天皇陛下の英留学と日英関係の絆

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日本と英国の緊密な安全保障協力が進んでいる。自衛隊と英軍が共同訓練などで相互訪問する際の手続きを簡素化する「円滑化協定」を締結し、イタリアを加えた3カ国で次期戦闘機の共同開発を進めるなど、約100年前の日英同盟が復活したかのようだ。この背景には皇室と英王室の強い絆がある。  

オックスフォード大学で寄宿舎生活を経験

議会制民主主義で立憲君主制の日英両国において皇室と英王室は国民から愛され、「国民統合の象徴」として社会の安定に寄与してきた。皇室と英王室の約150年の歴史でハイライトの1つは天皇陛下の 40年前の英国留学だった。

天皇陛下(浩宮さま)は、1983年6月からオックスフォード大学の寄宿舎で生活し、テムズ川の水上交通史を学ばれ、エリザベス女王ら王室メンバーと交流した。皇太子として初の長期留学だったが、85年10月に留学を終え、「寮の部屋ごと、記念に持って帰りたい心境です」と述べられ、93年に刊行された回顧録『テムズとともに』でも、「一口では表現できない数々の経験を積むことができた」と充実ぶりを記している。

英政府が留学成功に最大努力

英国では近年、陛下の留学に関する英政府の機密文書が秘密解除され、英国立公文書館で閲覧できる。それによると、日英関係進展のために英外務省が陛下の留学に最大限尽力していたことが分かった。

陛下が帰国を控えた1985年9月26日付で、中曽根康弘首相は英国のマーガレット・サッチャー首相宛てに書簡を書き、山崎敏夫駐英大使にサッチャー首相と面会して直接手渡すことを命じた。駐英大使が首相の手紙を渡すためにサッチャー首相と面会することはあまり前例がない。しかし、これを仲介した英外務省は、この異例の要請を受けるよう官邸にアドバイスし、山崎大使とサッチャー首相との面会が実現した。

「日本政府と日本国民を代表して、浩宮殿下が2年間のオックスフォード大留学に際し、あなたと英国民が示していただいた寛大なホスピタリティーに心より感謝申し上げます。殿下の留学体験は、殿下の将来のみならず日英関係にも計り知れない財産になる」

サッチャー首相に渡された中曽根首相の書簡には、感謝の言葉がつづられていた。

中曽根首相からサッチャー首相への書簡(1枚目)=英国立公文書館所蔵、筆者撮影
中曽根首相からサッチャー首相への書簡(1枚目)=英国立公文書館所蔵、筆者撮影

中曽根首相からサッチャー首相への書簡(2枚目)=英国立公文書館所蔵、筆者撮影
中曽根首相からサッチャー首相への書簡(2枚目)=英国立公文書館所蔵、筆者撮影

そしてサッチャー首相も85年11月15日、中曽根首相に返信した。

「浩宮殿下が留学先に英国を選んでいただき光栄です。殿下が学業のみならず英国生活で得た個人的体験が有益だと考えていただき大変嬉(うれ)しいです。殿下の留学は、親密で友好的な日英関係をさらに向上させると私も考えます」

サッチャー首相から中曽根首相に送られた返書=英国立公文書館所蔵、筆者撮影
サッチャー首相から中曽根首相に送られた返書=英国立公文書館所蔵、筆者撮影

両首相が陛下の英国留学で日英関係が一段と深化すると確認している。ジェフリー・ハウ外相も陛下帰国後の85年12月3日付で、山崎駐英大使に陛下から花瓶を贈答された礼状を贈り、留学は大成功で王室と皇室の絆が日英関係を促進させると強調した。

「成功した殿下の留学の記念品として宝物にします。殿下の英国留学は、温かで友好的な日英関係を促進させる最も価値がある役割を果たしました。来年、チャールズ皇太子夫妻の訪日で、この友好の絆をさらに深めていただくことを期待します」

また、中曽根首相はサッチャー首相への書簡で、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)にも、「警護担当に感謝したい」と謝意を述べていた。これをアントニー・アクランド外務事務次官が85年11月12日、ロンドン警視総監のケネス・ニューマン氏に伝えている。

「中曽根総理は、警護に感謝している。あらゆる観点から留学は成功、何年も日英関係に利益をもたらす。この大部分が殿下と警護チームが築いた良好な信頼関係によるものだ」

英外務省が陛下の留学が今後、何年も日英関係に利益をもたらすと受け止め、スコットランドヤードの警護チームに敬意を表している。ロンドン警視庁では、警護担当を殿下が滞在したオックスフォード大学の寄宿舎の隣の部屋に住み込ませ、24時間体制で任務についた。警護を担当したロジャー・ベーコンさんはフジテレビの取材に、「殿下は真面目だけどジョークが好きで社交的だった。一緒にいて幸せでした」と話している。ベーコンさんは、陛下をパブに誘い、陛下はお酒もたしなまれた。陛下は、『テムズとともに』で、「警備もさることながら、英国生活も教えてくれた」とベーコンさんに感謝を示されている。

