕在化した、パラリンピック特有の「クラス分け」の実態をレポートする。

変容しつつあるパラリンピックの意義

9月5日、東京パラリンピックが閉幕した。日本選手の活躍もあり、普段はパラリンピック競技を意識しない人々が関心を抱き、テレビ中継や報道を通じて障害者スポーツに触れる貴重な機会となった。

なかでも注目を集めたのは車いすバスケットボールだった。男子日本代表は世界王者アメリカをあと一歩まで追い詰めて銀メダルを獲得。鳥海連志らの活躍は、「人気バスケットボール漫画『スラムダンク』の登場人物を彷彿(ほうふつ)させる」と脚光を浴び、連日、大々的に報じられた。

車いすテニスでは国枝慎吾が2大会ぶり通算4個目となる金メダル、競泳のエース木村敬一が4度目の出場で悲願の金メダルを獲得したことも話題となった。

一方で、大会の開催前、あるいは大会期間中には、パラリンピックのあり方を問うような問題がいくつも起きていた。その背景にあるのは、パラリンピックという大会の意義の変容だ。

パラリンピックの起源は、1948年にイギリスの病院で開催された「ストーク・マンデビル競技大会」であるとされている。第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリとして始められたものだ。この大会がやがて国際大会に発展し、1960年の第1回パラリンピック(ローマ)へとつながっていった。当時のパラリンピックの根底にあったのは、障害者のリハビリや健康促進だった。

だが、現在のパラリンピックの意味合いは60年前とは異なる。競泳や陸上における記録は飛躍的に向上し、球技などのスキルも高度になった。もはや、リハビリというレベルにはない。障害のあるトップアスリートが世界一をかけて競う、4年に一度の大舞台である。

競技レベルが上がるにつれ世界的な関心も高まり、それは選手を取り巻く環境の変化をもたらした。オリンピック同様に商業化が進み、スポンサーを得る、あるいはチームとプロ契約を交わすなどして、競技に専念できる選手が登場したのだ。

それは成績が収入に結びつくことを意味している。オリンピックでドーピングを行ってでも結果を残そうとする選手が後を絶たないように、パラリンピックでも選手の不正行為が取り沙汰されるようになった。そしてパラリンピックの場合、ドーピングよりも「クラス分け」が不正の温床として考えられている。

パラ競技特有の「クラス分け」の難しさ

クラス分けとはパラリンピック競技特有の制度で、障害の種類や程度に応じて選手を分類するものだ。例えば、義足の選手、車いすの選手、下肢に障害がない選手が一緒に競えば、そこに有利不利が生じる。公平を期すためには、障害が同レベルの選手で試合をする必要がある。

クラス分けの判定は、専門の資格を取得したスタッフが行なう。判定の基準となる要素は、身体機能の検査、試技を通じてのスキルやパフォーマンスの評価、大会での実際のプレーの観察である。

そこに不正の余地が生じる。実際にできる動作をできないふりをして障害の重いクラスに認定されれば、競技では有利になる。パラ競技団体関係者によれば、判定スタッフの前で障害を重く装う選手がいるのは事実であり、競技運営において大きな懸念材料となっている。

通信社のAFPによれば、東京大会のパラ競泳で自身16個目となる金メダルを獲得したジェシカ・ロング(アメリカ)は、成功を収めたパラアスリートが享受する名声や金銭的見返りが大きくなったため、「不正を働く動機は非常に大きい」と話しているという。こうした疑念を表明しているのはロング一人だけではない。

「パラ競泳界の女王」の異名をとるジェシカ・ロング。04年アテネ大会から5大会連続のパラリンピック出場を果たした(2021年9月2日、東京アクアティクスセンター) AFP=時事
「パラ競泳界の女王」の異名をとるジェシカ・ロング。04年アテネ大会から5大会連続のパラリンピック出場を果たした(2021年9月2日、東京アクアティクスセンター) AFP=時事

パラリンピックを巡る不正は、クラス分けにおいてのみ起きているわけではない。昨年12月には刑事事件にまで発展した出来事があった。

それは視覚障害者によるパラ柔道での不正だ。韓国柔道代表チームの元監督が健常者を視覚障害者と偽って2016年リオデジャネイロ大会など各大会に出場させ、政府からの報奨金を不正に得たとして、監督・選手合わせて13人が在宅起訴されたのだ。

