高校野球に忍び寄る「二極化」の現実―82点差試合に見える危機

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夏の全国高校野球選手権は今、阪神甲子園球場で熱戦を展開中だ。第104回大会の今年は全国3547校が参加し、各都道府県から勝ち上がった49代表が頂点を争っている。一方、地方大会に目を向ければ、気になる戦いもあった。千葉大会で82点もの大差がついた試合だ。日本の高校野球が抱える「二極化」への懸念が凝縮されているようにも思える。

1イニングに30点以上が入る展開

7月11日、千葉県の長生の森公園野球場で行われた千葉学芸対わせがくの2回戦は、思いも寄らないワンサイドゲームとなった。

甲子園出場経験はなく、千葉県内では中堅クラスの強豪といえる私立の千葉学芸に対し、わせがくは学校法人「早稲田学園」が経営し、通学も選択できる広域性の通信制高校だ。不登校など事情を抱えた生徒が多く、ベンチに入るだけの選手をそろえるのがやっと。14人の選手を登録(2人が欠場)したものの、中には他の部活動を兼ねる野球未経験者も入っていた。

試合は、千葉学芸が一回に32点、二回に33点、三回に9点、四回に1点、五回に7点。わせがくは2安打を放ったものの、1点も奪えず、82―0の五回コールドゲームになった。千葉学芸は51安打で本塁打17本、36盗塁。試合時間は3時間13分にも及んだ。

高校野球で史上最多の得点差試合といえば、1998年夏の青森大会2回戦、東奥義塾122―0深浦が有名だ。今回はそれに次ぐ歴代2位の大差だという。試合中にはわせがくの監督が熱中症の危険を訴え、審判が5分間の給水時間を提案する場面もあったそうだ。

最後まで戦い抜いた選手たちをたたえる記事も多くみられたが、美談だけで終わらせることはできない。このような大差がつく競技環境の違いを改めて考える必要がある。

高校ラグビーの地方大会でも大差試合

他競技にも同じような例がみられる。顕著なのはラグビーだ。全国高校ラグビーの地方大会では、決勝でさえ大差となる試合が多くある。たとえば、昨年の佐賀県予選決勝では佐賀工が213―0で鳥栖工を降し、40大会連続50回目の花園出場を決めた。島根県予選の決勝でも、石見智翠館が出雲を120―0で退けて31連覇を果たした。

野球に比べ、トライが5点など得点形式の違いはあるが、それにしても一方的な試合だ。身体接触がある競技だけに、実力差が大きければ、安全性にも問題が出てくるに違いない。

ラグビー部のある中学校は全国的に少なく、高校から競技を始める選手は多い。一方、強豪校でプレーする選手たちの多くは、小学、中学時代から民間のラグビースクールで経験を積んでいる。その差が高校生の試合結果に表れているといえるだろう。

将来、野球でもこのような状況が起きるのではないか。そのような恐れを感じるのは、文部科学省とスポーツ庁、文化庁が来年度から着手する学校部活動の「地域移行」にまだまだ問題が多いからだ。

改革の背景には、教員の負担軽減がある。まずは公立中学校を手始めに部活動の場を地域クラブなどに移し、指導も地域の住民に任せていくという方針だ。教員の過重労働を考えれば、その方向性は致し方ない。

ただ、受け皿が整っているかといえば、そうではない。日本中学校体育連盟の昨年度の調査によれば、軟式野球部のある中学校は全国で8048校にも及ぶ。そこに所属する野球部員は14万4314人。それだけの中学球児の活動をすべて民間のクラブで賄えるか、指導者はいるのか、クリアすべき課題は少なくない。

ラグビースクールと同様、強豪校への進学を目指す中学生は既にボーイズリーグやリトルシニアといった硬式野球の民間のクラブに入り、腕を磨いている。そうしたチームには甲子園常連校への進学ルートがあるのも現実だ。

中学生のスポーツが「民営化」された場合、受け皿が足りないとすれば、野球から離れていく少年たちが増え、競技人口の減少に直面するに違いない。その状況は高校野球にもいずれ跳ね返ってくる。野球部に力を入れる学校とそうでない学校との格差がいっそう広がっていくことが予想される。今でさえ、部員不足から3校、4校による連合チームが増えている。合同で練習できる機会も少なく、強豪校との差は開くばかりだ。

