北京五輪と中国:もとより約束された「成功」 露骨な政治的ふるまいが意味するもの

国際・海外 スポーツ

欧米諸国の「外交ボイコット」という異例の環境下で開催された北京冬季五輪。筆者が中国国内で見たこの大会は、習近平体制による「政治的メッセージ」が色濃く表れた一大イベントだった。

「世界の溝の深さ」示した開会式

1月に中国東北部の遼寧省瀋陽市に赴任した。中国と米国の対立が先鋭化するなか、北京冬季五輪をめぐっても摩擦が強まっていた時期だった。

筆者も北京冬季五輪には大きな関心があった。思い出していたのは、韓国で開かれた平昌冬季五輪のことだ。

4年前、筆者は平昌冬季五輪の開会式をスタジアムの中で取材した。

平昌冬季五輪では、韓国の文在寅・大統領が南北統一チームの結成などを呼びかけ、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長(当時)が応じた。「平和五輪」を自らの功績としたい国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の意向も重なり、開催直前に南北合同入場やアイスホッケー女子の南北合同チーム結成が決まったのだった。

開会式では韓国と北朝鮮の旗手が、朝鮮半島が描かれた「統一旗」を掲げるのを先頭に、選手団が入場。幾重にも重なった政治的思惑による産物ではあっても、実際に目にした「コリア選手団」に観客席は興奮し、感動的な空気が流れた。

政治が主導する北朝鮮との融和に拒否感を示す韓国市民も少なくなかったが、「平和の祭典」の演出に一定の効果をもたらしていた。

今年2月に開かれた北京冬季五輪はどうだったか。

中国・新疆ウイグル自治区の人権状況などを理由に、米国、英国、カナダ、オーストラリアなどが大会に外交団を派遣しない「外交ボイコット」を表明した。日本も政府高官の派遣を見送った。

4日夜の開会式にはロシアを含む20以上の国の要人が出席した。中国の友好国の首脳らの姿と、「米欧」側の不在。世界の溝の深さがくっきりと浮かび上がった。

台湾選手団入場の際の「異変」

ウクライナ情勢が緊迫する中で迎えた五輪でもあった。

中国の習近平国家主席は開会式に先立ち、ロシアのプーチン大統領と会談した。中国外務省の発表によると、習氏は「中国とロシアは志を変えず、背中合わせの戦略協力を深める」と強調。プーチン氏は「中国との協力を一層緊密にし、主権と領土保全を守ることを互いに支持したい」と述べた。

中ロの共同声明は「両国の友好に終わりはなく、協力にタブーはない」とうたった。プーチン氏が主張してきた「北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大反対」も明記された。

筆者は赴任したばかりで北京冬季五輪の会場では取材できず、開会式はテレビ中継で見守った。

台湾選手団の入場の際、「異変」が起きた。会場では従来通り「チャイニーズ・タイペイ(中華台北)」とアナウンスされる一方、中国国営中央テレビ(CCTV)のアナウンサーは「中国台北」と呼んだ。

これには伏線があった。

中国政府の関係者が「中国台北」という呼称を使ったため、台湾はいったん開会式への不参加を表明した。その後、IOCの要請を受け入れる形で、開会式に参加することを決めていた。

「中国台北」という呼称には、台湾が中国の一部であることを強調する意図が込められている。中国は、国外向けには従来の方針を踏襲し、国内には台湾が中国の一部であるとアピールしたことになる。

CCTVの中継は、台湾選手団が入場した時に貴賓席にいる習氏を映し出した。香港選手団が続いて入場した際にも、カメラは習氏をとらえた。

外交ボイコットに対して「スポーツの政治化だ」と強く反発した中国だったが、開会式には数々の政治的なメッセージが込められていた。

聖火リレー最終走者に見た中国政府の意思

フィナーレの演出からも、強烈な主張が読み取れた。聖火リレーの最終走者の一人が、ウイグル族のジニゲル・イラムジャン選手だったのだ。

「米欧」側の外交ボイコットは、中国政府が少数民族のウイグル族らに対し、強制収容を含む人権侵害をしていることなどが理由とされた。米ニューヨーク・タイムズ紙は「挑発的な選択」との見出しを掲げ、「ホスト国に対する最大の批判に、真っ向から対峙した」と報じた。

