プーチンの欺瞞を暴く元ソ連外相シェワルナゼの証言

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ロシアがウクライナ侵攻を開始して約7カ月。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナ東・南部4州(ルハンシク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソン)の併合を宣言する一方、ウクライナは東・南部の奪還を進め、事態は混迷を深めている。プーチン氏のウクライナ侵攻は、「北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大防止」を名目に行われたが、元ソ連外相で元グルジア大統領のエドゥアルド・シェワルナゼ氏が生前、インタビューで語った証言をひも解き、プーチン氏の欺瞞を立証する。

ロシアの戦略的敗北

「NATOへ加盟申請する」

長期戦となったロシアによるウクライナ侵略戦争で、劣勢のプーチン大統領が強引に、ウクライナ東・南部4州を併合したことで、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は対抗措置としてNATOへの正式な加盟申請に踏み切った。4州は「ノボロシア(新ロシア)」領土との既成事実化を進め、核兵器使用の恫喝を行うロシアに、ウクライナはNATO加盟で抑止力を強化する狙いだ。

中立を維持し続けてきた北欧スウェーデンとフィンランドもNATO加盟を申請し、年内にも北方拡大が実現する。プーチン氏は「東方拡大は安全保障上の脅威」とNATO拡大防止を理由に侵攻したものの、相次ぐ周辺国の加盟申請は、ロシアの「戦略的敗北」を示している。

東欧諸国がNATOを目指すのは、西側の集団安全保障に入り、覇権国家ロシアの脅威から身を守ろうという各国の自発的意志によるものであって、NATOから諭され、指導されたものではない。

23年前の1999年2月、グルジア(現ジョージア)の首都トビリシで行ったインタビューでのシェワルナゼ氏(1995年から2003年までグルジア大統領就任)の証言もそれを裏付ける。

「盟主となるべきロシアが求心力を失ったため、独立国家共同体(CIS)から離脱して、NATOと欧州連合(EU)加盟を目指す」

ソビエト連邦の外相(1985~90年就任)として冷戦を終結させた立役者のシェワルナゼ氏は95年、祖国に戻り、隣国アゼルバイジャンが国際石油資本と始めたカスピ海石油開発を利用して国造りを進めていた。

ウクライナ侵攻の先例

旧ソ連15カ国のうちバルト3国を除く12カ国によって結成されたCISは機能せず、形骸化していた。

「CISの集団安保条約に加わっているのに、グルジアからの分離独立を目指すアブハジア自治共和国との紛争で駐留ロシア軍が調停役として動かない。独立国家としての立場が脅かされ、国内の安定が損なわれている」とシェワルナゼ氏は不満を漏らし、「主導すべきロシアが政治的、経済的混乱を続けているからだ。不必要な集団安保条約のみならず、CISからの離脱を考える」と述べた。

シェワルナゼ氏の発言通り、ロシア軍は紛争調停役を果たさないどころか、9年後の2008年8月、グルジアに軍事侵攻し、南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の独立を一方的に承認し、ロシアの影響下に置いた。グルジアはアブハジアと南オセチアの支配権を喪失し、その後のクリミア併合に端を発するウクライナ侵攻でみられたロシアによる未承認国家を利用した影響圏拡大の先駆けとなった。

そこで、シェワルナゼ氏は「ロシアによる帝国主義的支配につながるCISの再統合は不可能だ」と見切りをつけ、代わりに「EU加盟を目標にし、CISに代わってNATO加盟を目指す」と明言し、ロシアの影響下から離れる覚悟を示した。

このインタビューを産経新聞で報じると、ロシア政府からインタビューした録音テープの提出を求められ、「出さなければ、査証(ビザ)を更新しない」と迫って来た。録音テープの提出を拒否すると、ロシア国営テレビがシェワルナゼ大統領の「NATO加盟発言」は「誤報」と報じた。

しかし、9カ月後の同年11月、シェワルナゼ氏は米国ワシントンで会見し、次期大統領選で再選されれば、2005年にNATOへ加盟申請すると表明し、溜飲が下がった。

シェワルナゼ氏が99年にNATO加盟を表明したのは、同年3月、ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATO加盟したことと無縁ではない。こうした流れに乗って折からのカスピ海石油開発を背景に西側に入り、市場経済を定着させることで国造りを目指したのだった。

NATO加盟を妨害する常套手段

しかし、ロシアにとっては、旧ソ連の周辺国までNATO加盟すると緩衝地帯がなくなり、死活的脅威になると猛反発した。その強固な被害者意識こそがクリミアをはじめとするウクライナ侵攻につながった。シェワルナゼ氏は2004年の「バラ革命」で失脚したが、後任のミヘイル・サーカシビリ大統領もNATOとEUへの加盟問題を引き継いだものの、08年、ロシアのグルジア侵攻によりNATO加盟は先送りされた。NATOは紛争地域を抱える国の加盟を認めていないためだ。

