検証 北京五輪:「より速く、より高く、より強く」にひずみが露呈したオリンピック

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「より速く、より高く、より強く」は、国際オリンピック委員会(IOC)の設立時から掲げられてきた五輪のモットーだ。世界中の競技者が努力を重ね、公平な条件の下で卓越性を競い合う。その尊さを説いたものだ。しかし、20日閉幕した北京冬季五輪の試合から次々と露呈したのは、規定違反や判定に対する不服や抗議、不正の処分をめぐる不明瞭さである。世界の頂点を追い求める五輪は、「公正さ」を失いつつあるように見える。

相次いだ不可解な判定

スキー・ジャンプ女子の高梨沙羅は、混合団体の決勝1回目に飛んだ後、ジャンプスーツの太もも回りがわずか2センチ大きいという理由で失格となった。飛距離を少しでも伸ばすために、選手やスタッフが浮力や揚力を考えて試行錯誤を繰り返している。規定ぎりぎりでスーツを作るのも技術の一つといえる。その一方、不正を防ぎ、競技の公平性を保つために詳細で厳格な規定が定められている。

ジャンプスーツの検査は、競技前は全員に対して行われ、競技後は抜き打ちで実施される。混合団体では高梨を含めて4カ国の5選手が違反となったが、スーツの下に着用するスパッツを脱がせるなど、いつもとは検査方法が違っていたという。日本チームは、検査のあり方についての意見書を国際スキー連盟に提出したが、なぜこのような事態が起きたのかは不透明だ。

スノーボードの女子パラレル大回転の1回戦では、6大会連続出場のベテラン、竹内智香が一緒に滑走したドイツ選手を妨害したとして失格となった。両選手は同じような地点で転倒し、テレビで再生された画像では、接触はなかったように見えるが、先にゴールした竹内が失格で「途中棄権」の扱いとなり、敗退が決まった。

「(審判の)8人中6人がドイツ人なので、もうノーチャンスかなと思った。スポーツマンシップって何なのだろう、って感じますけど、これも五輪の独特の力だと思う」というのが、竹内のコメントだ。

不満の声が上がったのは、敗者からだけではない。

スノーボード男子ハーフパイプで金メダルを獲得した平野歩夢は、決勝2回目の採点に首をひねった。「ジャッジの基準として、どこを見ていたのか」と述べ、「競技をやっている人たちは、命を張ってリスクも背負っている。選手のために、スルーせず整理した方がいいのではないか」と付け加えた。

平野は2回目で「トリプルコーク1440」という大技を成功させたが、得点は91・75にとどまった。3回目でも同じ構成の演技に臨み、同じ大技を再び成功させ、ここでは96・00の高得点で逆転の優勝をたぐり寄せた。平野が優勝後に語ったのは、「2回目と3回目の違いは何だったのか」という問題提起だ。

海外勢の間でも判定をめぐる混乱が起きた。ショートトラックの男子1000メートル準決勝では、韓国の2選手がレーン変更違反で相次いで失格となり、代わりに中国選手らが決勝に進んだ。決勝でも1着のハンガリー選手が反則とされ、金、銀のメダルは中国が獲得した。

接触の多いショートトラックでは、反則がつきものだ。しかし、納得がいかない韓国選手団はスポーツ仲裁裁判所に提訴する方針を明らかにした。韓国の主要紙社説は「習近平の業績づくり」などと中国寄りの判定に非難の論評を掲載。ネット上では試合の動画と怒りの声が投稿され、拡散されていった。

人間の目の曖昧さを機械で補えるか

トップレベルのスポーツの多くでは、ビデオ判定が用いられている。審判の主観的な目を機械で補うためだ。サッカーでは「ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)」というシステムや、得点が決まったかどうかを複数のカメラやチップ入りのボールで判定する「ゴールライン・テクノロジー」がある。

野球でも、近年は米大リーグのみならず、日本のプロ野球にも「リクエスト」の制度が導入され、かつてのような判定をめぐる乱闘騒ぎはなくなった。テニスでもライン際のイン、アウトをめぐる難しいボールは、選手からの「チャレンジ」を受けて、コンピューター・グラフィック画像による判定が用いられる。

こうしたシステムに共通するのは、多くのファンがテレビやインターネットを通じてそのプレーを見ているという点だ。国際的なプロスポーツであれば、世界中の人々が試合を注視している。そして、疑念を抱くような場面があれば、ネット交流サービス(SNS)に投稿し、判定に対する異議が拡散していく。五輪はそのような時代の渦の中にいる。

だが、人間の目視による曖昧さを機械ですべて補えるのかといえば、そうでもない。

スピードスケートの男子500メートルでは、日本の森重航、新浜立也が登場した最終2組で不可思議なフライングが続いた。スタート時に体を制止できないと審判のピストルが光るのだが、映像を見直しても動いていないように見える。ところが、それを高性能のカメラが探知し、フライングと判定したとみられている。

今大会からそれぞれのレーンに1台ずつの画像追跡カメラが設置され、スタート前の選手やスケート靴の動きを確認しているという。ところが、このレースではピストルが光ってから選手が動き出している映像がインターネット上で出回り、「疑惑のフライング判定」として話題になった。

