高校の新科目「歴史総合」の可能性と課題:18世紀以降の近現代史に絞り、考え表現する学習目指す

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この4月から、高校の歴史教育が大きく変わる。日本史と世界史を統合し、18世紀以降の近現代史に絞って学ぶ「歴史総合」を全ての生徒が履修する。新科目登場の背景と狙い、今後の課題を解説する。

全国の高校でスタートする「歴史総合」

2022年度、全国の高校で新科目「歴史総合」が必履修科目としてスタートする。これまで高校では「世界史」(正確に言うと教科書の薄い「世界史A」または厚い「世界史B」)と「現代社会」が必ず学ぶべき科目であった。これに対して新しい学習指導要領では、「歴史総合」「地理総合」「公共」が必履修の新科目となる。高校生の時間認識・空間認識・社会認識をバランスよく育むための設計と言えよう。

「歴史総合」では、18世紀以降の近現代史を学ぶ。新学習指導要領では、「歴史総合」の目標を、近現代史における「世界とその中の日本」を広く相互的な視野から捉えながら、①歴史を理解する力、②歴史に関する様々な情報を適切に調べてまとめる力、③歴史事象の意味や特色について多面的・多角的に考察して説明・議論できる力、④近現代史の事象についてよりよい社会の実現のために探究する態度、⑤日本国民としての自覚・自国の歴史への愛情・他国や他国の文化を尊重することの大切さの自覚―などの資質・能力を育成することと定めている。

「歴史総合」は、二つの点について画期的である。第一は、19世紀後半の明治維新以来の日本の中等教育史上初めて、日本史と世界史を統合的に学習する歴史科目が誕生した点である。第二は、歴史用語の暗記学習だけでなく資質・能力を育むことを重視した点、つまり教授内容重視(コンテンツ・ベース)から資質・能力重視(コンピテンシー・ベース)への転換である。

日本史と世界史の統合

明治期の歴史教育では、日本史については「尊王愛国ノ志気ヲ養成」(1881年の文部省「小学校教則綱領」)という目的が重視され、他方、上級学年から始まる万国史については文明開化のモデルとしての西洋史が重視されていた。日本史と万国史は、それぞれ別々の神話を学ぶところから始まり、両者の間の整合性はなかった。日清戦争後の1902年に、文部省は、日本と特に関係の深いアジアの国々を詳細に学ぶ必要があるという理由で、中学校の万国史を東洋史と西洋史に分離した。大学の方でも(東京)帝国大学を皮切りに史学科を日本史学・東洋史学・西洋史学に分割する動きが広がり、日本特有の三科分立体制が定着していった。

戦後の新制高校の出発にあたり、東洋史と西洋史が再びまとめられて世界史が生まれたが、日本史と並列される体制は変わらなかった。多くの高校現場では受験科目に集中するために世界史と日本史のどちらか一方しか生徒に学ばせないようになり、文部省はグローバル化の時代に対応できる人材を育成するために1989年の学習指導要領から世界史を必履修科目にした。

これに対してグローバル化の時代だからこそ自国の歴史を学ぶべきではないかという日本史必修論が高まり、他方では日本史を必修化した場合に世界史を学んだことのない生徒が増加することへの危惧も高まっていく。双方の主張を受けて、2011年に日本学術会議が日本史・世界史を統合した新科目の設置を提言し、最終的には文部科学省の中央教育審議会の議論を経て「歴史総合」が誕生することになった。

コンピテンシー・ベースの歴史学習

これまで日本史と分離した形で世界史が学ばれてきたことには、功罪の両面がある。メリットとしては、諸外国では自国に関係した他国の歴史しか学習しないケースが多いのに対し、日本では他国の歴史を体系的に詳しく学習してきた。デメリットとしては、世界史では多くの歴史用語を暗記しなければ大学入試で得点できないために、教科書に膨大な歴史用語が盛り込まれてきた。

特に1980年代以降、中東史や東南アジア史など地域研究の成果と新たな現代史が加筆された結果、世界史の「過積載」は一層進んだ。初期の世界史教科書である『改訂版世界史』(山川出版社、1952年)は本文365ページに対し索引の歴史用語が1308語であったが、半世紀後の『詳説世界史B』(山川出版社、2003年)は本文388ページに対し歴史用語が3379語にのぼっている。歴史用語が2000語以上も増加したのだった。他社も大同小異である。結果として、世界史の暗記地獄を敬遠する動きが広がり、センター試験(共通テスト)の世界史選択者の減少が深刻化した。

