英新首相トラス氏は「サッチャー2.0」になれるか

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英国史上初の女性首相を務めた故マーガレット・サッチャー氏に続く3人目の女性首相に保守党のエリザベス・トラス氏(47)が就任した。自らサッチャー氏を「手本」に掲げるトラス氏は、党内では「鉄の女2.0」とも呼ばれ、内外の政治的環境もサッチャー時代と共通する点が少なくない。その一方、30余年を経て、はるかに複雑な今日的課題もある。トラス氏は現代英国の窮状を打開する「サッチャー2.0」になれるだろうか。

サッチャーはフォークランド紛争を追い風に

トラス新首相が直面する主な課題には、▽食品やエネルギー価格の高騰による約40年ぶりの記録的インフレとストライキの頻発、▽ロシアや中国をめぐる外交・安全保障、▽欧州連合(EU)離脱後の政策調整――の3つが挙げられている。

サッチャー氏が初の女性首相に就任した1979年当時も、英国は慢性インフレや失業、労組による長期ストライキがはびこり、国民の表情は苦渋と悲観主義に閉ざされていた。対外関係では、対ソ冷戦の真っ盛りだった。トラス氏を迎える内外環境は似た点が少なくない。

「英国病の克服」を掲げたサッチャー政権は3年後の82年になっても2桁インフレが収まらず、基幹部門のストが頻発し、巷には330万人余の失業者(失業率14%)があふれていた。政権への不満や批判も高まる一方だった。トラス氏も当面は苦戦を強いられるとの予想が多いようだ。

サッチャー政権の苦境を救ったのは、82年4~6月に南米の軍事大国アルゼンチンとの間で起きたフォークランド紛争である。国際社会からみると、英領フォークランド諸島は過去の大英帝国の残光にすぎなかったにもかかわらず、サッチャー氏は「英国に帰属を願う島民の自由と人権、民主主義を断固として守る」という大義を掲げて、アルゼンチン軍事政権の攻撃に正面から立ち向かい、勝利を収めた。国民共有の大義をアピールし、「鉄の女」のぶれない行動を示すことによって、国民大衆の「愛国主義」を燃え上がらせ、一気に世論を政権支持へと向かわせることができた。

勝利は大きな転機となり、その余勢を駆って5年後には労組のストを抑え込み、インフレ率は先進諸国でも最低の水準(3.7%)に引き下げられ、経済成長率(4.25%)は世界のトップランク入りを果たした。所得税の大幅減税と税率の簡素化、労働者階層の持ち家促進などの「新自由主義」に立った公約を思い切って推進することで、失業率も半減させ、87年度には初の財政黒字を達成するまでになった。

サッチャー氏は、ソ連に対しても当時のレーガン米大統領と並ぶ「強硬派」として知られ、冷戦終結に向けて外交手腕を発揮した。トラス氏がこうしたサッチャー政権の軌跡を強く意識していることは想像に難くない。今のトラス氏は、ウクライナ侵略を続けるプーチン政権のロシアに対して「プーチンを勝たせてはならない」と、対露批判とウクライナ支援の急先鋒役を務め、世論の支持もある。

ゴルバチョフとプーチンは正反対

しかし、サッチャー時代との決定的な違いは、当時のソ連指導者が過去に例のない「改革派」とされるミハイル・ゴルバチョフ氏だったことである。サッチャー氏が1984年、英国に招いたゴルバチョフ氏と内政改革などの話題で意気投合し、「彼とならビジネスができます」と、極めて好意的な評価を送ったエピソードは有名だ。中距離核戦力削減などの具体論ではその後も対立が続いたものの、両氏の個人的な信頼関係の深化は、冷戦終結に向けた機運の醸成につながっていった。

