「五輪休戦決議」をも踏みにじったロシア―戦時下の今こそよみがえらせたいノエルベーカー氏の思想

スポーツ 国際・海外 政治・外交 歴史

ウクライナを軍事侵攻したロシアに対し、国際スポーツ界がこぞって抗議する意思を表明している。ロシアに協力したベラルーシも加え、両国の選手や役員を国際大会から除外する制裁が続く。暴挙を止めるために世界が結束を強める中、スポーツ界もそれに連動しているのだ。こんな戦時下の今こそ、五輪メダリストとして唯一、ノーベル平和賞を受賞した英国人、故フィリップ・ノエルベーカー氏の「スポーツは最も崇高な平和運動である」という思想をよみがえらせたい。

「大会開催の危機」に陥ったパラリンピック

パラリンピックの開幕を翌日に控えた3月3日、北京の選手村は不穏な空気に包まれていたという。その前日、国際パラリンピック委員会(IPC)の理事会はロシアとベラルーシの選手らを「中立的立場」として大会に参加させることを決定した。国歌や国旗を使わせず、ユニホームのエンブレムも覆い隠すよう命じた。

両国の選手たちに軍事侵攻の直接的な責任はない、「中立」という個人資格で参加すれば競技する権利は守られる、とIPCは考えたのだろう。閉幕したオリンピックでも、ドーピングが問題になっているロシアの選手たちは国の代表ではなく、「ロシア・オリンピック委員会」の一員として個人資格で大会に出場した。それに準じた形ともいえた。

しかし、他国の選手たちはIPCの判断に納得しなかった。ロシアやベラルーシの選手との対戦は拒否するという声や、大会をボイコットするという意見が選手村でエスカレートしていく。結局、理事会の決定は1日にして覆り、両国は大会から除外されることになった。

「ロシアとベラルーシの選手たちが北京に残っていれば、各国は撤退する可能性がある。我々はもはや大会を開催できなくなる。そうなれば、影響はさらに広範囲に及ぶだろう」

IPCのアンドルー・パーソンズ会長は、方針転換した理由をそう説明した。まさに大会が開催できるかどうかの危機に陥るほど、選手たちから強い反戦の意思が示されたのである。4日夜の開会式で、パーソンズ会長は「今夜はまず、平和のメッセージから始めなければならない。21世紀は対話と外交の時代のはずだ。戦争と憎しみの時代ではない」と訴え、最後には両拳を握り締めながら「ピース」と叫んでスピーチを締めくくった。

国家と一体化したロシアスポーツ

ロシアやベラルーシの選手たちに対する同情の声は広がらなかった。もし両国の選手たちが自らの言葉で反戦の思いを口にしていたら、展開は変わったかもしれない。しかし、独裁的な国家では、そのような意思表示は許されないのだろう。

ロシアのスポーツ界は、旧ソ連時代から国家の手厚い保護を受けてきた。ソ連崩壊後はプロアスリートとして活躍する選手も増えたが、多くの競技は今も国の影響下で強化を進め、プーチン大統領が目指す「強いロシア」を示す存在となっている。検査機関の不正が明るみに出た組織ぐるみのドーピングも、国家とトップスポーツの強化が一体化していることの証左だ。

独裁体制を敷くベラルーシも同様だろう。ルカシェンコ大統領自身がかつては国内オリンピック委員会の会長を務め、「選手が政治的差別から守られていない」と国際オリンピック委員会(IOC)から除外制裁を受けたこともある。昨夏の東京五輪では、陸上女子短距離の選手が出場種目への不満をSNSに投稿したところ、強制帰国を命じられ、羽田空港で助けを求めて最終的にはポーランドに亡命する一件もあった。

ロシア選手たちの愛国主義的行動

ウクライナでの軍事展開が続く中、ロシアのアスリートらの首をかしげざるを得ない行動も目に付く。

ドーハで行われた体操の種目別ワールドカップでのことだ。男子平行棒で3位に入ったイワン・クリアクが、胸に「Z」のマークの白いテープを貼って表彰台に上がった。「Z」マークは、ウクライナを侵攻するロシアの軍用車両に描かれているものであり、ロシア国内では勝利を象徴する意味だという。同じ表彰台にはウクライナの選手も上がっていた。どのような思いでこのマークをアピールしたのか。

この振る舞いに関連して、欧米メディアはロシアの元体操女子のスター選手、スベトラーナ・ホルキナさんが「Z」マークを拡散する活動を展開していると報じた。ロシア人であることを恥じないというキャンペーンなのだという。

