オフサイド判定にまで「機械化」の波―問われる審判の存在意義―

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五輪と並ぶ4年に一度のスポーツの祭典、サッカー・ワールドカップ(W杯)が11月20日、カタールで幕を開ける。今大会では反則を巡る誤審を減らすため、オフサイドの判定に複数の専用カメラによる映像や人工知能(AI)が用いられる。近年、各種競技で導入される判定の「機械化」。改めて審判の役割や存在意義について考えてみたい。

12台のカメラが捉える選手の動き

国際サッカー連盟(FIFA)によると、今大会で採用されるのは「セミ・オートメーテッド・オフサイド・テクノロジー(SAOT)」。日本では「半自動オフサイド技術」と訳されている。

オフサイドとは、相手よりも先回りしてボールを受けることを禁止するルールだ。攻め込む側の選手が、相手陣のゴールラインから2人目の守備側選手(主にGKを除く最後尾の選手となることが多い)よりもゴールに近い位置にいて、その選手にパスが出された瞬間、ライン際の副審が旗を上げて反則となる。

オフサイド判定のタイミングは一瞬で、誤審も起こりやすい。過去のW杯でも勝敗を左右するようなプレーがよくあった。例えば、2002年日韓大会決勝トーナメント1回戦、韓国・イタリア戦では、イタリアのゴールがオフサイドで取り消され、誤審ではないかと問題になったケースが有名だ。

今大会では、競技場の屋根の下に12台の専用カメラが設置され、それぞれの角度から選手の動きを追尾する。大会で使用する公式球にはセンサーが埋め込まれ、ボールが蹴られた位置を正確に感知し、そのデータが映像担当の審判に送られる。これらの情報が組み合わさり、選手がオフサイドの位置でボールを受けた場合はAIの最新技術によって、映像担当の審判を通じてピッチ内の主審に知らされる仕組みだ。

FIFA専用ルーム内の映像担当の審判がパソコン上でプレーを確認し、ピッチの主審に情報を伝える=FIFA公式サイトより
FIFA専用ルーム内の映像担当の審判がパソコン上でプレーを確認し、ピッチの主審に情報を伝える=FIFA公式サイトより

パスが蹴り出された時、攻撃側選手と守備側選手の位置を自動的に判定する=FIFA公式サイトより
パスが蹴り出された時、攻撃側選手と守備側選手の位置を自動的に判定する=FIFA公式サイトより

最新技術の導入は今大会だけではない。14年ブラジル大会ではボールにセンサーを埋め込み、蹴られたボールがゴールラインを通過した場合は主審の腕時計に「GOAL」と表示される「ゴールライン・テクノロジー(GLT)」が採用された。18年ロシア大会からは、微妙な判定を確認するために主審がビデオ映像を活用する「ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)」という制度も始まった。

W杯のような全世界が注目する大会の場合、テレビ映像などがインターネットで拡散され、審判の誤審が徹底的に批判される風潮がある。このような技術を使った判定は、試合の公正性を高めるためには有効なのかもしれない。

他の五輪競技をみても、テニスやバドミントンといったスポーツのライン判定や、柔道やレスリングなど格闘技の勝負にもビデオ判定が採用されている。

「ロボット審判」導入の米マイナーリーグ

日本のプロ野球でも「リクエスト」が当たり前の時代になった。米大リーグ(MLB)に続いて、10年から微妙な本塁打の判定にビデオが用いられ、その後もフェンス際の飛球や本塁のクロスプレーで採用された。18年からは各塁のアウト、セーフの判定にまで異議申し立てができる現在の「リクエスト制度」が始まった。

判定に異議のある時は、監督が両手で長方形を描くサインをしてビデオでの確認を求め、審判団がリプレー検証をして改めてジャッジする。今ではおなじみのシーンだ。

MLBでも同様の「チャレンジ」という制度が用いられているが、マイナーリーグの3Aでは今季から「自動ボールストライク判定システム(ABS)」が導入され、チャレンジの対象となっている。たとえば、捕手がボールの判定に異議を申し立て、映像判定の結果、すぐさまストライクと覆るようなケースが既に起きている。

本来、「ストライク」とは「打て」という動詞の命令形を意味し、審判が「打つべき球だ」と思った球を「ストライク」と判定する。それが野球の審判の基本的な考え方でもあったはずだ。だが、米国ではストライクゾーンを厳密に判定する「ロボット審判」が活用され始めている。

ビデオ判定が導入されたおかげで、かつてのような乱闘シーンが減ったのは確かだ。だが、ボール、ストライクの判定まで機械化されてしまうと、果たして審判は必要なのか、という疑問も沸いてくる。サッカーの審判に話を戻しても、ゴールやオフサイドを実際に判定しているのが機械であるのだとすれば、極論として、審判は試合の中に存在する必要があるのかという問題が生じるのではないか。

大相撲から始まったビデオ判定

意外に思う人がいるかもしれないが、日本で最も早くビデオ判定を採用したのは大相撲である。1969年春場所2日目、横綱大鵬と平幕の戸田が対戦し、土俵際できわどい判定となった。軍配は大鵬に上がったが、協議の結果、行司差し違えで戸田の勝利となり、大鵬の連勝は45でストップした。

