日本スポーツの「聖地」建て替えに高まる抗議の声 ―神宮球場と秩父宮ラグビー場の文化的価値

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日本スポーツの「聖地」が揺れている。東京・明治神宮外苑の再開発事業に反対の声が高まっているからだ。明治神宮野球場と秩父宮ラグビー場の位置をほぼ入れ替えて全面改築されるほか、ビルや公園も整備される。名所のイチョウ並木は残されるものの、苑内の樹木を次々と伐採する計画に環境保護への抗議が起き、周辺住民からは事業の認可取り消しを求める訴訟が提起された。歴史と伝統に培われたこの場所を一新してしまっていいものか。街づくりやスポーツ文化を巡り、日本社会のあり方が問われている。

神宮第二球場から解体を開始

東京都が再開発事業を認可したのは2月17日のことだ。事業者は三井不動産、伊藤忠商事、宗教法人明治神宮、独立行政法人日本スポーツ振興センター。総事業費は3490億円に上る。都の認可に基づき、3月下旬にも着工され、2035年度に全体の工事が終了する見通しだ。

まずは高校野球などに利用されてきた神宮第二球場から解体が始まり、その敷地を中心に屋根付き密閉型の新しいラグビー場が建設される。続いて現秩父宮ラグビー場が取り壊され、跡地にホテル併設の新球場が造られた後、最後に現神宮球場が解体となる。その場所には中央広場や文化交流施設が整備され、多目的に利用される計画だ。

他にも商業施設などの複合棟2棟とオフィス棟1棟の高層ビル3棟が建ち、公園やテニス場も整備される。一方、神宮第二球場に加え、軟式野球場やゴルフ練習場、フットサルコート、バッティングセンターなど、市民に親しまれた施設が姿を消す。草の根のスポーツに与える影響も小さくない。

「野球の神様」がプレーした伝統のスタジアム

3万人収容の神宮球場は、プロ野球・ヤクルトの本拠地であるだけでなく、東京六大学野球や東都大学野球、高校野球の東京都大会のほか、秋の明治神宮野球大会などでも多くの野球ファンに親しまれている。

歴史は古く、完成したのは1926年。まだプロ野球も発足していない大正時代だったが、東京六大学の舞台として人気を集めた。28年には強打者のタイ・カッブら米大リーグ(MLB)の選手たちが来日し、さらに31、34年にもMLB選抜がやって来た。「野球の神様」と呼ばれたベーブ・ルースら伝説の名選手がプレーしたのは34年のことだ。

函館から小倉まで全国11カ所を転戦し、神宮球場での第5戦では豪速球でならした沢村栄治投手を打ち崩してMLB選抜が10―0で圧勝した。この日米野球の後、全日本選抜メンバーを中心に大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)が結成され、日本におけるプロ野球誕生にもつながった。

今回、神宮球場建て替えの反対運動で発起人となったのは、日米野球文化を比較した名著『菊とバット』(早川書房など)で知られる米国人作家、ロバート・ホワイティング氏だ。同氏はオンラインサイトの「Change.org」で署名運動を展開している。

「神宮球場は、阪神甲子園球場と並んで、日本野球史のさまざまな場面を彩ってきた。あのベーブ・ルースがプレーした、現存する野球場のひとつでもあり、世界野球史上においても記念碑的な存在だ」

ホワイティング氏はそう訴え、「現球場のリノベーションという対案の検討もされないまま、強行されようとしている。一度失われた歴史的球場、そして神宮外苑『100年の森』は取り戻すことはできない」と保存価値の高さを強調している。

米国でもスタジアムの建て替えを巡り、市民運動が起きたことがある。

1990年代後半、ボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークの建て替え計画を巡り、地元住民が立ち上がった。1912年建設の歴史ある球場だ。取り壊しに反対したファンは「Save Fenway Park(フェンウェイ・パークを守れ)」と訴え、最終的に改修のみで存続されることになった。

1914年に建設されたシカゴ・カブスの本拠地、リグレー・フィールドも同じく改修だけで済み、両球場はその後、「国定歴史建造物」に指定されて古き良き時代のベースボールの面影を今に伝えている。

左右非対称の球場の代表格として知られるフェンウェイ・パーク。開業時から左翼が短く、本塁打の乱発を防ぐため巨大フェンスが設置された。愛称「グリーンモンスター」は現在も残り、2022年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」では一面に星条旗が掲げられた AFP=時事
左右非対称の球場の代表格として知られるフェンウェイ・パーク。開業時から左翼が短く、本塁打の乱発を防ぐため巨大フェンスが設置された。愛称「グリーンモンスター」は現在も残り、2022年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」では一面に星条旗が掲げられた AFP=時事

甲子園に再びはわせた緑のツタ

神宮球場と並んで古い歴史を有する日本のスタジアムといえば、阪神甲子園球場をおいて他にはないだろう。神宮球場完成の2年前になる1924年、阪神電鉄が建設した大球場は、第二次世界大戦時の大鉄傘撤収や、阪神大震災での被災なども経験した。老朽化が課題となる中、2007年から3年近くをかけて大規模な改修工事を行い、今によみがえった。