さらに、フィギュアスケートの元五輪金メダリスト、エフゲニー・プルシェンコ氏がインスタグラムに英語とロシア語を交えて「私はロシア人だ!私はロシア人であることを誇りに思う!!!」と投稿し、ロシア語だけの部分には「ロシア人よ、顔を上げて世界に出ていってください。恥ずかしがることはない。誇りを持ってください」と愛国心を刺激するコメントを書き込んだ。

世界ではロシア人への差別意識が高まっている。それに反発する思いがあったとしても、ウクライナでは罪なき多数の市民が亡くなっている。彼らは本心からこのような行動に出ているのか。それとも国家のプロパガンダ(政治的宣伝)に利用されているだけなのか。

IOCは国際競技団体にロシアとベラルーシを除外するよう勧告し、スポーツ界は両国の排除に動いている。今後、世界が「スポーツの仲間」として彼らを再び迎え入れるには、軍事侵攻の停止だけでなく、国家体制やスポーツ界そのものが変わらなければならない。

スポーツの人、平和の人

プーチン大統領が核による攻撃をちらつかせ、日本でも安倍晋三元首相が米国の核兵器を国内に配備し、共同運用する「核共有」の議論をすべきだという意見を主張している。ロシアの侵攻を止めようとNATO(北大西洋条約機構)軍が少しでも動き出せば、第三次世界大戦が勃発しかねない危険な状況だ。

こんな時代に、思い出されるのが「スポーツの人、平和の人(Man of Sports, Man of Peace)」と呼ばれた英国人、フィリップ・ノエルベーカー氏(1889~1982年)である。1977年夏、広島で開かれた核兵器廃絶の国際シンポジウムでこう訴えた。

「世界の被爆者たちよ、我々は自由をもって生まれたが、第三次世界大戦の恐ろしい準備活動の奴隷になっている。軍国主義者たちは、平和共存はむなしい夢であり、軍備が安全保障に必要不可欠だといい、現実主義者を自認している。しかし、彼らは幻滅の予言者である」

ノエルベーカー氏の平和運動の原点は、第一次世界大戦にある。現役アスリートでもあった頃だ。キリスト教プロテスタントの一派、クエーカー教徒だったノエルベーカー氏は、教えに従って前線の戦闘に参加することを拒否したため、傷病兵の輸送部隊に配属されたという。しかし、兄はこの戦争で片足を切断する重傷を負った。家族にも及んだ戦争の悲惨さに、心を痛めたのは想像に難くない。

当時、ケンブリッジ大を出て英国労働党員となり、スポーツと並行して政治活動にも関わっていた。1918年に戦争が終結すると、翌年にはパリ講和会議にも参加し、国際連盟発足の草案作成にも携わった。

第一次大戦後、最初のオリンピックとなった1920年大会は、ベルギーのアントワープで開かれた。この五輪でノエルベーカー氏は陸上1500メートルで銀メダルを獲得する。その4年後のパリ五輪にも出場を果たした。英国陸上界と五輪を描いた名作映画「炎のランナー」と同じ時代を生きた人だ。

共鳴したのは、近代オリンピックの始祖、ピエール・ド・クーベルタンの思想だった。人種、民族、国籍、宗教といった垣根を越え、各国から集まった若者がスポーツを通じて交流する。相手を互いに尊重するフェアプレーの精神と友愛の情が培われ、世界の平和に結びつく。それが五輪運動の根本である。

1929年に国会議員となり、一貫して反核の平和軍縮活動を続けた。ノーベル平和賞を受賞したのは、第二次世界大戦終結から14年後の1959年のことだ。

のちにこんな言葉を残している。「私が仕えたすべての国際的な活動の中で、スポーツは最も崇高なものだ」「核時代の中にあって、スポーツは人類の最上の希望である」「オリンピックこそ史上最大の平和運動である」――。

パラリンピックも、その起源は第二次世界大戦で負傷した兵士の社会復帰を目指し、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で開かれたアーチェリー大会にある。大会には平和への願いが込められている。

昨年12月に国連総会で採択された「五輪休戦決議」は、五輪開幕の7日前からパラリンピック閉幕の7日後まで、世界での戦闘行為を停止することを求めている。ロシアの行動はこの約束をないがしろにするものだ。

世界の人々が分け隔てなく交流できる場を守るためにも、スポーツの役割は小さくない。我々は再び戦争の現実に直面している。改めて歴史に立ち返り、公正な世の中を取り戻さなければならない。

バナー写真:北京パラリンピック開会式で挨拶する国際パラリンピック委員会のアンドルー・パーソンズ会長。拳を握り締めて「ピース」と叫び、強く平和を訴えた(2022年3月4日、北京・国家体育場)ロイター

国際パラリンピック委員会 ウクライナ侵攻 北京パラリンピック ノエルベーカー 五輪休戦決議