凶行を引き起こす「無敵の人」の暴走をいかに抑止すべきか

社会

ネットスラングで「無敵の人」と呼ばれる、失うものが無くなって犯行に何の躊躇(ちゅうちょ)もない人たちの凶行が増えている。2022年も安倍晋三元首相銃撃や埼玉の立てこもり医師銃殺事件など、残忍な「劇場型犯罪」が発生している。背景にあるのは、安定した雇用も家族も望めず、生きる希望を見失った人々が増え続ける現状だ。彼らの暴走を止めるにはどうすればいいのか。長らく格差社会の研究に取り組んできた社会学者の山田昌弘・中央大学教授に聞いた。

山田 昌弘 YAMADA Masahiro

中央大学文学部教授。1957年東京生まれ。86年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。2008年4月から現職。専門は家族社会学、感情社会学、ジェンダー論。著書に『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書)、『希望格差社会』(ちくま文庫)、『家族難民』(朝日文庫)、『底辺への競争』(朝日新書)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか』(光文社新書)、『新型格差社会』(朝日新書)など多数。

疎外感を味わう人々が増える現状

―18年前の著書『希望格差社会』(ちくま文庫)で、すでに「格差社会が進めば、社会から見捨てられたと感じた人々が反社会的行動に走るようになる」と予見されていました。最近相次いでいる、そうした気持ちを抱いていると思しき人々が起こした一連の凶行をどうご覧になっていますか。

日本社会は家族と会社共同体を基礎にして成り立っていたようなものです。家族や仕事仲間から承認されることで、自己のアイデンティティを築いてきました。安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者は、母という家族はいるけれど宗教の世界にのめり込んでいて、本人は家族からも仕事仲間からも見捨てられていた。そのような現在にも将来にも報われる希望が持てない人たちが引き起こす犯罪が増えているのだと思います。

―事件の背景にあるのは社会の変化でしょうか。

ええ、日本は1990年ごろまでは、順調な経済成長のおかげで、社会格差があっても乗り越えられると信じることができた。ほとんどの男性は収入が安定していて、女性はそういう男性と結婚して子供を育てられた。格差はあっても努力すれば豊かな生活が築けるという希望が持てました。ところが、平成の時代に入ると、経済の構造転換が起きて大量の非正規雇用者が生まれ、雇用面で格差が生じるようになりました。それに伴い家庭の貧富と教育環境で格差が生じるようになり、社会の二極化が進んだのです。非正規雇用に就いた人の多くは、いくら努力しても将来豊かな生活を築く収入を得る見込みがなく、結婚もできない。つまり将来に希望が持てなくなりました。

当初は若者が大きな影響を受けたわけですが、時がたつにつれて中高年層にも格差が広がっています。大きな流れで言えば、従来の家族や仕事の在り方からこぼれる人たちが出てきて、今の社会では将来希望が持てない、つまり絶望に陥っている。そうした社会から見捨てられた人々が一定割合で存在する社会になってしまったのです。

―いわゆる「無敵の人」と呼ばれる人々による犯罪は、次第に手口がエスカレートして大胆になっていますが、その要因は何だと思われますか。

多くの人々にとって自己のアイデンティティーを築くのは、家族と仕事の2つです。就職や結婚が大事なのは、仕事仲間や家族ができることによって社会とのつながりができるからです。その2つによる包摂力が弱まったことが一連の凶悪事件の背景にあると言えるでしょう。

2022年1月、埼玉県で起きた、亡くなった母親を生き返らせろと言って立てこもり、医師を銃殺した事件。容疑者は自宅で老母の世話をして、母親の年金で暮らしている生活でしたが、自分が気に掛けたり、気に掛けられたりする相手(母親)がいた。でも母親が亡くなったら唯一の縁故が断たれてしまった。その途端、医師に矛先が向かい暴走してしまいました。

ただし、現実社会に絶望した人たちが一定割合存在する社会になったとはいえ、それがただちに犯罪に結び付くわけではない。凶悪犯罪につながるには、もうワンステップあります。他に包摂するものがあれば、人は犯罪には走りません。08年に起きた秋葉原の無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚の場合は、仕事や家族から見放されて逃げ込んだネット掲示板の世界でも、「居場所」が荒らされてしまったことが引き金になりました。

排除された人々を追い込む自己責任論

―社会から疎外されて絶望した人たちの究極の行動は、かつてはほとんどが自殺でした。最近は「どうせ死ぬなら他人も巻き添えにしてやろう」と他人に矛先を向ける欧米型が増えました。なぜなのでしょうか。