高校は「中学部活改革」にも協力を

これまで高校の野球部関係者と中学球児や保護者、チーム関係者との接触は基本的に禁じられてきた。スカウト合戦が過熱して不正が起きることもあるからだ。教育の場にはふさわしくない特別な待遇で選手を迎え入れるケースも多く、さまざまな条件提示が行われる。そのような実態が2007年に明るみに出て、高校野球の特待生問題が社会的にクローズアップされた。その後、有識者会議などでの議論を経て、今は「1学年5人以内」という特待生のルールが定められている。

ただ、こうした問題とは別に、今後は高校野球が底辺拡充にも積極的に関わっていくべきではないかと考える。たとえば、野球部のOBが地元の中学生の指導に当たるようなケースだ。

指導だけでなく、審判や大会の運営サイドに高校野球の出身者が多く関わるようになれば、中学部活動の「地域移行」を進める上でも好都合だろう。高校野球は全国津々浦々まで根を張っている。部活動の改革を中学校や中体連だけに任せるのではなく、高校のネットワークも最大限活用すべきだ。

試合方式にも改善の余地

日本の夏の風物詩でもある全国高校野球選手権の醍醐味は、一発勝負のトーナメント戦にある。試合に負ければ、3年生は高校野球に別れを告げることになる。その切なさもファンを引きつける要因の一つだろう。

だが、82点もの大差がつく試合を見過ごすことはできない。野球関係者の間では、以前から高校での「リーグ戦」導入を求める声も根強い。大学野球などの1部、2部、3部のように、秋や春の大会の実績に応じて「クラス分け」を行うことができれば、リーグ戦で数多くの試合ができるだろう。その上で、リーグ戦上位チームによる決勝トーナメントを組むことも検討の余地がある。

熱中症の危険から、猛暑での競技が問題となる昨今だ。夏の大会だからといって、7月(沖縄や北海道は6月下旬)から始める必要はない。5~6月の週末や祝日を使えば、日程も消化しやすく、酷暑や豪雨といった悪条件を避けることも比較的可能ではないか。

日本高校野球連盟は来年以降、甲子園での全国選手権の試合を朝と夕方に分けて開催する方向で検討に入っている。運営スタッフには負担がかかるが、選手や観客の健康を考えて、時代の変化に即した改革が進むことを期待したい。

高校野球の魅力を「持続可能」に

かつて夏の大会期間中、スポーツニッポン紙上に「甲子園の詩」を連載していた作詞家の故・阿久悠さんは「ハイスクールの生徒の野球をなぜ騒ぐと、アメリカのバスケットボールの選手が言ったそうだが、飾り物や芸を取り払ったものがスポーツだと、日本人は知っているということだ」と書き残している。

野球文化の日米比較で知られる米国人ジャーナリスト、ロバート・ホワイティング氏も「アメリカ人は、アマチュア野球は楽しむため、プロ野球は金を稼ぐためと割り切っている」「甲子園は選ばれた者だけが立てる。一生に一度のチャンスに全てを懸けようとしている彼らを見て、人生にはお金に換算できない価値があると気付いた」と毎日新聞のインタビューで述べている。

2人が強調する高校野球の「純粋性」。これを維持するには、相手を尊重し、互いに力を尽くすフェアプレーの精神が欠かせない。しかし、競技環境や戦力があまりに違いすぎるとその根底が崩れてしまう。

甲子園の戦いだけでは見えてこないものもある。地方大会の1試合から浮かび上がった「二極化」の課題。高校野球の魅力を今後も持続可能とするために、多角的な取り組みが求められている。

バナー写真:熱戦が展開されている夏の全国高校野球選手権。大会1日目の第3試合では、岩手の一関学院が昨年大会ベスト4の京都国際に延長11回、6対5でサヨナラ勝ちし、20年ぶりの勝利を挙げた(2022年8月6日、甲子園)時事

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