変革の時を迎えた「スポーツ少年団」—学校部活動の受け皿担う中心的存在へ

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子どもたちのスポーツ環境を長く支えてきた「日本スポーツ少年団」が変わろうとしている。競技現場からの体罰や暴言の根絶を訴え続けている元バレーボール女子日本代表の益子直美さん(57)が本部長に就任することになり、行き過ぎた勝利至上主義の一掃に期待がかけられている。一方、文部科学省やスポーツ庁は学校部活動の地域クラブへの移行を進めており、スポーツ少年団はその受け皿となる可能性も秘めている。草の根スポーツを支える組織として、今後の取り組みが注目される。

国内最大規模の青少年スポーツ組織だが……

「日本スポーツ少年団」は、全国の競技団体を統括する日本スポーツ協会の傘下にある。60近い競技種目の少年団が登録し、2022年時点で加盟団数2万7575団、団員数54万7415人を数える。

ちなみに、加盟数が多いスポーツを挙げると、軟式野球、サッカー、バレーボール、バスケットボール、剣道などがあり、1つの少年団で複数のスポーツを実施しているところも全国で1700団ほどあるという。さらに、スポーツ以外でも絵や歌、クラフト、郷土芸能など文化活動にも取り組んでいる少年団も存在する。

全国各地のスポーツ少年団は地域の人々によって支えられ、保護者が指導者を兼ねているケースも少なくない。満3歳(登録年の4月1日現在)から入団が可能で、中学生や高校生も受け入れている。だが、中学校や高校では部活動に入るのが一般的なため、実際には小学生の活動が中心となっている。

国内最大規模の青少年スポーツ組織とはいえ、過去と比較すれば、加盟団数や団員数は減少の一途にある。2000年には加盟団数3万4532団、団員数は90万7963人を数えたが、20年あまりの間に団数で約2割、団員数は約4割減った計算になる。全国で進む少子化が拍車を掛けているのは疑いがないところだ。

本部長に「監督が怒ってはいけない」提唱の益子直美さん

子どものスポーツ環境が衰退を続ける中、スポーツ少年団史上初の女性本部長に決まった益子さんは「監督が怒ってはいけない大会」という、小学生のバレーボール大会を始めたことでも知られる。自分がバレーの選手だった頃の苦い経験を今の子どもたちに味わわせたくないと、2015年から大会を開催している。「指導者が怒ってはいけない」というルールのもと、怒った場面を見つけると、益子さんが試合中でも注意する。21年には大会と同名の一般社団法人も設立。子どもたちが心からスポーツを楽しめる環境を追い求めている。

自らの経験を基に、スポーツ指導における暴力行為根絶を訴え続けてきた益子直美さん(中央)。2021年10月には、仲間とともにスポーツ庁に専門機関の設立を求める要望書を提出した 共同
自らの経験を基に、スポーツ指導における暴力行為根絶を訴え続けてきた益子直美さん(中央)。2021年10月には、仲間とともにスポーツ庁に専門機関の設立を求める要望書を提出した 共同

法人設立にあたり、益子さんは「(大会創設から)10年でこの活動は必要なくなったと言われるように活動していこうとゴールを設定していましたが、現状はなかなか広めることができずにいます。部活での監督からの暴言で自死してしまった高校生のニュースや、パワハラ指導でのケガのニュースを聞くと、さらにスピード感を持って、活動していかなければいけないと危機感を持っています」と述べている。

益子さんによれば、「怒る指導によって失われるもの」があるという。①チャレンジ精神②主体性③学ぶ機会④笑顔――の4点だ。いずれも子どもの成長に欠かせないものだ。

しかし、目先の勝利に指導者が固執するあまり、スポーツの本質が損なわれている。スポーツ少年団の子どもたちが減っているのも、こうした古い体質と無関係ではないはずだ。

全日本柔道連盟では、昨年から全国小学生学年別大会を廃止した。04年から始まった大会だが、全柔連は「小学生の大会においても行き過ぎた勝利至上主義が散見される」として、全国各地の連盟に大会の取りやめを通知した。指導者が成長期の子どもに減量を強いたり、判定を巡って指導者や保護者が審判に罵声を浴びせたりすることがしばしばあったという。