日本では今でも世界的に見て自殺が多いし、先進国の中ではまだ無差別型は少ない方です。まだまだ社会に迷惑をかけてはいけないという意識が残っている。他人に矛先が向くようになったのは、社会が自分を見捨てているという意識が強まったからでしょう。また、自己責任論を口にする風潮が広がっていることとも関係しています。

かつて英国のマーガレット・サッチャー元首相は「社会などというものはない(there is no such things as society)」と言って福祉国家体制を否定し、徹底した個人の自己責任を強調した。つまり社会という人にやさしく助け合う場は今の英国にはない、という考え方です。そこから新自由主義と自己責任論が広まりました。

しかし、それは現実に絶望した人にとっては、社会は自分を助けてはくれないし、自分は見捨てられたのだから、向かう矛先は誰でもいいということになる。彼らは労働運動や学生運動のように社会の在り方を変えようとか、反抗しているわけではなく、単に幸せそうにしている自分以外の何者かを道連れにして社会に復讐しているのです。

―格差社会の中で苦しむ人たちに対し、「自業自得」などと突き放す自己責任論が広まっています。こうした考え方が一連の現象に与える影響はありますか。

無差別殺人事件に接して、「1人で死んでほしい」と言う人は大勢います。現実の世界に希望を持っている側の人たちからすれば当然のことです。しかし社会からはじかれている人たちにとっては、すでに自分は社会の一員ではないので、社会に迷惑をかけるという意識はありません。なので、自己責任だけを前提とする世の中になれば、こういう事件が起きるのはやむを得ないと言わざるをえません。

米国社会の例を見ても分かるように、自己責任だけを問う限り、こうした犯罪をなくすことはできない。現実に絶望している人たちには、公的な政策や社会的なサポートによって、仕事仲間や家族、友人が得られるような支援をしていく、という伝統的な方法が有効です。

問題はどうやってそうした環境をつくり出すか、そこで登場するのがバーチャルな世界です。私は日本で自暴自棄の凶悪犯罪が少なかったのはパチンコのおかげだと考えています。現実の仕事で誰からも認められない人はそこに逃げ込めるからです。日本には依存症に陥らない程度のパチンコや公営ギャンブル(競輪、競馬など)が存在したから、犯罪が少なかったと。今、それに代わるようになったのがネットゲームです。バーチャルな世界で疑似承認を得ることによって、絶望に陥るのを抑止しているのです。

必要なのは友だち支援活動

―ますます格差社会の亀裂が深まろうとする中で、社会から排除された人たちを救済するにはどのような方法があるとお考えですか。具体的な公的政策をつくる手掛かりなどがあれば教えてください。

リアルな世界の中で、人と人の小さなつながりを増やしていくことをサポートするしか方法はないと思います。私は全国地域結婚支援センターの理事を務めており、10年以上前から各地で結婚サポート事業を進めています。この婚活支援は単に少子化対策のためだけではありません。孤立している人たちを引っ張り出して、人とのつながりをつくる作業でもあるのです。結婚して家族をつくることだけでなく、独身であっても孤立させないようにする方法が必要なのです。だから婚活でなくとも、「友だち支援活動」であってもいい。とにかく孤立している人たちの居場所をつくることです。

自分にとって大切な人ができるような社会、相手を大切にして、自分も大切にされる社会を復活させることが望ましい。政府は孤独・孤立担当大臣というポストを内閣官房に作っています。何をやっているのかはよく伝わってきませんが、新たに「友だち作り担当大臣」という閣僚ポストなどを設けてみてはいかがでしょう。

私は、さまざまな場で政府や自治体に婚活支援に取り組むべきだと主張していた時に、「そんなプライベートな問題に政府が介入するのはけしからん」という批判をよく受けました。まさに自己責任論ではないですか。孤立しているのは本人が好きでやっているのだから放っておけという意見のようですが、放っておいたから今のような問題が起きているのではないでしょうか。

バナー写真:安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件で、送検のため奈良西署を出る山上徹也容疑者=2022年7月10日、奈良市(共同)

『新型格差社会』(山田昌弘著 朝日新聞出版)書影

「新型格差社会」

山田昌弘(著)
発行:朝日新聞出版
新書判:200ページ
価格:825円(税込み)
発行日:2021年4月13日
ISBN:978-402-295120-5

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