繰り返される政府統計の不正:分散型の制度やめる根本改革を

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国土交通省が担当する建設工事受注の統計で「長年調査票を書き換えていた」との驚くべき不正が明らかになった。日本統計学会元会長の筆者は、この機会に政府の統計制度を根本的に改革すべきだと指摘する。

「総点検」からわずか3年でまた

2021年12月、国土交通省の「建設工事受注動態統計」で、調査票を書き換えるなどの不正行為が行われていたことが明らかになった。3年前に厚生労働省の「毎月勤労統計」で不正行為が発覚して政府統計の総点検が行われ、各省で是正措置が取られたにもかかわらず、その後も不正が続けられていたことは驚くべきことであり、政府統計に対する信頼を揺るがすものである。

しかし、関係者の責任を追及し処分するだけでは、同様の事態発生を防ぐことができない。そこには背後に日本の統計制度の根本的な問題があり、それを是正しないことには問題は解決しない。その点について私論を述べたい。

分散型の統計制度の欠点

 問題の根本的な原因は、人員と予算の慢性的不足にある。そのことは日本の分散型統計制度、すなわち政府統計全体を統括する中央統計局がなく、統計作成の業務が関係する省庁の分担とされて、その一般的行政事務の中に組み込まれていることに起因している。

人事はその省庁の人事循環の中に組み込まれ、予算は行政予算の全般的な制約のもとに置かれている。そのため行政改革が行われるたびに、発言力の弱い統計部局はその「しわ寄せ」を被り、そのランクは格下げされ、人員は削減され、予算は一層厳しく制約されることになる。

統計の現場職員の知識、経験の蓄積は失われ、管理職には統計の専門的知識と経験を持たない人が就くことが多くなって、統計部局の専門性とモラルのレベルが低下する。このことが長年続けば政府統計の質は低下し、信頼性は失われる。統計不正事件の続発はその一つの兆候である。

しかし、分散型の統計制度は日本の政府統計制度の歴史に根付くものであって、その問題点を理解するには歴史を顧みなければならない。

紆余曲折たどった明治期の統計制度

日本に初めて「統計」なるものが知られたのは、幕末期にオランダの統計書を通じてであった。福沢諭吉らの知識人がその内容に魅せられ、重要性を認識した。幕府はオランダに派遣した留学生に統計を学ばせたが、幕府が統計を作成することはなかった。

明治になると、新政府は各省に製表課を置いて統計書を作成した。しかし、統計調査は行われず、各省は行政機構を通じて得た報告から統計を作成した。

日本における統計の発達は、他の近代の諸制度とは違って直線的ではなかった。統計に関心を持つ政治家(大隈重信)が政権に入ると統計の制度は拡大強化されたが、政権を去ると次第におろそかにされ衰退した。

杉亨二(すぎ・こうじ)(※1)らの熱心な運動にもかかわらず、統計調査の発展は遅れ、国勢調査と名付けられた人口センサスがようやく行われたのは1920年で、欧米先進国に大きく遅れていた。

「国力把握のため」統計を必要とした軍部

第一次世界大戦が状況を変えた。戦争が長期化し泥沼化すると、国を挙げての総力戦となった。この状況を見た軍部は次の戦争に備えて、軍備の増強とともに国力の充実、産業の育成、統制を主張し、国力把握のための統計の必要性を認識した、そこで統計の中央統括機関として国勢院がつくられた。

第1回の国勢調査が実施された後、国勢院は解体されたが、その後に内閣統計局がつくられ、5年ごとに国勢調査を、大規模調査と簡易調査を交互に行うこととなった。統計局は人口動態統計、国富統計、国民所得統計などを作成し、家計調査などを実施した。各省がさまざまな調査を実施し、地方自治体や民間の調査も行われて、1920年ごろを転機として日本の統計は充実した。

戦時下の統計崩壊

1931年に満州事変が勃発して戦争が近づくと、統制経済化が進んで、各省庁は統制のための資料として多くの統計数字を求めた。しかし、統計の総合調整機関が存在せず、統計の専門性を持たない政策部局がそれぞれ勝手に調査を行ったために、多くの統計が重複し、それぞれの数字の信頼性は低く、多くの矛盾を生じて統計は混乱した。

統計が国家機密としてその公表が制限されるようになると、各省庁はそれぞれの持つ統計を「抱え込んで」、政府内でも情報の流通が悪くなった。数字の秘匿やねつ造も行われ、統計の信頼性は失われた。

分散型の統計制度の欠陥が露呈したが、政府の中枢部は統計の重要性を理解せず、是正の措置を取らなかった。

戦後の制度改革とその後の停滞

敗戦後、米国の占領軍司令部は日本の政府統計が信頼できないことに気づき、統計制度の改革を指令した。吉田茂首相も日本経済再建のために信頼できる統計が必要であることを認識して、大内兵衛を長とする統計委員会をつくって改革を進めた。

