政治劣化の今こそ石橋湛山に学ぶべき:拡大する超党派100人の国会議員連盟

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政治とカネの問題で混迷する国会で、日本の針路を考える超党派の議員連盟が注目されている。設立半年で会員が約100人と倍増した「石橋湛山研究会」である。没後50年の湛山は高い視座で日本を見つめ、戦前は植民地放棄や戦争反対を訴え、戦後は対米一辺倒でない自主外交や、政界の綱紀粛正、派閥解消を主張した首相だ。「今こそ湛山に学び、国の舵(かじ)取りのヒントを得る」と話す同会幹事長の古川禎久元法相に、政治の信頼回復の課題を含め聞いた。

古川 禎久 FURUKAWA Yoshihisa

衆議院議員。1965年、宮崎県生まれ。東京大学法学部卒。建設省入省、2年目で退官し、衆院議員秘書、2回の落選を経て、2003年の総選挙に無所属で初当選(追加公認で自民党に)。郵政民営化法案に反対し一時離党。党青年局長。21年、第1次岸田内閣の法相として初入閣。派閥は橋本派、山崎派、石破派(初代事務総長)、茂木派(24年1月に退会)。

今日の政治を憂える発言相次ぐ勉強会

自民、立民、維新、公明、国民など党派を超える議員が参加する湛山研究会は、昨年6月に結成された。共同代表は自民の岩屋毅・元防衛相のほか、立民、国民の計3人が就き、幹事長に古川氏、事務局長は立民から選ばれた。国会開会期に、湛山に詳しい講師らを招いて勉強会を開いている。初回の参加者は44人だったが、その後、特に勧誘活動はしていないのに会員は倍以上に増え続けている。

第4回勉強会が2月21日、衆議院議員会館で約50人が参加して開かれた。講師の政治評論家で多摩大学学長の寺島実郎氏が「石橋湛山への視座」と題して講演し、「この議連の持つ意味は大変重要です」と締めくくった。参加議員の意見交換では、立民の逢坂誠二氏、自民の稲田朋美氏らから今日の政治の劣化を憂える発言が相次いだ。

湛山議連の第4回勉強会(2024年2月21日、国会議員会館内)=筆者撮影
湛山議連の第4回勉強会(2024年2月21日、国会議員会館内)=筆者撮影

日本の舵取りを考える

古川氏は会結成の経緯をこう話す。

「米中対立に挟まれた日本が、どうやって生き延びるか?この数年というもの、この大問題が頭から去らない。何かのヒントを探して石橋湛山評論集を引っぱり出して読み直すうちに、今の日本に、湛山スケールの構想力や胆力が必要だと思い至った。見渡すと、湛山に共鳴する国会議員が意外と多いことにも気付いた。立憲民主党がすでに石橋湛山議連を立ち上げていたが、『国の舵取りの話だから一緒にやりませんか』と話すと、立民さんが快く『一緒にやろう』と先の議連を発展的解消してくださった。それで超党派議連が誕生した」

「こうして超党派石橋湛山研究会が発足した後、いわゆる裏金問題が発覚。今や政治が国民の信頼を失っている。戦前はここで軍部が台頭したが、現代においても破滅的ポピュリズムが出てくる恐れは否定できない。政党政治そのものの危機だ。湛山は自民党総裁、首相として1957年に派閥解消、政界の綱紀粛正を訴えた。政党政治を立て直すうえで湛山に学ぶことは多いはずだ」

戦前に植民地を手放す「小日本主義」を主張

湛山は戦前、東洋経済新報の記者として大正期から社説「一切を棄(す)つるの覚悟」(1921年)などで「小日本主義」(日本の領土を旧来の主要4島に限定し、朝鮮、台湾、満州=現中国東北部=などの植民地を手放す平和的発展論)を訴えた。また軍部ににらまれながらも政府・軍部への批判的態度を崩さなかった。

戦後は政界に転身し、第1次吉田茂内閣の蔵相となり、積極財政で経済再建に努めたが、連合国軍総司令部(GHQ)によって公職追放に。4年後に復帰し、自民党初の総裁選(56年)で、10人ほどの小派閥ながら大派閥を率いる岸信介・党幹事長らと戦い、決選投票で逆転勝ちして首相となった。しかし、病気のため潔く在任65日で退陣した。

派閥政治を批判

新内閣の基本目標として湛山は「五つの誓い」を掲げ、「国会運営の正常化」「政界・官界の綱紀粛正」「世界平和の確立」などを訴えていた。政界については、「腐敗していれば国民の信頼をつなぐことはできない。綱紀粛正のため、間違ったことがあったら思い切って処罰する信賞必罰を厳重に守っていこう」と述べていた。

