「新しい資本主義」に求めるもの─岸田首相が描くグランドデザイン

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岸田文雄政権が看板政策の1つとして掲げる「新しい資本主義」。政府は今春をめどに実行計画をまとめようと、 2021年10月から4回に及ぶ実現会議を開いてきたものの、筆者は日本経済が直面する重要な課題が抜け落ちていることに警鐘を鳴らす。

2つの基本的な考え方

岸田文雄総理は、2022年2月号の『文芸春秋』に「私が目指す『新しい資本主義』のグランドデザイン」という論文を寄稿している。以下、この論文に基づいて、岸田総理の掲げる新しい資本主義について考えてみたい。これによると、岸田総理の言う新しい資本主義には、2つの基礎的な考え方があるようだ。

1つは、新自由主義からの脱却である。総理は「市場や競争に任せればすべてがうまく行くという考え方が新自由主義である。このような考え方は、1980年代以降、世界の主流となり、世界経済の原動力となったが、格差や貧困の拡大、気候変動問題の深刻化などの弊害も顕著になってきた」としている。そしてこうした問題意識の下に「市場の失敗がもたらす外部不経済を是正する仕組みを、成長戦略と分配戦略の両面から、資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化すべく、新しい資本主義を提唱していく」としている。

もう1つは、分配問題の重視だ。総理は、「成長なくして分配なし」という指摘は事実ではあるが、他方で「分配なくして成長なし」というのも事実だとする。成長のためには、供給側のイノベーションや生産性の向上が必要だが、同時に、国民の可処分所得を増大させ、消費を増やしていくことが不可欠だからだ。

目新しさに欠ける政策

そして、こうした基本的な考え方の下に、人的投資の促進、賃上げの実現、スタートアップの促進、戦略物資の安定供給確保のためのサプライチェーンの強靭(きょうじん)化、デジタル技術を活用した地域の活性化、「2030年度の温暖化ガス40%排出削減、2050年度のカーボンニュートラル」の実現などの政策を示している。

これらの政策は、いずれも多くの人が賛同するもので、特に目新しいものではなく、「新しい資本主義」と名付けるほど画期的なものだとは言えない。注目すべきは、その新しさではなく、2012年末から20年までの安倍内閣の下で展開された一連の経済政策、いわゆるアベノミクスとの違いにある。すなわち、アベノミクスの特徴は、経済成長優先と官邸主導の政策運営であった。アベノミクスにおいて大々的に推進された三本の矢という政策は、大胆な金融緩和、機動的な財政支出、民間投資を喚起する成長戦略からなるものであり、いずれも経済の拡大を目指したものだった。また、多くの課題に対して、総理が強いリーダーシップを発揮して、官邸主導の政策運営が行われた。

岸田政権の誕生は「疑似政権交代」

これに対して岸田政権は、成長と並んで分配を重視するという姿勢を示しており、政策運営に際しては、いわゆる「聞く力」を前面に出して、できるだけ周囲の意見を集約しようとする姿勢を示している。こうした従来のアベノミクスとの違いが目立つということは、岸田政権の誕生が、いわゆる「疑似政権交代」だったとの見方を裏付けるものである。すなわち、自由民主党がカバーしている政策領域が、かなり幅広いため、同一政党内での右派的な安倍政権から、途中で短期の菅政権を挟んだ左派的な岸田政権へのシフトは、あたかも保守的な与党から革新的な野党への政権交代が行われたのと同じような効果を持っていたということである。岸田政権になった直後の衆議院選挙で、自由民主党が大勝したのは、この疑似政権交代が有権者の支持を集め、逆に野党は自分たちの主張を与党に取り込まれてしまったからだと考えられる。

こうして安定的な政治的基盤を築いた岸田政権は、新しい資本主義の政策を具体化していくことになるのだが、その際、次のような課題について、さらに議論を深めていくべきだと思う。

「新しい資本主義」への違和感

第1は、新自由主義からの離脱という考え方についてである。これは一般向けのスローガンなのだから、細かいことにこだわらなくてもいいということかもしれない。しかし、私は経済学者なので、冒頭で紹介した岸田総理の「新しい資本主義」の考え方について、理論的に違和感を覚える点を指摘しておきたい。

