重い課題背負う次の日銀総裁 : 異次元緩和が招いたゾンビフィケーション

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黒田東彦日銀総裁の主導で実施されてきた「異次元緩和策」9年目の22年4月、消費者物価指数(除く生鮮食品)は政府・日銀が「物価安定目標」とした2%を上回り、10月には3.6%まで上昇した。しかし、日本経済には強い閉塞感が漂い、復活の実感はない。金融市場の現場を知り尽くし、市場関係者からの信頼が篤い日銀ウオッチャーである加藤出東短リサーチ社長は、「長期の異次元緩和が問題を先送りにし、かえってゾンビ企業を増やしてしまった」という。

異次元緩和の弊害は続く

この原稿を出張先のニューヨークで書いているのだが、レストランやスーパーでは何を見ても高くて、自国通貨凋落の悲哀を痛感させられている。10月20日に1ドル=150円を突破した後は、やや円高方向に戻したとはいえ、購買力平価や実質実効為替レートで見れば円は半世紀前並みの弱さだ。

日本は資源や食料の多くを海外から輸入している。コロナ禍によるサプライチェーン混乱やウクライナ戦争の影響に円安要因が加わり、10月の消費者物価指数前年比は3%台後半に達した。賃金が上がりにくい日本でこれはきつい数字だ。生活コストに直結する「1カ月に1回程度以上購入する品目」の場合7.6%へ高騰している。しかし販売価格への円安要因の転嫁はまだ部分的であり、値上げは当面続きそうである。

これらは、アベノミクスの中心的な柱として2013年4月に開始された日銀の異次元緩和の弊害である。同政策は次の考えの下に開始された。

  • 日本経済低迷の主因はデフレ(持続的な物価下落)にある
  • デフレは日銀の金融緩和が不十分だったことから生じた
  • よって日銀が躊躇なく大胆な緩和策を実施してインフレ率を目標の2%へ引き上げれば、円安も生じ、日本経済は復活する。

それ以降、日銀は凄まじい額の国債やETF(株式上場投信)を購入してきた。2016年からは短期金利をマイナス圏に、10年国債金利をゼロ%近辺に固定する政策も続けている。日銀は公言していないが、それらの政策の目的も明らかに円安誘導にある。

こういった政策が10年近く実施されてきたものの、日本経済には現在、強い閉塞感が漂っている。〔図表1〕は、主な先進国の過去10年の実質実効為替レートの変化(横軸)と、2022年にかけての10年間の実質経済成長率(縦軸)を表している。

先進国:実質実効為替レート(横軸)と実質GDP(縦軸) 今年までの10年間の変化率

この中で為替レートが最も下落したのは日本だ(付け加えるなら、経済規模比で政府債務が同期間に最も膨張したのも日本である)。一方で、日本の経済成長は最低クラスである。

緑の点線は全体の傾向を表す近似曲線である。右肩上がりになっている。因果関係は別にして、為替レートが上昇している国は全般的に経済も成長していることが分かる。

円安誘導では永遠に豊かになれない

1990年代半ばに米国の財務長官だったロバート・ルービンは、いつも「強いドルはアメリカの国益」と言っていた。自国通貨が結果として高くなっていくような経済運営をすれば好循環が発生し、国民は豊かになっていく、という主張だった。

通貨高は国民の対外的な購買力を高め、インフレ率を低下させる。経済が成長し、為替レートが上昇していく国には外国から良質な投資資金が盛んに流入する。それが雇用を増やし、労働者の賃金を高めていく。その結果、消費が拡大すれば、外国から更なる投資を招き好循環が生じる。このような好循環が起きていれば、製造業の収益も伸び、研究開発投資が行いやすくなって生産性は向上していく。

逆に為替レートを意識的に安く誘導する政策を実施すると、真逆の悪循環が起きるとルービンは警戒していた。近年の日本はまさにそうなってしまっている。

これほどの円安ゆえに海外からの観光客は増加しつつある。しかし、われわれの生活コスト高騰という犠牲の下に外国人観光客が「安い日本」をエンジョイしていることを忘れてはならない。本来は円安などに頼らずに日本の魅力を海外の人々に売り込むべきである。また、国内消費(2021年度=294兆円)の規模に比べるとインバウンド消費は過去最高でも5兆円弱と小さく、その恩恵は限られる。

円安によって海外からの投資が増えるという期待感も存在している。しかし、通貨が安いから入ってくる投資資金は、その国のコストの安さに魅了されているので、「安い仕事」しかもたらしてくれず、ルービンが言っていたような好循環は起きない。円安誘導では日本人は永遠に豊かになれないといえる。

こうしてみると、日銀異次元緩和開始時の“処方箋”は根本から間違っていたことが分かる。われわれは日本の構造的問題、つまり日本企業の競争力低下や高齢化・人口減少に真正面から向き合うべきであった。それらを中央銀行が治療することはできない。しかし、「日銀が思い切った金融緩和を行えば日本経済は復活する」という主張には、とても“甘い響き”が伴っていた。問題がそれで解決するなら、痛みを伴う改革に取り組む必要はなくなるからである。

金融緩和策は、一時的な「痛み止め効果」を経済にもたらす。金利低下で企業の利息の支払いが減少すれば、倒産件数は抑制される。また政府は国債を発行して景気刺激策を打ちやすくなる。それが将来の生産性向上につながる支出なら良いのだが、日銀の政策によって国債発行金利がゼロ%に近いと、多くの政治家が感覚麻痺を起こし始める。その結果、「痛み止め策」としての安易な“バラマキ”が大規模に行われている。