しかし、NHKニュースでスローモーション再生されたところ、大鵬が勝っているのは明らかで、誤審が大きな騒ぎに発展した。そこで次の夏場所からはビデオ判定が導入されることになったのだ。

大相撲の最高位の行司である「立行司」が短刀を腰に差して土俵に上がるのは、間違って軍配を上げた時は切腹するという覚悟を示すためだ。大相撲がそのような古典的なスタイルを継承する一方、最新技術を早くから取り入れた点は興味深い。

取組をさばく立行司の第40代式守伊之助(中央奥)。装束から短刀の柄がのぞく=2015年11月18日、福岡国際センター 時事
取組をさばく立行司の第40代式守伊之助(中央奥)。装束から短刀の柄がのぞく=2015年11月18日、福岡国際センター 時事

大相撲はビデオ判定導入後も、行司を土俵から外すことなく、今も伝統を守り続けている。土俵の中にセンサーを埋め込んだり、力士の動きを高精度のカメラで解析したりすることも技術的には可能なはずだ。

だが、そこまでしないのは、大相撲にとって行司が必要不可欠な存在だからに違いない。古風な装束を身にまとい、軍配を手にした烏帽子姿の行司が土俵からいなくなれば、大相撲はきっと味気のないものになってしまうだろう。ビデオ映像はあくまで補完的なものに過ぎないのだ。

審判の「人間らしさ」に集まる注目

今春の選抜高校野球大会では、誤審を認めて謝罪した審判の態度が話題になった。1回戦の広陵・敦賀気比戦のことだ。走者一塁で広陵の打者が送りバント。打球はいったんファウルと思われたが、イレギュラーバウンドしながらフェア地域に転がった。これを二塁塁審がファウルと勘違いして一塁走者を止めてしまい、併殺となってしまったのだ。

4人の審判団が集まって協議し、誤審を認めて走者を二塁に進めて試合を再開。その際、尾崎泰輔球審が「私たちの間違いです。大変申し訳ございません」と異例の謝罪を場内マイクで行った。これに対し、インターネット上では「潔く謝ったのは素晴らしい」などと称賛の投稿が相次いだ。

今春のセンバツ、広陵・敦賀気比戦で誤審を認め、マイクを手に謝罪する尾崎泰輔球審=2022年3月20日、甲子園 時事
今春のセンバツ、広陵・敦賀気比戦で誤審を認め、マイクを手に謝罪する尾崎泰輔球審=2022年3月20日、甲子園 時事

人間にはミスがつきものだ。そのことを人々は理解している。「審判の判定は絶対だ」などと権威的な態度を見せるのではなく、過ちを認めたところに「人間らしさ」を感じた人は多かったのではないか。

同じくアマチュア野球で活躍する山口智久審判も、選手への接し方が好感を呼んでいる一人だ。イニングの合間には、守備に就く選手たちを「切り替えていこう」「全員で盛り上げていくぞ」「しっかり守るよ」などと大きな声で励まし、細かい配慮を随所に見せる。そんなシーンが動画サイトに複数投稿され、中には300万回近く再生されているものもある。

全日本野球協会が公認するウェブサイトで山口審判は「個人的な考えになりますが、野球の審判員はオーケストラで言うところの指揮者のような存在だと思っています」と述べている。大相撲の行司と同様、審判は単なる「判定係」ではない。試合を進行させていく上で、機械に置き換えがたい存在なのだ。

バスケットボール規則書に記された審判の使命

日本バスケットボール協会が発行する「バスケットボール競技規則」のまえがきには審判の役割に触れたくだりがある。

「本規則の願いは、この競技が人間の体力や気力および人間らしい心を最高度に発揮して行われることである」

これに続けて、「プレーヤーは規則の精神の実行者である。審判は規則を堅持してプレーヤーの足りないところを補いつつこれに健全な方向を与えるとともに、そのゲームを公正にかつ円滑に運営することによってすべての人に信頼されなければならない」とある。

スポーツは人間が営み、伝えてきた文化だ。ルールは競技する人々が公正にプレーするためにあり、審判もまた切り離せない存在である。そうした原点を規則書はあえて説いているのだろう。

スポーツ文化研究の第一人者であった故・中村敏雄氏(元広島大教授)は『スポーツルールの社会学』(1991年、朝日選書)の中で、審判の「機械化」について次のように論じている。今から30年以上前の出版だが、今に通ずる視点である。

審判が誤審をし、選手や監督が誤認をするのは避けられないことである。また審判への質問や抗議が暴力沙汰や退場宣告にまで発展するのを皆無にすることもできないかも知れない。

人間のミスは常に起こりうる。そう認めた上で中村氏はこう指摘する。

しかし、そのために審判を機械に置き換えたり、質問や抗議を禁止したりすればよいと考えるのではなく、われわれはどのようなスポーツを選択するのかということをまず考えてみる必要がある。

「選択」という言葉に付け加えた傍点部分にこそ、現代への問い掛けが潜んでいるのではないか。スポーツに限らず、世の中のあらゆる機能が利便性を求めて機械化される今、われわれはどのような社会や生き方を選択すべきか、じっくりと検討すべきように思われる。

バナー写真:サッカーW杯カタール大会で採用される「半自動オフサイド判定」のイメージ。選手の動きを12台のカメラが追尾し、ボールにはセンサーが埋め込まれている=FIFA公式サイトより

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