理想は「障害者と健常者が一緒にプレーすること」

国際パラリンピック委員会(IPC)も不正の横行に手をこまねいているわけではなく、従来より厳格な審査をしようと努めている。だがそれがまた、別の問題を引き起こしている。その象徴ともいえる出来事が東京大会の開幕直前に起きた。陸上男子車いすの伊藤智也の障害(多発性硬化症)が一つ軽いクラスに変更されたのである。8月20日に実施された検査で、体幹機能が残っていると判断されたことが理由だ。

伊藤本人はこう語っている。

「自分の病気は能力が復帰するものではなく、去年再発したことで状態は悪くなっています」

日本パラ陸上競技連盟は抗議文書を出したが、判定が覆ることはなかった。08年北京大会2冠の伊藤は、従来のクラスならメダル候補であったが、新たなクラスで出場し、予選敗退に終わった。クラス分けは「人の目」によってなされる。それが選手らに不正行為を可能にさせる一方で、判断基準に対する選手側の不信感を生んでいる。

陸上男子400m(車いすT53)に出場した伊藤智也。7人中6位で予選落ちしたが、従来のクラスなら銅メダルを上回るタイムだった(2021年8月29日、東京・国立競技場) 時事
陸上男子400m(車いすT53)に出場した伊藤智也。7人中6位で予選落ちしたが、従来のクラスなら銅メダルを上回るタイムだった(2021年8月29日、東京・国立競技場) 時事

2020年1月には、車いすバスケットボールにおいてIPCの基準では参加資格がない選手が出場していることをIPCが問題視し、「改善が見られなければ競技そのものを東京大会から除外する」と国際車いすバスケットボール連盟に警告した。

車いすバスケでは、障害に応じて1.0から4.5まで0.5刻みに、各選手に「持ち点」が設定される。数字が小さいほど障害の程度が重く、コート上の5人の持ち点は常に14点以内でなければならない。

IPCが問題視したのは、4.0と4.5のクラスであり、「限りなく健常者に近い運動能力を持つ選手が大会に出場している」と結論付けた。関係者の中には「(IPCの)基準が守られない状態だと偽装も起こり得る」という理由で、IPCに賛同する声もあったという。

だが、連盟側の考え方は違った。彼らが、IPCからすれば「緩い基準」で運営してきたのは、「より多くの人が一緒にプレーする機会を」という理念からだった。確かに、障害者と健常者が一緒にプレーできる状況は、スポーツにおける一つの理想形であり、連盟が目指す方向性もまた容易に否定されるべきものではない。

それでもIPCの意向に逆らうわけにはいかず、連盟は昨夏、基準の見直しを進めた。結果、日本選手1人を含む9人の資格が取り消された。手段を選ばず結果を追求する一部の選手による不正を排除するためとはいえ、日々真摯(しんし)に競技に取り組みながら不利益を被った選手がいることは否めない。

これまで、メディアがパラリンピックを取り上げるときは、障害者が頑張って苦難を乗り越える姿に焦点をあてる「感動ストーリー」として伝えがちだった。それは東京大会でもしばしば見られた。だが、前述した数々の問題から明らかになるのは、パラリンピックが感動ストーリーには収まりきらず、きれい事だけで済む大会ではない、ということだ。

感動ストーリーで終わらせてはいけない

ただ、その事実を前向きに考えることもできる。

感動ストーリーという枠にとどまる限り、その枠組みに選手を押し込もうとすると、実は選手の実像を捉えきれなくなる。障害があろうがなかろうが、アスリートがより良い記録、成績を目指す姿勢に変わりはないし、人間としてさまざまな欲望もある。誰もが人格者であるわけでも、品行方正であるわけでもない。それゆえに、決して肯定はしないが、不正行為に手を染める選手も出てくる。

良いも悪いも含めて、パラリンピック競技もまた、人間の取り組みにほかならない。

そうした認識から出発することこそ、「多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し活躍できる公正な機会が与えられている場である」とするパラリンピックの意義につながるのではないか。過度な賛美に走り、負の面から目を背けることこそ、多様性から遠ざかる要因となるように思える。

バナー写真:男子車いすバスケットボールで大会MVPに輝いた鳥海連志。日本代表の奮闘で車いすバスケのファンは飛躍的に増えたが、同競技はクラス分けという難解な問題も抱えている(2021年9月5日、東京・有明アリーナ)  時事

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