インタビューでは、外相時代に取り組んだ北方領土問題についてもただした。これに先立ち、モスクワで、シェワルナゼ氏の外相補佐官を務めた元ソ連外務省職員、セルゲイ・タラセンコ氏からペレストロイカ(建て直し)の新思考外交として、東西ドイツ統一後、日本との北方領土問題を片づけることが、タイムスケジュールに入っていたことを聞いていた。2つの懸案をクリアすることで、「欧州共通の家」に入るつもりだったとも聞いた。

タラセンコ氏は「日本との関係正常化のため、障害となる領土問題の解決(北方4島返還)がクレムリンで主流だった」と証言し、「悲しいかな、時間が足りなかった」と悔しがった。これを受けてシェワルナゼ氏も、「ゴルバチョフ氏と、それ以前は存在しなかった『領土問題』を認め、オープンな議論を始めた。残念ながら完成することはできなかった。環境が整えば、解決(領土返還)できた」と打ち明けた。そして、「北方領土が黒海の中にあったら、グルジアは日本に譲っただろう」とユーモアを交え語ったのである。

東方拡大を容認していたロシア

そもそもロシアは主要8カ国(G8)入りと引き換えにNATOの東方拡大を容認していた。

97年3月、フィンランドの首都ヘルシンキで開かれた米露首脳会談で、ビル・クリントン米大統領はロシアにG8の地位と世界貿易機関(WTO)への加盟支援を約束。見返りとしてボリス・エリツィン露大統領がポーランドなど3国のNATO加盟を容認している。

エリツィン氏は同年、NATOと基本議定書を結び、互いに敵と見なさないことを確認し、3国はNATO加盟を果たした。ロシアはNATOの東方拡大を事実上黙認した。G8メンバーという大国の地位を得て、冷戦の敗者として傷ついた自尊心を回復する狙いだった。

NATOとロシアの「手打ち」を仲介したのが日本だった。米露首脳会談に臨むクリントン氏が橋本龍太郎総理に電話をかけ、協力要請している。東方拡大を受け入れたロシアの挫折感に日本が寄り添い、日露関係が進展した。クラスノヤルスク会談で、エリツィン氏が北方領土問題解決に意欲を示し、「2000年までの平和条約締結に全力を尽くす」合意が生まれたが、北方領土返還を実現できなかった。

エリツィン氏から大統領職を引き継いだプーチン氏は当初、西側に友好的だった。2000年、訪問したロンドンで、ロシアのNATO加盟は「対等なパートナーであれば、可能性を排除しない」と述べ、01年の9.11米同時多発テロでは、米主導のテロとの戦いに全面協力した。

02年には「NATOロシア理事会」新設に関するローマ宣言に自ら署名し、NATOへ接近。ローマ宣言を下敷きに04年、バルト3国など7カ国が加盟した。ロシアとNATOは2度文書を交わし、協力強化で合意している。プーチン氏自身、NATOと2度、敵とみなさない文書に署名し、ロシアのNATO加盟を示唆したことは、NATOを敵視し、東方拡大をウクライナへの侵攻理由とすることと整合性が取れない。

07年のミュンヘン安保会議でプーチン氏はNATO拡大に懸念を抱き、08年、グルジアとウクライナの将来加盟が約束されると、「ロシアへの脅威」と態度を豹変させ、同年8月、グルジアに侵攻、14年、クリミアを併合。G8の地位を失った。

狙いは民主主義の浸透阻止

NATO拡大を批判してプーチン氏の説明に理解を示す人々もいる。元ソ連大使でソ連封じ込め政策を立案した米国のジョージ・ケナン氏は1997年2月、米紙にNATO東方拡大は「誤り」と反対する論文を寄稿し、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は「NATOの無謀な拡大がロシアを刺激した」「ウクライナ戦争勃発の第一責任は米国」と非難し、背後の軍産複合体の存在を指摘する。

筆者はシェワルナゼ氏のように、ロシア周辺国はロシアの軛(くびき)から離れ、市場経済で豊かになろうと、西側の一員になることを目指しているという認識だ。また、独立した主権国家は同盟相手を自由に選ぶ権利がある。

そもそも武力で国境の一方的変更を試みるロシアには、彼らをつなぎ留める国家としての魅力に著しく欠ける。また、東方拡大を容認していたNATOを「脅威」として侵攻を正当化するのは、身勝手にも程がある。

プーチン氏の敵意の源泉はウクライナの民主主義ではなかろうか。ウクライナ国民が経済的に繁栄し自由を謳歌すれば、それがひいてはクレムリンの体制を揺るがし、国家指導に国民から疑問符がつきかねない。同じスラブ国家として歴史と文化をともにするウクライナ国民の自由と民主主義の選択がロシアに波及することに怯え、看過できないのだ。

「NATO拡大の脅威」を理由に戦争犯罪を続けるプーチン氏の詭弁に翻弄されてはならない。77年前、当時有効だった日ソ中立条約を破って侵攻し、北方四島を不法占拠し続けるロシアの「本性」を一番よく知っている日本人は、今一度、認識を新たにすべきだ。

バナー写真:2002年3月、カザフスタン・アルマトイ郊外で独立国家共同体(CSI)非公式首脳会議に参加したグルジア(当時)のシェワルナゼ大統領(左)とロシアのプーチン大統領(ロイター=共同)

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