総理は新自由主義を「市場や競争に任せれば全てがうまく行くという考え方」だとして紹介しているが、どんなに市場の機能を重視する経済学者であっても、市場に全てを任せればうまくいくとは考えていない。市場の失敗が起きる分野は多くあり、そうした分野では、政府や制度的規制が必要になることは誰も否定しない。要するに、総理が言うような新自由主義を唱える人は、そもそも存在しないのである。

また、冒頭の総理の考え方では、市場の失敗と分配問題の位置付けがやや混乱しているように見受けられる。理論的には、環境問題など価格メカニズムが機能しにくい問題は明らかに市場の失敗である。しかし、分配問題は市場の失敗ではない。そもそも市場の機能が発揮されれば、経済活動を最大限効率化することは出来るが、その時分配がどうなるかは、市場機能の対象外なのである。市場機能を最大限発揮して、生産、所得を最大化し、政治的な決断に応じて、それを必要に応じて再分配すればよいというのが新自由主義的な考え方なのである。

新たな格差と貧困招いた新型コロナ

第2は、分配問題についての考え方である。この点について総理は、新自由主義の考え方が、格差や貧困問題をもたらしたことから、新しい資本主義が必要だと述べている。市場の競争を通じて経済の効率化を貫こうとするとき、経済は拡大しても、その成果が一部の層に偏り、格差や貧困問題が発生することは事実であり、欧米では現実に所得分配面での格差が拡大したり、中間層が減少して、豊かさが二極化するといった動きがみられる。しかし、日本でも同じ問題が起きているかどうかについては、データに基づいて検証した上で分配政策を進めることが必要である。

この点をデータで確認してみると、格差を示す代表的な指標であるジニ係数は、必ずしも日本の格差拡大を示してはいない。また、国際比較によっても、日本が特に格差の大きな国だという結果にはなっていない。ただし、2020年以降の新型コロナ感染症が、日本に新しい形の格差や貧困をもたらしていることは事実である。新型コロナ感染症の経済・社会への影響は、特に女性の非正規の雇用減少や保育園の休止などを通じて、ひとり親の子育て世帯に大きな困難をもたらすといった動きがあった。分配政策を重視するのであれば、こうした層をできるだけ特定した上で再分配の対象としていくべきであろう。

繰り返されるアベノミクス以降の過ち

第3に、新しい資本主義とは言いながら、それまでのアベノミクス以来の政策的誤りを是正できずに引きずっている面がある。例えば、安倍政権、菅政権においては、新型コロナ感染症への対応として、巨額の経済対策が決定され、それを実現するため補正予算が組まれた。しかし、これらの対策は、政治的アピールのためにはどの程度の規模が必要かがまず議論され、政策内容が十分吟味されたようには見えなかった。同じことは、岸田政権においても繰り返されている。その典型が、国民への現金給付の実施である。2020年春には、全国民への一律10万円給付が実施された。しかし、所得面でのデータで検証すると、これによって消費が増えることはなく、単に家計の貯蓄が大幅に増加しただけに終わっている。岸田政権下では、やや規模を縮小したとはいえ、再び子育て世帯への10万円給付が行われた。2021年においても、家計にはかなりの規模の過剰貯蓄が残っていたことが確認されているので、この現金給付も、その多くは貯蓄に回るだけに終わる可能性が高い。

世代の格差是正が最大の課題

第4に、日本経済が直面している課題には、岸田総理の言う新しい資本主義には含まれていないものも多いことに留意すべきである。中でも最大の課題は財政問題であろう。もともと日本の財政赤字は先進諸国中最悪の状態だったが、新型コロナ感染症への対応のための巨額の財政支出が実施されたため、財政赤字はさらに増大している。さらに、高齢化が進行しつつある日本では、何もしないでも年金、医療、介護などの社会保障費が増大していく。一方で、財源についての議論はほとんど行われていないので、今後も財政赤字は増えていくことになる。この赤字は将来世代の負担になる。格差を言うのであれば、日本の経済社会が直面している最大の格差は、現在世代と将来世代との格差であり、最大の分配問題は、勤労世代に偏っている負担をどう是正するかであろう。「新しい資本主義」というベールによって、こうした重要な課題が覆い隠されてしまわないようにする必要がある。

バナー写真:新しい資本主義実現会議であいさつする岸田文雄首相(右から2人目)=2022年3月8日、首相官邸(時事)

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