エリザベス女王の国葬と昭和天皇の大喪:世界に見せる弔いを演出した英国

政治・外交

英国最長の70年にわたり君主を務めたエリザベス女王の国葬は、1000年の歴史を持つ英王室らしい荘厳な葬送だった。天皇、皇后両陛下をはじめ約200カ国から元首、王族らの弔問使節が参列。ロンドン中心部で続いた女王の柩(ひつぎ)と新国王、皇太子らの威風堂々たる行進は、自国だけでなく世界の人々に見てもらう演出も感じさせた。33年前に行われた当時、史上最大規模の葬儀と言われた昭和天皇の大喪(たいそう=天皇の葬儀)と比較して、両国の威信をかけた弔いを振り返る。

「史上空前規模の国葬」と米紙に報じられた日本の大喪

「女王の国葬」は英国の底力を感じさせたが、日本では1989年2月、在位62年と最長(飛鳥時代以降)で、87歳の生涯を閉じた昭和天皇を送る大喪が行われた。昭和天皇は開戦、敗戦、そして世界第2位の経済大国となる「激動の昭和」を象徴する存在だった。政教分離をうたった憲法の制限を受けながらも、世界最古の皇室の伝統を生かした古装束姿で、日本古来の野辺の送りの時代絵巻を再現させた。

大喪にはブッシュ米大統領、ミッテラン仏大統領、スハルト・インドネシア大統領や、ベルギー、スウェーデン、スペインの国王夫妻、英国からはエリザベス女王の夫フィリップ殿下ら元首、王族を含む164カ国の代表と国内外の約1万人が参列した。世界の関心も集め、「近代史上空前規模の国葬」(米ウォールストリート・ジャーナル紙)、「世界中の指導者の並外れた集合」(仏ル・モンド紙)と報じられ、全米にも生中継された。また、各国が東京で弔問外交を展開した。

筆者はこの時の大喪を現場で取材したが、それから33年の今回のエリザベス女王の国葬をテレビで見て、大きく異なる点や、よく似た点があることに気が付いた。

公開安置された女王の柩の前に立つ国王、皇太子

エリザベス女王の柩がエディンバラとロンドンで「公開安置」された。柩を守るようにチャールズ国王やウィリアム皇太子ら王族が侍立(じりつ)し、一般弔問の市民らがその姿を見ながら女王に別れを告げる光景に、筆者は驚かされた。天皇の柩を国民に公開することは、日本ではなかったからだ。英国王室と国民との距離の近さを感じさせた。

日本では、昭和天皇に国民がお別れをするため、亡くなられてから半月後に、皇居宮殿の東庭に面した長和殿の廊下に大きな遺影が掲げられた。柩は宮殿中ほどの正殿に安置され、東庭からは少し離れていて直接見ることはできなかった。3日間の皇居での一般拝礼に34万人が訪れ、遺影に向かって亡き陛下に別れを告げたのだった。

エリザベス女王の柩を乗せた車を、拍手で見送ったり、車道に花を投げ入れたりする英国市民もいた。亡き女王を慕う人たちの行動で、英国ではごく普通のことだろう。だが、同じことが日本でできるかどうか。皇室の葬儀で拍手による見送りには違和感を覚える人が少なくない。また、花の投げ入れも、日本では警備陣が許すか疑問である。これらも国民性の違いと言うべきか。

ロンドン中心部で国王らの威風堂々の葬列行進

女王の国葬はロンドンの王室ゆかりのウェストミンスター寺院で行われた。世界文化遺産として知られる大聖堂だ。屋内で行われたのに対し、昭和天皇の大喪は東京・新宿御苑、つまり屋外で行われた。ウェストミンスター寺院の映像を見て、その違いの理由を納得した。

女王の柩は衛兵8人に担がれて運ばれて寺院に入った。これに対し、昭和天皇の柩を納めた大きなみこしの葱華輦(そうかれん)は皇宮警察護衛官51人で担いだ約1.5トンの巨大なもので、葱華輦が入れる屋内施設がなかった。このため大正天皇の前例に倣い、新宿御苑に葬場殿を建てて会場にしたのである。

