歴史を語る習近平:中国共産党「歴史決議」への視座

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中国共産党が11月に行った「歴史決議」で、習近平総書記は毛沢東、鄧小平と並び立つ存在に推し挙げられた。今回の決議の意図と特徴について、詳細に分析する。

第3の歴史決議の意図と特徴

孫文の誕生日に当たる2021年11月12日、中国共産党第19期中央委員会第6回全会において習近平は「中国共産党の100年の奮闘の重大な成就と歴史経験に関する決議」案を自ら説明し、それを通過させた。100年にわたる中国共産党の歴史の中で、「歴史決議」とされるものは、1945年の毛沢東、81年の鄧小平によるものがあり、これが3つ目ということになる。中国で歴史を書くということは、時の政権が自らの統治の正当性を示すということに他ならない。習近平もその類に漏れないが、この第3の歴史決議の意図と特徴についてまとめておこう。

第1に、これは当然のことだが、第3の歴史決議が習近平政権の政策の一環として位置付けられているということだ。目下、習近平政権の最大の目標は、政権の延長、すなわち習近平自身の総書記としての任期延長、あるいは党主席となることにある。この歴史決議では、十月革命と中国の実情とが共鳴してできた中国共産党のその後の歴史において、毛沢東、鄧小平のそれぞれが社会主義と中国との関係が緊密になり昇華していく上での重要な役割を果たしたとしている。そして、習近平もこの両者と並び立つ存在だと強調している。この点で、この歴史決議が習近平政権の延長への布石だと理解できるだろう。

第2に、これまでの歴史決議が何かしらの路線なり人物なりを否定してきたが、第3の歴史決議は何かを否定するというよりも、習近平を肯定することに主眼があるようだ。1945年の歴史決議はモスクワ留学派ではなく毛沢東が党の領袖であることを明確にし、81年のそれは文化大革命をもたらした毛沢東の晩年を批判し、また個人崇拝を進めたことなどにより華国鋒を批判して鄧小平の指導性を高めた。第3の歴史決議では明確に路線や前の指導者を批判してはいない。だが、強いて言えば、胡錦濤や江沢民を1ランク下げ、習近平を鄧小平、毛沢東と同格に見せる意味があったのだろう。

第3に、歴史決議文書作成の経緯、手続きの特徴がある。例えば第2の歴史決議であれば、80年9月に中央政治局:歴史決議の草稿について4000人(高級幹部)大会で議論して修正を加えなどして、その上で地方にそれを諮り、再修正して81年6月に決議がなされている。だが、第3の歴史決議にはそれほど周到な議論の過程が見られない。

21年3月に中央政治局にて提起されて、習近平のほか、王滬寧、趙楽際その他が文書作成することになり、4月に「党の19回党大会六中全会が重点的に党の重大成就と歴史経験問題を全面的に総括することに対して、意見を求めることに関する通知」が党から出されている。その後9月になって、党内各方面、民主諸党派、諸団体からの聞き取りを行うことを決定して、11月の決定に至っている。

11月12日に歴史決議が通過してから全文公表までに数日空いたことについて、さまざまな憶測が流れているが、内容について十分な調整が済んでいなかったことが原因である可能性もあろう。

歴史決議の歴史観、そして書かれていないこと

では、第3の歴史決議にはどのような歴史観が反映されているのか。

第1に、この歴史決議の歴史叙述は、習近平政権が推進している歴史政策に基づく。それは、中国共産党史を軸とする歴史観であり、具体的には四史(中国共産党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史)として体現されたものだ。大学教育の政治の必修科目「中国近現代史綱要」にもこの「四史」の内容が反映されている。内容的には、現在に至る中国近現代史を国家よりも共産党を軸にして描くということだ。そこでは、改革開放もまた社会主義の深化として描かれている。

この歴史政策は、歴史政策も党が主導するとともに、語られる歴史の内容も党が中心となることを示している。社会主義でなければ、中国共産党でなければ中国を統治できないこと、また社会主義と中国の現状とが独特の融合を遂げ、中国的特色のある社会主義が形成されてきたこと、またその段階で毛沢東、鄧小平、そして習近平が重要な役割を果たしたことが強調される。