時間稼ぎが招いたゾンビフィケーション

BIS(国際決済銀行)の元チーフエコノミスト、ウイリアム・ホワイトは奇しくも日銀の異次元緩和が始まる前年の2012年に次のように的確に“予言”していた。「中央銀行が緩和策という痛み止め策で時間稼ぎを行っている間に、政府・国会がその効果に甘えて構造改革を遅らせてしまったら、それは単に時間の浪費となってしまう」。 

〔図表2〕は1991年を起点とした名目平均年間賃金と物価水準の推移だ。日銀は賃上げと物価上昇の好循環が実現するまで粘り強く異次元緩和策を継続すると言い続けているが、それは実現しそうにない。むしろ「痛み止め策」の長期化により、政策によって破綻を免れた低収益企業、いわゆるゾンビ企業が増加するゾンビフィケーション(Zombification)が強まる恐れがある。

名目平均年間賃金と物価水準

世界銀行のデイビット・マルパス総裁は2022年9月の講演でこう指摘している。「長期にわたる低金利は、企業に自身のバランスシートを整理させる動機や、政府に構造改革を行わせる動機を殺いでしまう。中央銀行の大規模資産購入策(量的緩和)は、ゾンビ銀行やゾンビ企業を増やし、創造的破壊を起こさなくし、潜在成長率に打撃をもたらす、という証拠がある」。

〔図表3〕は、日本の企業倒産件数の推移である。最近の件数は1990年ごろのバブル経済絶頂期並みに減少している。日銀の超緩和策や政府の資金繰り支援策によって倒産が抑えられ、Zombificationが進んでいる。

日本:全国企業倒産件数(四半期末月)

2021年の日本は先進国で1~2位を争う低失業率だった。普通はそんなに失業率が低ければ、人手不足が生じ、企業は人材確保のために競って賃上げを行うようになる。しかし、ゾンビ企業の増加によって失業率が低下している場合、持続的賃上げが実現する可能性は極めて低いことになる。

試される「次の」日銀総裁

現在のインフレ率はすでに目標の2%を遥かに上回っている。しかし、黒田東彦総裁は政策変更をかたくなに拒んでいる。来春就任する次の総裁は困難な課題を背負わされることになる。日銀や財務省出身の大物OBの間から、「黒田さんの後任は大変損な役回りだ。自らやりたがる人はほとんどいないのではないか?」という声が最近よく聞こえてくる。

実際に、このような異常な緩和策を長く実施してしまった後の方向転換は容易ではない。「債務の罠」が生じてしまっているからである。

先ほど紹介したホワイトは2021年にこう述べている。金融緩和策とは、市中の金利を押し下げて家計、企業、政府などの経済主体に借金を増大させ、それによる支出増加で景気を上向かせようとする政策だ。しかし、それがZombificationを強めてしまい、意図した景気回復が生じず、超低金利を長期にわたって維持すると厄介な問題が生じる。多くの経済主体が債務を増大させてしまったため、中央銀行が金利を引き上げようとすると多方面から悲鳴や強い反発が生じ得るからだ。

この「債務の罠」にまさに今の日本は陥っている。10年国債金利をゼロ%近辺(上限0.25%)に固定してきた日銀の政策もそこからの脱却をより困難にしている。他の先進国は皆、国債の金利は市場の需給で決まる“変動相場制”としている。今年のグローバルな物価上昇を背景に日本との金利差はこんなにも不自然に開いてしまった〔図表4〕。ソフトランディングが思いやられる状況になっている。

10年国債金利:年初からの推移

しかし、だからといって日銀が今の政策を長期化させたら、Zombificationや「債務の罠」は一層強まって、先行きの出口政策は益々困難になっていく。世界経済が本格的に失速する前に日銀は最低限の政策変更はやっておくべきだ。せめて10年国債金利の固定はやめて、市場が国債の発行し過ぎに警告を発せられる状態に戻し、かつ(これも今や世界でどこもやっていない)マイナス金利政策をゼロ金利政策に戻す程度の修正は行う必要がある。

「新陳代謝を望まない国」のまま沈みゆくのか?

現在の円安は、日本経済の凋落による長期的な信認の低下に加え、日銀が動こうとしないことから生じた内外金利差急拡大の影響が加わったものである。よって、FRB(米・連邦準備制度理事会)など海外中央銀行が来年利上げを停止し、かつ日銀が若干の金利引き上げに動けば、為替レートはいったん円高方向に進むだろう。とはいえ限りがある。「債務の罠」の下では、日銀の利上げは限定的なものに留まりやすいからだ。多くの内外の投資家は「次の円高局面は絶好の円の売り場(絶好の外貨の買い場)」と期待しているだろう。

もし次期日銀総裁も政策変更の難しさを恐れてそれを避けることがあれば、「この国は新陳代謝を望まず、政府債務を増大させながらこのまま沈んでいくのだな」と見なす投資家が徐々に増加していくと予想される。

その場合、長期的な円安トレンドはより確定的となり、円安による「悪い物価上昇」が常態化していく恐れがある。日銀はどこかで金利を大幅に引き上げざるを得なくなるが、その際、政府等は深刻な利払い費増大に直面してしまう。「債務の罠」は長期的には持続不能であり、実は問題の先送りでしかないことを認識する必要がある。

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