古装束の皇宮護衛官に担がれる葱華輦=1989年2月24日、東京・新宿区の新宿御苑(時事)
古装束の皇宮護衛官に担がれる葱華輦=1989年2月24日、東京・新宿区の新宿御苑(時事)

2つの葬儀の色にも違いがあった。大喪は黒と白を基調として、モノクロ映画のように感じられた。これに対し、女王の国葬は黒のほかに、衛兵服の赤や、柩にかけられた王室旗の黄など、色鮮やかなカラー映画を見るようだった。

エリザベス女王の葬儀で圧巻だったのは、寺院での国葬の直後に行われたロンドン中心部での約4000人、長さ2.4キロに及んだという長い葬列行進である。王室の伝統に従い、英海軍の砲車に乗せられた女王の柩はチャールズ国王ら王室のメンバーと共に、大勢の市民が見守る中を進んだ。

英国全土から1万人を超える警官が動員され、「英国史上で最大規模の警備態勢」となった。柩が乗った砲車を142人の海軍兵がロープで引き、葬列に多くの軍人を入れて、都心を歩き続ける王室の方たちを自然な形でガードしていた。

日本らしさを内外に印象付けた徒歩列だったが……

昭和天皇の大喪のハイライトも、葬場で冒頭に行われた「徒歩列」だった。宮内庁楽師が奏でる物悲しい調べの中、古式ゆかしい装束の祭官らがのぼりを先頭に入場し、前述の葱華輦が登場。その後に、天皇、皇后(現上皇ご夫妻)、皇太子(現天皇陛下)ら皇族方が続いた。氷雨が降る中、総勢225人の葬列は、日本らしさを内外に印象付けた。

新宿御苑に続いて、埋葬が行われた東京都八王子市の武蔵陵墓地でも天皇、皇后両陛下をはじめ皇族方や、のぼりなどを持った計154人の徒歩列が行われた。しかし、いずれも限られた人しかいない場所での葬列だった。この日、約60万人の一般市民が沿道からお見送りをしたが、伝統の徒歩列を生で見ることはなかった。

ロンドン中心部を沿道の多くの市民らが見守る中で、威風堂々の行進が続いた英国との違いは歴然としている。東京では車列での行進(パレード)は何度か実施されてきたが、天皇陛下や皇族方が都心を長く歩いて行進する姿はとても想像できない。

葬儀の日程も日英で違った。エリザベス女王の死後11日で行われたのに対し、大喪は昭和天皇の死後48日に行われた。天皇陵は山を切り開いて造るので、工事の関係で1カ月半ほどかかってしまう。この間を利用して日本は、世界最大規模の国葬の準備をした。

これに対し、英国はごく短期間で、各国の首脳、要人をそろえた弔問使節を招き、万全の警備態勢を整えた。「ロンドン橋作戦」の暗号名で知られるエリザベス女王の国葬計画が、秘密裏に入念に練られてきたことがよく分かる。

共通していた新天皇、国王のご心痛

日英で共通していたのは、国民の敬愛を集めた父、母が亡くなった悲しみの中で即位した新天皇(現上皇さま)、国王が、心痛に耐え、緊張に満ちた表情で初めて国民への言葉を述べるご様子だった。

「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い――」(即位後朝見の儀)、「忠誠、尊敬、愛をもって皆さんに奉仕する」(チャールズ国王の初の国民向けテレビ演説)。

日本ではこの時の厳しい体験が、天皇(現上皇さま)の譲位(生前退位)の一因になっていく。即位から27年後、陛下は「天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、(葬儀に関連する)さまざまな行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残された家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」と述べられている。

エリザベス女王と女性天皇

エリザベス女王の国葬は終わったが、女王の治世は、日本の今後の皇位継承問題にも少なからず影響を与えそうだ。女王の立派な業績を見て、日本ではなぜ女性天皇が認められないのか。チャールズ国王は、日本流にいえば「女系継承」だが、何か問題があるのか。こうした考えから、「愛子天皇」を望む国民の声がさらに強まる可能性もあることは否定できない。

(2022年9月26日 記)

バナー写真=国葬後、ウィンザー城に向けて市中心部を進むエリザベスの柩=2022年9月19日、イギリス・ロンドン[代表撮影](時事)

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