当初はドーム球場に建て替える案もあったそうだが、阪神タイガースや高校野球が紡いできた歴史を尊重し、その案はすぐさま立ち消えになったという。球場の外壁を覆っていたツタは、種だけを採取してすべて取り除き、一から苗木を育て、10年近くかけて再び壁にはわせることに成功した。時間のかかる作業だったが、見事に今の甲子園球場を緑で彩っている。文化的価値を継承しようという願いがこもった改修だ。

甲子園球場のシンボルとも言える外壁を覆うツタ(2020年6月10日撮影) 時事
甲子園球場のシンボルとも言える外壁を覆うツタ(2020年6月10日撮影) 時事

これに比べれば、神宮外苑の再開発は、既に全面改築された国立競技場を含め、すべてを壊し、一から建て直すというものだ。フェンウェイ・パークやリグレー・フィールド、甲子園球場とは全く異なり、歴史や伝統への敬意がうかがえない。

バブル期以降、日本ではプロ野球ファンに親しまれた球場が相次いで閉鎖された。後楽園球場、大阪球場、日生球場、藤井寺球場、西宮球場、広島市民球場、平和台球場……。費用対効果からその多くが解体され、ビルや駐車場などに姿を変えていった。そんな過去を振り返れば、せめて神宮球場と甲子園球場は、日本野球の「文化遺産」として後世に残せないものか。

ラグビー関係者の浄財と勤労で建設

秩父宮ラグビー場の建て替えに反対しているのは、ラグビー元日本代表の平尾剛氏(神戸親和女大教授)だ。ホワイティング氏と同様、オンラインで署名を集める平尾氏は、伝統のラグビー場が屋内施設となり、人工芝が敷かれることに対して、次のように異議を唱える。

「ライブ会場にもなり、バスケットボールの試合も、アイスショーまでできる。北側スタンド席側に大きなスクリーンが設置される。確かに何にでも使えて便利で、効率的だが、そのような施設を『ラグビーの聖地』と呼べるのか。巨額の費用をかけて新施設を造らずとも、現在の秩父宮を改修するべき」

収容観客数も2万5000人から4割少ない1万5000人に減らされる。

新秩父宮ラグビー場の完成予想図【©Scrum for 新秩父宮】 時事
新秩父宮ラグビー場の完成予想図【©Scrum for 新秩父宮】 時事

戦後まもない1947年、米軍の駐車場となっていた元女子学習院の跡地に建設されたのが、当時の「東京ラグビー場」だった。日本代表の初代監督でもある関東ラグビー協会理事長・香山蕃氏の戦災火災保険金と各大学OBの浄財などで資金を集め、ラガーマンたちの勤労奉仕もあって建設にこぎつけた。日本ラグビー協会の名誉総裁だった秩父宮殿下の死去に伴い、1953年からは「秩父宮ラグビー場」と改称された。

施設は確かに老朽化している。だが、平尾氏は甲子園球場を例に挙げ、「私たちの聖地・秩父宮も、歴史ある競技場を改修することで次世代に継承したい」と訴える。

強欲な資本主義が公共財を破壊する日本

提訴した周辺住民らの訴えによれば、事業者が提出した環境影響評価(アセスメント)では、外苑内の高い樹木743本を伐採するという説明だったが、そこに低木約3000本は含まれていないという。イチョウ並木も新球場が近くなるため、工事が根に悪影響を及ぼし、将来的に木が枯れる懸念が指摘されている。

神宮外苑は、長い年月をかけて人々に親しまれた首都の森でもある。その環境が破壊されることに批判の声が高まっているのだ。

著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)がベストセラーになった東大の斎藤光平准教授も、一連の明治神宮再開発の反対運動に賛同する一人だ。

斎藤氏は「強欲な資本主義の暴走といえる。日本が低成長時代にある中、公共の富である『コモンズ』を破壊し、カネもうけのための道具に変えていく。神宮も秩父宮もそのままでは利潤を生まない。だから、それらを壊して新しく作り変える。手っ取り早く稼げるからだ。大企業の利益のための開発は、社会の持続可能性を守ることにはならない」と警鐘を鳴らす。

東京オリンピック・パラリンピックの開催に伴う開発が、人々に好意的に受け止められたとは言いがたい。歴史ある国立競技場を取り壊し、全面的に建て替えた新スタジアムは、運営に名乗りを上げる民間事業者さえ見つからず、赤字を垂れ流し続けている。他にも競技施設の建設が相次いだが、大会後の利用が進まず、大きな課題を残したままだ。

日本はまだ右肩上がりの高度経済成長を夢見ているのだろうか。もはやそれが幻想であることに早く気づかなければならない。

バナー写真:再開発計画に揺れる明治神宮外苑。上左から秩父宮ラグビー場、明治神宮野球場、神宮第二球場。下は建設工事の影響が懸念されるイチョウ並木(2022年12月3日撮影) 共同

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