政府統計の基本法として統計法が制定され、指定統計の精度が定められた。統計職員の専門性と独立性が強調された。強力な中央統計局をつくる構想は各省庁の強い反対で実現しなかったが、総合調整のために行政管理庁に統計基準部が置かれた。重要な省の統計部局は大きく拡充され、その長には学者や統計専門家が就任した。

比較的短期間に政府の主要な統計、統計調査の体系がつくられ、日本の統計の骨格が完成した。ランダムサンプリングの方法が導入され、調査のシステムも整備された。

しかし経済再建が進み。統制が緩められ自由化が進むと。経済政策のための統計の必要性は減少した。政府の統計に対する関心は低下した。

このような状況の中で、前記のような過程が長期にわたって進行し、統計部局の縮小、専門性とモラルの低下を生じた。それは政府統計の質の劣化、信頼性の喪失を意味している可能性が大きい。頻発する統計不正事件はその一つの兆候である。

21世紀の改革も「分散型」は変わらず

21世紀になると政府統計の問題点も提起され、統計制度の改革を求める声が高まった。そこで2007年に統計法の大改正が行われ、政府統計の「司令塔」としての統計委員会が設けられるなどの改革が行われた。

しかし、分散型の統計制度の基本的枠組は全く変わらなかった。統計委員会は人員、予算に関する発言権は全くなく、統計全般に対する監督。監査権も持っていないので、単なる諮問委員会にとどまっている。

結局、分散型統計制度の欠点が是正されなかったことは、統計不正事件が改革後も続いていたことから明らかである。

独立した中央統計庁設立を

そこで私は、分散型の統計制度を根本的に変えて、他省庁から完全に独立した中央統計庁をつくることを提案したい。

その趣旨は2点ある。一つは統計を一生の仕事として、高い専門性と熱意を持って従事する職員を養成任用することである。統計専門家の養成を、各省庁がそれぞれ別個に行う能力はない。また省庁の横断的人事が行われない状況の下では、統計業務の専門性を確保するにはそれを一カ所に集中するしかないし、それが効率的でもある。

もう一つは、統計の改善・刷新のための企画・設計を、各省庁の業務から離して統合することである。経済・社会の現実は絶えず変化しているので、それを適切に把握するには統計は機動的に対応しなければならない。問題は一省庁の担当分野に限定されるとは限らないし、定められた統計の作成に追われている各省庁の部局が機動的に対応するのは困難である。

また自然災害、エピデミック、戦乱、経済恐慌などの非常事態の発生に際して、その実態と影響とを速やかに把握し、対策の基本政策の基礎とするために臨時の統計作成を行う必要がある。それは対応に追われている担当省庁では不可能で、能力のある統計専門機関が行わなければならない。実はこのことが全く認識されておらず、統計的データの根拠がないままに大規模な政策が実施されて、大きな間違いと混乱を引き起こし、結果として巨額の損失と無駄を生じている。このことは東日本大震災や、新型コロナウイルス問題においても明らかである。

中央統計庁は、他省庁から人事・予算について完全に独立して、統計専門家を長にし、次のような業務を行うものとする。

  1. 国勢調査をはじめ、各省庁の行ってきた全ての定期的統計調査を実施
  2. 現在内閣府で行われている国民経済計算をはじめとする加工統計の作成
  3. 政府統計の編集、個票を含む政府データの管理・保全、統計書の作成、電子データの編集・配布
  4. 全ての統計の基準の設定、統計作成の指導、監査
  5. 必要に応じた臨時統計の作成
  6. 統計に関わる制度、方法の研究
  7. 統計の専門家および技術者の教育・養成
  8. 外国及び国際統計機関との協力、交流、外国統計の収集分析
  9. 学会、研究所、大学、民間研究機関との協力

このような中央統計庁の設立には政治的決定が必要となる。これまで日本の統計の発展は、政治的決定を契機として行われた。現在日本の政治家やジャーナリズムの間で、統計に対する関心は低いと言わざるを得ない。影響力のある政治家や有識者が、統計の重要性と現在の日本の統計の危機的状況に気づいて、真の統計改革の実現に尽力されることを強く希望して、この稿の結びとしたい。

(注)この稿を書くにあたり、島村史郎『日本統計発達史』(日本統計協会刊)に負うところが多かった。感謝とともに注記したい。

バナー写真;衆院予算委員会で国交省の建設工事統計データ書き換えを認め、陳謝する斉藤鉄夫国土交通相(左手前)。右下は岸田文雄首相=2021年12月15日、国会内(時事)

(※1) ^ (1827-1917)日本の最初の統計学者。オランダの統計書を読んで統計の重要性を認識し、最初は明治新政府の役人、後に民間人として統計・統計調査の実現のために尽力。また統計の普及に努め、多くの弟子を育てた。

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