益子さんの取り組みや全柔連の決定に共通するように、スポーツ界全体に現状への危機感が広がっている。

地域コミュニティーの構築でも存在価値

問題は小学生だけにとどまらない。益子さんも指摘するように、中学校や高校の部活動でも、勝利至上主義を背景にした体罰や暴言、ハラスメントが後を絶たない。一方で、部活動の指導で教員の負担が過剰になり、社会問題化している。このため、国は学校の部活動を地域のクラブなどに移行させる取り組みを今年度から始めた。当初は3年間で全国の公立中学校の部活動を地域に移行させる予定だったが、地域に受け皿となるチームや指導者が不足しており、計画は早くも難航している様子だ。

そんな中、スポーツ少年団は2023-27年の5カ年計画(アクションプラン)で、この問題解決に協力する方針を打ち出した。「中学校運動部活動との連携」を掲げて、「スポーツ少年団が主体的に運動部活動の地域移行に関わるための支援を行う」との意向を示したのは、スポーツ界の変革を担うことへの責任感だろう。

小学生が中心のスポーツ少年団の活動を、そのまま中学生まで継続できるような仕組みに変えられないものか。平日の活動は難しくても、週末は学校の施設を使い、地域の指導者や保護者も参加すれば、小中学校を通じて活動を継続することは可能だ。地域の子どもと大人がつながる「コミュニティーの構築」という点でも意味はある。

アクションプランには「子どもたちを取り巻く環境が変化するなか、スポーツ少年団の理念のもと、これまで以上にスポーツ少年団で活動する子どもたち、活動を支える人たちを増やす」と記されている。

その理念として掲げられているのは、

▽一人でも多くの青少年にスポーツの歓びを提供する

▽スポーツを通して青少年のこころとからだを育てる

▽スポーツで人々をつなぎ、地域づくりに貢献する

の3点だ。時代を超えて通じる理想といえる。

スポーツ少年団という枠組みだけにとらわれず、学童野球や少年少女のサッカー、ミニバスケットボールなど小学生を対象にした地域の活動は数知れない。そのようなチームや組織が「中学生の部」を作れば、学習塾や習い事のような出費を伴わなくても、緩やかな形で部活動の地域移行が進められるのではないか。大会参加の規定も、それに合わせて学校単位だけではなく、地域クラブ単位でも認める方式に変えていくべきだ。

哲学的に「子どものスポーツ」を論じる

歴史を振り返れば、スポーツ少年団の発足は1962年のことだ。当時の日本体育協会(現・日本スポーツ協会)で、東京五輪に向けた啓発活動の一環として、スポーツによる「青少年の心身の健全育成」がテーマに持ち上がり、五輪開幕2年前の同年6月23日の「オリンピックデー」に正式発足した。国際オリンピック委員会(IOC)が1894年にパリで創設されたことを記念する日だった。

スポーツ少年団の発足にあたり、日体協には基本方針となる「哲理」を話し合う委員会が設けられた。その中には東京五輪の日本選手団団長を務めた1932年ロサンゼルス五輪陸上三段跳びの銅メダリスト、大島鎌吉氏らがいた。後に「五輪の哲人」とも呼ばれた大島氏らは、なぜスポーツ少年団が必要か、について議論を重ねた。当時の資料にはこのような意見が残されている。

「人間の幸福というものは、心も身体も健康で、人と人が互いに信頼し合い協力し合って、希望に満ちて仕事をしたり、勉強したりするところにありますが、あまりにも急速に物質文明が発達すると、人間は機械に使われ、機械に引き廻されて人間の本性を見失い、健康を損なって知らず知らずの間に不幸に陥ってしまいます」

子どものスポーツ組織を作るというのに、論じられていたのは高度経済成長期における人間の幸福という哲学的なテーマだった。物質文明が発展する中で、若者をどう育てていくかという問題意識が根底にあった。

「一番大切なのは若い人たちです。これから伸びてゆこうとする少年たちは、どんな環境にあっても自分を見失なうことなく、力強く豊かに生きてゆく力を持つことが必要であり、その力を養う機会が与えられなければなりません。この要求に応じて、少年たち自らその力を養う新しい場を持つこと、これがスポーツ少年団をつくり育てる必要の根本であり、全部であります」

人工知能(AI)の急速な発達に揺さぶられる現代社会にも通じる部分はある。スポーツ少年団が創設された当時の原点に立ち返り、スポーツが本来持つ純粋な喜びを取り戻さなければならない。子どもの環境や青少年の教育を改めて見つめ直す時だ。

バナー写真:どんな時も自分を見失わず、力強く豊かに生きていく力を身につけるために、少年スポーツが果たす役割は大きい(写真はイメージ) PIXTA

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