これに反して、今のプーチン大統領はソ連邦の崩壊(解体)を「20世紀最大の地政学的大惨事」と公言してはばからず、旧ソ連勢力圏の復活という野望の下にウクライナ侵略に突き進んだ。改革派のゴルバチョフ氏とはベクトルが正反対の「守旧派」といえる。プーチン氏が8月30日に死去したゴルバチョフ氏の葬儀に参列しなかったのは象徴的であり、トラス氏にとっては和解や信頼の余地なき「敵対者」と言わざるを得ない。

左(派)から右(派)に転じたトラス氏

サッチャー氏は、イングランド中北部の小さな町で乾物商を営む保守的な中流下層階級の両親の下に生まれた。町の名士だった父親の下で一貫して保守の思想を育み、勤勉と倹約を通じて豊かさを達成することで、貴族と労働者に二分された英国特有の階級社会構造を改革しようとした。首相の座に就いた後も、貴族階級からは「乾物屋の娘」とさげすまれながら、「努力すれば、誰でも成功できる社会」を目指す筋金入りの思想を貫いた。

一方のトラス氏は、大学教授の父と看護師の母の下に生まれ、両親ともに労働党を熱心に支持するリベラル左派だった。トラス氏も小学生の頃に親に連れられて反核デモに参加し、「サッチャー辞めろ」というスローガンを叫んだこともあったという。オックスフォード大学時代には中道左派の自由民主党の学生代表を務めた。卒業後は保守党支持に転じ、2010年、保守党から念願の下院議員に当選した際には、両親から反対された。トラス氏が生まれた1975年には、サッチャー氏は49歳で保守党党首に当選して次期政治リーダーとして頭角を現していく。

トラス氏の政敵の間では、リベラル左派から徐々に保守へ変わっていく過程を「カメレオン」「変節者」「風見鶏」などと酷評する向きもある。だが、政治思想の変遷は誰にでもあることで、トラス氏自身は、サッチャー氏を「最も尊敬する政治家」(党首討論での発言)とする理由について、新自由主義による改革で「英国病」を克服し、冷戦対立でも「対ソ強硬外交」を貫いたことなどを挙げている。

EU離脱―今日的な難問

ストが頻発し、インフレの慢性化が危ぶまれる英国の現状について、英国メディアでは「新英国病」と揶揄(やゆ)する報道もある。政治においても、保守党政権はキャメロン首相の辞任(2016年)以降、わずか6年余の間にトラス氏を含めて3人の指導者が短命で入れ替わり、かつての日本を思わせる異常事態が続いてきた。混乱の大きな原因がEU離脱に踏み切ったことにあるのは言うまでもない。国論が二分されている状況は現在も続いている。

離脱を断行したボリス・ジョンソン前首相は、グローバルな視野に立って、21世紀の新たな外交・安保戦略を欧州からインド太平洋へシフトする「グローバル・ブリテン」政策を打ち出した。事実上の日英同盟関係を強化し、中国の覇権的行動については日米などと連携して強く牽制する姿勢だ。日本が主導する環太平洋パートナーシップ(TPP)への加盟も申請している。トラス氏も基本的にこれらを継承していく方針で、日米にとっては心強い姿勢といえよう。

だがその一方で、EU離脱の後始末といえる英・EU間の離脱協定の核心となる英領北アイルランドの通商ルールをめぐって、英・EUの対立が先鋭化しつつあるのは、危うい兆候だ。トラス氏の方針に対し、EU側は「国際法違反」と強く反発している。先進7カ国(G7)や国際社会がウクライナ支援の連携と団結を強化しなければならない時にあって、英・EUの対立はプーチン政権を喜ばせるような欧州の亀裂を生みかねない。サッチャー時代にも、英国はEC(当時・欧州共同体)の横暴に厳しく対処してきたが、離脱という事態は想定されていなかった。その意味で、この問題は新しく、かつ複雑である。

サッチャー時代の教訓に、今日的な知恵と発想を加えた指導力をいかに発揮していくか。それがトラス氏に問われている。

バナー写真:セントポール大聖堂でのエリザベス女王追悼礼拝に参列したトラス英首相=2022年9月9日、ロンドン(AFP=時事)

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