また、湛山は後に「今の政治家諸君には『自分の信念』が欠けている。その理由は、選挙に勝つため、よい地位を得るためと目先のことばかりに気をとられすぎているからだ。派閥のためにのみ働き、自分の親分の言うままに従っている」(要約)などと派閥政治を批判していた。

世界平和については、「向米一辺倒(米国との関係を最重視)という自主性なき外交をいかなる国ともしない。米国とは緊密な協調を保ってはいくが、私は米国に率直な要求をし、わが国の主張に耳を貸してもらう。時々主張が一致せず、気まずい思いをすることもあるだろうが、それは緊密を増すための手段だ。米国以外の国についても同様の方針で臨む」と述べた。日本が敗戦後の対米従属路線から転換して、独立自尊で自主外交を展開し、共産圏も含めた各国と仲良くしていく方針を明らかにしたのである。

湛山は当時、まだ国交のなかった中国との関係改善にも積極的で、首相退陣後には党除名を覚悟して訪中し、日中国交回復の基礎を固めた。「日中米ソ平和同盟」が持論で、この4カ国が集団安全保障条約を結ぶ平和構想を唱えていた。

対米従属を否定

「戦前には日本が領土拡大をめざす『大日本主義』をとっていた時に、湛山は外地の植民地を手放せと、命懸けで主張した。戦後は総理大臣になると、アメリカの言うことをなんでもハイハイと聞くようなことは、日米両国のためには良くないからしない、と堂々と言ってのけた。病気による早期退陣で湛山路線は挫折したが、湛山の構想力と胆力には学ぶことが多い」

こう語る古川氏が、日本を取り巻く国際環境の中で最も心配しているのが台湾有事だ。

「米中対立に挟まれた日本がどうやって生き延びるか。『日米同盟で中国を封じ込める』なんていう単純な話ではない。勇ましいことを言う政治家もいるが、危うい。もし在日米軍基地から米軍が出撃したら、日本は自動的に戦争当事国になる。現代の戦争は、サイバー、電磁波、宇宙といった新領域の戦いだ。交通や通信、エネルギーなどの各種インフラが破壊され、食料や医療のサプライチェーンも寸断されうる。勝つことも、負けることもできぬまま、国を失うこともあり得るのだ」

「日本には『戦争回避』という選択肢しかない。米中対立に巻き込まれないことが第3国の国益だ。そのために外交に全力を挙げなければならない。中国に『覇権主義をやめて、国際協調でいくべきだ』と粘り強く説得できるか。安全保障をアメリカに委ねてきた日本が、自主外交を展開できるか。こうした日本の針路を考える時、時代を見据えた湛山の言説が道しるべになってくる」

湛山議連に集う議員が“台風の目”に

米国中心の秩序がしぼみつつあり、そして、自民党に対する国民の信頼失墜。内外の当たり前と思われていたことが今、次々と壊れている。

古川氏は言う。

「まずは自民党が自己改革をし、それを国民に見ていただく。それ以外に信頼を得る道はない。私は『全ての派閥は解散し、更地にして、新しい自民党を考えよう』と主張し、所属していた茂木派を退会した」

「55年体制の余韻を引きずったままでは、これからの時代の舵は取れない」

「政治資金の透明化・国会改革・選挙制度改革の3点セットの『令和の政治改革』が必要だ。現行の小選挙区比例代表並立制は、投票率の低さからみても民意を十分に反映できていない。選挙制度は民意を最大に反映したものであるべき。私は『中選挙区・連記制』(複数の候補に投票できる)を提唱している。民意を最大に反映した政権をつくり、その民意をエンジンにして政策を実行する。激動の時代には、機動的に、果敢に、日本丸の舵を取る政治が必要だ」

湛山はかつて自分の後継である岸首相の安保騒動期、自民党を脱党して、中道保守の新党結成を目指す動きを示したことがある。

古川氏は「湛山研究会が超党派議連として政局(政権闘争)の目的を持って行動することはない。だが、日本の現状を憂え、改めようと問題意識を持った国会議員が100人も集まってきている。湛山議連が、ということではなく、ここに集う議員一人一人が“台風の目”となっていくことはあり得ると思う」と語っている。

バナー写真:第3回自民党大会で石橋湛山氏が総裁に選ばれる=1956年12月14日、都内で(時事)

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