第2に、この2021年という第3の歴史決議公表のタイミングは、習近平の構築してきた歴史観においては、確かに歴史の転換点だと見なされている、ということだ。中国共産党100周年に当たる21年には、「豊かさ」を実現した改革開放の残した問題とも言える格差問題が「全面的小康社会の実現」という格好で実現した、と習近平政権は胸を張る。そして習近平は改革開放が社会主義初級段階の物であることを大前提にしても、質の高い経済の実現という意味で、再定義しようとしている。つまり、習近平版の改革開放を描こうとしているということでもあろう。

実際、習近平は強力な「党の領導」を推進しようとし、この点で毛沢東的だと評されることもあるのだが、同時に経済改革という意味での改革開放を推し進めようともしている。そうしてこそ、中華人民共和国成立100年に当たる2049年には社会主義現代化強国となって、アメリカに追いつき、台湾解放も含めて「中華民族の偉大なる復興」を成し遂げるとしている。

第3に、第3の歴史決議の内容は、21年7月1日の中国共産党百周年の習近平演説、同年10月9日の辛亥革命110周年演説などで述べられた内容と重なる、ということだ。これは、歴史決議以外の演説も「四史」の叙述を基礎としていることを示す。また、習近平の事績や将来のことに関する部分についても、必ずしも目新しい言葉や内容は見られない。しかしながら、歴史決議に独特な内容もある。例えば、台湾について、16年以降「台湾当局」、すなわち民進党の蔡英文政権が独立政策を進めていると断じた点だ。これは、他の歴史関連の習近平演説には見られない強い表現である。

台湾については、19年初頭に習近平が武力を用いる可能性に言及した後、言葉の上では比較的な穏当な表現が用いられてきた。これは、台湾周辺での人民解放軍の動向とは対照的だった。だが、この歴史決議では相当に強い蔡英文政権批判が盛り込まれた。歴史決議の直後には、中国政府が中国に工場などを持つ遠東集団に対して厳しい措置をとった。遠東集団が、民進党の蘇貞昌に多額の資金援助をしていることがその背景にあるとされる。

第4に、この第3の歴史決議で述べられていないことについていくつか言及しておきたい。これもまた、この歴史決議の特徴を示すものだろう。

この歴史決議は、共産党も間違えることがあるとしている。だが、「党が偉大であるのは間違いを犯さないからではない。むしろ、隠し立てをするのではなく、積極的に批判や自己批判を行い、問題に正面から向き合い、自ら革命を起こすことだ」などとして、間違いを犯しながらも、批判することに意義があるともする。しかし、第2回の歴史決議で批判されていたはずの個人崇拝などはこの第3の歴史決議では述べられていない。

習近平政権は「党の領導」を高め、権限を国家から党に集めながら、その党の核心が習近平だと説明するが、個人崇拝につながるのではないかという批判は後を絶たない。それだけに「個人崇拝批判」が書かれていないことは示唆的である。このほかにも、例えば外交に関して、核心的利益を相互尊重しながら協調する大国間外交を示す、新型大国関係といった言葉も使われていない。米中関係の現状を踏まえたものだろう。

以上のように、歴史決議は中国共産党、また習近平政権の政策を肯定的に描き、今後の政策の道筋をつけたものであるとともに、習近平が総書記としての任期を延長する、または党主席になる上での一つの布石だと理解できる。また、この歴史決議の内容には、習近平政権が進める四史の内容が強く反映されており、今年のいくつかの歴史関連の習近平演説と内容的に重なる。この点で歴史決議も習近平政権の進めている歴史政策の一環だとみることもできる。

他方、この歴史決議には台湾問題や米中関係などについて、新たなメッセージを込めようとした部分や、政権のダメージになる可能性のある内容を捨象するという側面も見られる。

バナー写真:中国共産党第19期6中全会で議長団席に座る習近平氏ら党指導部=2021年11月11日(新華社=共同通信イメージズ)

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