日本史も用語の氾濫に大差ないが、中学時代までに習得した知識がある。しかし、日本史に登場する世界史の要素は圧倒的に少なく、そのことが各時代の世界情勢の中で日本人のとった選択に対する生徒の見方を左右してきた。例えば、第一次世界大戦後に国際協調路線が「新外交」として台頭し、帝国主義路線の「旧外交」と並存したことについて、このことに言及する世界史教科書から見るのと、あまり言及しない日本史教科書から見るのとでは、ワシントン会議に臨んだ日本代表に対する意義づけの仕方が大きく変わってくると言えよう。

ゆえに世界史と日本史を統合することと、暗記する知識が倍増しないことが、同時に実現されなければならない。そのために「歴史総合」は、歴史の見方・考え方を身につけるコンピテンシー・ベースの科目とすることを柱とし、対象とする歴史を近現代の三つの大きな変化、すなわち「近代化」・「国際秩序の変化や大衆化」・「グローバル化」に焦点化することになった。網羅主義と決別し、あらためて歴史を再構成する科目となったのである。

「歴史総合」の可能性

「歴史総合」は2単位(週あたり50分授業2コマ)の小さな科目である。しかし、これまでの授業スタイル――教員が配布するプリントの空欄に歴史用語を記入して、テスト前に必死に暗記する(テストが終われば3日で忘れる)歴史学習――から、資料を読んでその時代にどのような変化が起こっているのかを「問い」の形で表現し、その答えを探究するような授業への転換が図られようとしている。

教科書にも多くの「問い」の例が提示されている。例えば、『詳述歴史総合』(実教出版、2022年)の「明治維新」前後のページでは、「オスマン帝国、エジプト、タイ、清の近代化への動きと、幕末にはじまる日本の近代化への動きを比較してみよう」とか、「身分制の廃止は、フランスと日本でどのようにすすんでいったのか比較してみよう」といった、歴史をより深く考えるための「問いかけ」がなされている。しかもこれらの問いのなかには、世界史と日本史に橋をかける内容が含まれている。

また、資料から情報を読み取って歴史解釈をしたり、多面的・多角的な考察を試みたりしながら、思考力・判断力・表現力を磨く工夫が、教科書にふんだんに盛り込まれた。例えば、『明解歴史総合』(帝国書院、2022年)の「戦間期の東アジア」に関わるページには、ワシントン会議をめぐる日本の世論や軍部のなかで支持と反発の双方の流れが起こったことが紹介され、「世界恒久平和の曙光」というタイトルの『大阪時事新報』の記事が掲載されている。そして「新聞は、軍縮への動きをどのようにとらえているだろうか」という問いが提示されている。

「歴史総合」によって、知識を詰め込む歴史学習から、知識を使って考え、表現する歴史学習への転換の可能性が生まれているのである。

「歴史総合」の課題

もちろん「歴史総合」には課題も多い。各教科書はなるべく多くの知識を盛り込もうとしており、「過積載」の習性が抜けない。教科書の隅々から入試問題が作られれば、またもや高校では知識の詰込みに終始することになるだろう。

また、世界史と日本史の統合について多くの教科書は、世界はこうであり日本ではこうだったという「並列の記述」にとどまっている。

大学の歴史研究においては3科分立体制が今もなお続いているが、グローバル・ヒストリーのような統合的歴史分析の新たな潮流なども生まれている。しかし、例えば日本の高度経済成長についての教科書記述を見ると、ほとんどの教科書が国内要因のみから説明しており、冷戦体制のもとの国際分業やアジア経済の復興と関連づけて記述しているわけではない。

国内目線の分析だけでは、日本経済がその後に直面する壁を「制度疲労」としかとらえられないことになりはしないだろうか。真にダイナミックな世界史と日本史の統合のためには、さらなる努力が必要であろう。

歴史実践の主体を育てる

最後に「歴史総合」のもう一つの意義について私見を述べたい。これまでの歴史の学習は、知識の量において圧倒している教師が、生徒を啓蒙するスタイルで進められてきた。しかし生徒それぞれにも生きてきた背景と世界観があり、そこから紡ぎ出される歴史認識は、教師との間で優劣があるわけではないと、私は考えている。私の方が確かに豊富な歴史知識を持っており、歴史に向き合う経験を重ねてきたのであるが、生徒の歴史認識に未熟なところがあるのは、私の歴史認識に未熟なところがあるのと同じである。

私は、生徒を対等な探究者(歴史実践者)としてリスペクトしたい。教師と生徒がともに正解のない歴史の課題を考えるような「歴史総合」の授業が、私の目標なのである。

バナー写真:「歴史総合」(手前右)と「公共」「地理総合」の教科書=2021年3月撮影(時事)

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