ダンスのパートナーはキャリア外交官

また留学中に担当した英外務省極東部の職員3人に陛下から漆塗りの皿や大きな杯が贈られていた。陛下が帰国後の1985年12月11日、英外務省極東部職員が在英国日本大使館に陛下から贈答の謝意を伝える手紙が公開されて判明した。3人の職員のうち、大きな杯を贈呈されたリズ・ウエッブさんは同年初夏、重要な任務を果たした。オックスフォード大学留学中の陛下が参加された修了記念社交ダンスでお相手を務めたのである。

紳士の陛下には連れ出す相手がいなかった。そこで当時、英外務省に入省したばかりのウエッブさんに白羽の矢が立ったのだった。陛下とはそれ以前から親交があった。ウエッブさんはその夜の結果を外務省の上司に報告したが、内容は長く「機密」とされ、明らかにされなかった。陛下も『テムズとともに』でも触れられなかった。

陛下の英国オックスフォード大学留学時代に時事通信のロンドン特派員として、陛下を担当した八牧浩行氏は、日本記者クラブに「多様性と平和主義を学ばれた英国留学時代の浩宮さま」と題して寄稿したエッセイで、「実は浩宮さまには憧れていたクラスメートがいた。ノルウェーの聡明な人。ある時、『パーティーの誘いの手紙を出したら、行ってくれると返事があった』とうれしそうだった」と書いている。

修了記念社交ダンスの相手を務めたのは、ノルウェーのクラスメートではなかった。陛下が大きな杯を贈ったウェブさんが「大役」を務めたのだ。『テレグラフ』紙によると、ウエッブさんは、2018年3月、英南部ソールズベリーで起きた元スパイの毒殺未遂事件でロシアを担当するなど第一線で外交官の仕事を続けている。

86年10月、スペインのエレナ王女歓迎レセプションで雅子さまと運命の出会いを果たされ、自分の考えを述べられる雅子さまに心を奪われた。ウェブさんも翌87年に外務省に入省される雅子さまも外交官である。聡明、活発で自分を持った女性のイメージは雅子さまに引き継がれたのではなかろうか。英国留学で陛下の理想の女性像が「スポーツをする、自分の意見を言える、語学ができる」と変化した。修了記念社交ダンスの夜が陛下の心に少なからぬ影響を与えたのかもしれない。

兄のようなチャールズ国王との友好関係

また皇室との絆を裏付けるのが英国の最高勲章ガーター勲章だ。エドワード3世が1348年に騎士道精神実践のため創設し、叙勲はガーター騎士団一員になることを意味する。

英国国家に功労のあった人物と各国元首に贈られ、本人死亡後は返上する。外国人への叙勲は、キリスト教徒である欧州の君主が原則で、現在、デンマーク、スウェーデン、スペイン、オランダの君主ら8人が保持する。キリスト教徒以外の外国君主で唯一叙されているのは日本の天皇だ。19世紀後半に対露で手を組んだオスマン、ペルシャ帝国のイスラム教徒の皇帝3人に叙されたが、死亡後、返上している。

1906年、日英同盟更新で関係強化の一環から英国が明治天皇に贈り、以後3代の天皇に授与された。昭和天皇は、日英が干戈(かんか)を交えた1941年12月、剥奪されたが、46年に再び叙せられた。創設から670年の歴史で、剥奪され、回復したのは昭和天皇だけだ。

留学中に「家族の様に接してくれた」と陛下が感謝する英王室で、12歳年が離れたチャールズ国王は最も親しく、兄のような存在だった。ロンドンでオペラを鑑賞し、スコットランドではバーベキューやサケ釣りを楽しまれ、帰国に際して、夕食会も開いてくれた。国王が『テムズとともに』英語版の巻頭にメッセージを投稿している。  

「鋭い視点と繊細なユーモアのセンス、羨(うらや)ましい希望を持ち行った活動を興味深い描写力で書かれています。日英には、皇室と王室の固い絆を反映した親密な友情があります。徳仁殿下がオックスフォードで楽しく過ごされたことを拝読できることに感謝したい」 

即位し、最初の訪問先として招待してくれたのがエリザベス女王だった。5月の戴冠式には秋篠宮ご夫妻が参列される方針だが、チャールズ国王が訪日され、次に天皇、皇后両陛下の英国公式訪問が実現すれば、5代目のガーター勲章が叙され、チャールズ国王との40年来の交流の上に、新たな友好関係が築かれることだろう。

バナー写真=英国のオックスフォード大学構内を散策され、学友らと談笑される浩宮さま(当時)=1893年12月(時事)

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