カーリングでも機械をめぐるトラブルがあった。ストーン(石)が正しく投げられたかどうかを判定する小さなランプが、石上部のハンドルの両脇に埋め込まれている。足のけり台から約10メートルの位置に引かれたホッグラインまでにハンドルを手放す必要があり、正しく投げると緑が点灯する。しかし、ラインを通過して投げると赤のランプが付く仕組みだ。違反があれば、その一投は無効になる。

今大会ではそのランプのセンサーが作動せず、選手が審判を呼び寄せるケースが相次いだ。従来は審判が目視で判定していたものだ。ハイテク機器を導入したがゆえに競技が混乱するのでは、本末転倒である。機械に最終判断を委ねるという手法も完璧ではない、ということだ。

五輪の醜態さらけ出したロシアのドーピング問題

スポーツにおける不正の最たるものといえば、ドーピングに他ならないが、今大会では規定の「盲点」を突く問題が表面化した。

フィギュアスケート女子で最も注目を集めるロシア・オリンピック委員会(ROC)の15歳、カミラ・ワリエワのドーピング違反をめぐる出場可否だ。昨年12月下旬のロシア選手権の際の検査結果が「陽性」と判明したのは、五輪の団体でROCが優勝した後のことだ。心臓疾患の治療などに用いられる禁止薬物「トリメタジジン」が検出された。

ロシア反ドーピング機関(RUSADA)はワリエワにいったん資格停止処分を科したが、異議申し立てを受けてすぐに処分を解除し、出場継続を認めた。その判断を不服として、国際オリンピック委員会(IOC)や世界反ドーピング機関(WADA)がスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴した。

ところが、世界反ドーピング規定で16歳以下の競技者は「要保護者」とされ、処分には柔軟な対応をとるよう求められている。資格停止は最長でも2年、最も軽い処分はけん責のみにとどめるというものだ。CASはこの点を考慮し、ワリエワの出場継続が妥当との裁定を下した。

だが、たとえ15歳だとしても、ワリエワは世界屈指のトップスケーターだ。周囲にはコーチやチームドクター、スタッフらが大勢付いている。なぜ禁止薬物が体内に入ったのか、その点はしっかり解明されなければならない。

精神的な動揺のためか、個人種目に出場したワリエワは大きく崩れ、4位となった。フリー演技の直後にはコーチのエテリ・トゥトベリゼ氏が「なぜ途中で諦めたのか。理由を説明しなさい」と詰め寄るシーンがあった。さらに、その傍らで2位となったROCの17歳、アレクサンドラ・トゥルソワも「みんな金メダルを持っている。ないのは私だけ。フィギュアスケートなんか大嫌い。二度と氷の上になど上がらない」とわめき立てた。勝つことばかりに執着し、人間性を欠くようになった五輪の醜態をさらす象徴的場面だった。

結局、ワリエワが出場してROCが優勝した団体の表彰式は大会中に行われなかった。ドーピングに対する調査が引き続き行われるためで、メダルが確定しないまま五輪は閉幕した。

フィギュアスケートでは競技者の低年齢化が問題となっている。燃え尽き症候群やケガに対する懸念が大きいからだ。国際スケート連盟では、五輪や世界選手権の年齢制限を現行の15歳以上(シーズン前の7月1日時点)から17歳以上に引き上げることを検討しているという。

根底に「卓越性」求める勝利至上主義

大会を通じて相次いだトラブルの根底には、卓越性を求め続ける勝利至上主義がある。さらに背後には、国家主義や商業主義が潜む。メダル争いと感動をあおるメディアの報道と国民の期待、SNSの炎上、そして選手にかかる重圧……。ルールを詳細に定め、判定に機械を導入し、ドーピング検査を厳格化しても、フェアプレーの精神が欠けていれば、スポーツの公正さを守るのは難しい。

選手の安全性にも疑義が生じ始めている。特に冬季五輪はアクロバティックな競技が多い。ハーフパイプに設定された雪の壁は高さ7・2メートルもある。トップ選手はそのパイプの縁から5メートル以上も跳んでビッグエアを連発する。高さ約12メートル、建物にすれば地上4階相当という。だが、ミスをして落下した場合の危険について、十分な配慮がなされているようには感じられない。

競技レベルの高度化にも、限界が透けて見える。フィギュアスケートでは羽生結弦が何度も4回転半ジャンプに挑みながら、結局、成功させられなかった。羽生ほどのアスリートが史上初の技に挑戦する価値はある。しかし、今後、誰かが成功させたとしても、次に5回転を跳ぶ選手は現れるだろうか。そもそもフィギュアスケートはジャンプの回転を競うスポーツだったのか。

IOCは昨夏の東京五輪から「より速く、より高く、より強く」の後に「ともに(together)」という言葉を付けるようになった。人々の調和を意識したものだが、一方で、従来のモットーにひずみが生じてきたことの表れともいえる。五輪は本来どうあるべきか、IOCだけでなく、世界の人々が改めて問い直す時だ。

バナー写真:フィギュアスケート女子フリーの演技を終え、泣き崩れるロシア・オリンピック委員会(ROC)のカミラ・ワリエワ(中央)。左はコーチのエテリ・トゥトベリゼ氏(2022年2月17日、中国・北京)ロイター

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