筆者も、この最終走者の選択は「ウイグル族の人権をめぐる国際社会からの批判には、一切耳を貸すつもりはない」という中国政府の意思表示だと受け止めた。

中国外務省の趙立堅副報道局長は3日後の定例会見で、「中国が、民族が団結した一つの大家族であることを体現した」と述べている。

五輪期間中も、中国側の露骨な政治的ふるまいが目についた。

大会組織委員会の厳家蓉報道官は17日の記者会見で、新疆ウイグル自治区での少数民族に対する人権侵害は「下心によってでっち上げられたうそだ」と主張した。「台湾は中国の一部だ」とも発言した。

中国政府の立場を代弁する発言に、政治的中立を守るべき立場である組織委の報道官としてふさわしくないという声が上がった。

中国の人権状況について触れることに、選手たちは慎重だった。大会組織委員会が国内法に基づく処罰をちらつかせたことが背景にある。

中国に寄り添い続けたIOC

もともと22年冬季五輪の招致レースでは、巨額の開催経費への不安などから、冬季競技が盛んな欧州の都市が撤退していった。最終的に残ったのは、北京とアルマトイ(カザフスタン)の2都市だった。

そして北京は、夏季五輪と冬季五輪の両方を開催する初めての都市となった。

IOCは中国に寄り添い続けた。円滑な大会運営を優先し、人権問題を中国にただす姿勢は見えなかった。

中国共産党の元高官から性的関係を強要されたとSNSで告発し、一時は行方不明になっていたテニス選手の彭帥さんと談笑しながら競技を観戦するバッハ会長の姿は、その象徴として人びとの記憶に刻まれただろう。

五輪「成功」の大合唱

2月20日の閉幕後、中国政府は五輪の「成功」を宣伝している。

国営新華社通信は、コロナ下での五輪開催について「習近平同志を核心とする党中央の強力な指導のもと、14億超の中国人が心を合わせて協力し、困難を克服した」と評した。中国共産党の機関紙・人民日報は「開放的で希望に満ちた中国のイメージを世界に示した」と伝えた。

中国は力ずくとも言える「ゼロコロナ政策」で新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込み、五輪を開いた。

習氏は五輪の「成功」を功績の一つとして、今年後半に開かれる5年に一度の共産党大会に臨み、異例の3期目に入る見通しだ。北京冬季五輪は習氏が「自ら計画し、自ら推進した」(新華社通信)と伝えてきた政権にとって、もとより約束された「成功」だった。

ウクライナ情勢への対応に苦慮

国際社会の関心は中国の人権問題から、五輪期間中に緊迫の度を増していったウクライナ情勢に比重を移していったように見える。

それは中国にとって一種の「追い風」になったのかもしれないが、ウクライナ情勢への対応に中国は苦慮し続けている。

ロシア軍は2月24日、ウクライナへの全面的な侵攻を開始した。中国政府は一貫してロシア寄りの姿勢を崩さず、国連総会でのロシア非難決議案の採択では棄権した。ロシアの行動を「侵攻」とも認めていない。一方でウクライナは、これまで良好な関係を保ってきた国だ。

3月4日には北京冬季パラリンピックが開幕した。習氏も出席した開会式の中継で、CCTVが国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長のスピーチの一部を中国語で同時通訳しなかった。映像はネット上から削除されている。

ロシアがウクライナに侵攻したことを念頭においた「平和のメッセージ」を発したパーソンズ氏は、「21世紀は対話と外交の時代であって、戦争と憎しみの時代ではない」とし、「五輪休戦決議は尊重されるべきだ」と訴えた。

締めくくりの「ピース!」という叫びも訳されなかった。パーソンズ氏の言葉を通して、ロシアへの非難とウクライナへの共感が広がり、中国の対応も批判の俎上にのぼることを懸念したのではないかと指摘されている。

2008年の北京夏季五輪から14年。中国の国内総生産(GDP)は3倍超となり、国際社会における存在感と発言力は大きくなるばかりだ。

それでも、都合の悪い情報は遮断してしまい、国内に聞こえないようにする。周囲が考えているほどには、政権が盤石でないことの表れだろうか。「スポーツの政治化」という批判は、中国自身に鋭く向けられていることを忘れるべきではない。

バナー写真:北京冬季五輪の閉会式で、貴賓席から手を振る中国の習近平国家主席=2022年2月20日、北京市の国家体育場(AFP=時事)

中国 五輪 習近平 北京冬季五輪