能登半島地震、津波は短時間で到達 東日本大震災の教訓は生かされたのか?

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2024年の元日に石川県能登地方で発生した最大震度7の地震。東日本大震災の教訓が生かされたのかを検証し、今後発生が予想される地震災害への備えを展望する。

東日本大震災と重なる光景

2024年の新年は、令和6年能登半島地震による大災害で明けてしまった。多くの場面で、東日本大震災と重なるところが多く、大変に悲しく苦しい状況である。被災地の皆様にお見舞い申し上げるとともに、できる限りの支援ができればと思っている。災害はいつも突然で、しかも新しい姿を見せつけるが、今回も驚きの連続である。日本海での活断層により、最大クラスの直下型地震の発生、さらに、断層の一部が海域に拡大したために津波が発生し、一時は大津波警報が発表された。陸域では、地すべり、液状化そして火災が連鎖していった。現在も、影響や被害の全貌は見えていないが、東日本大震災での経験や教訓がどこまで届いていたのか?これから提供できる情報や支援として何があるのか?を考え、そして南海トラフ地震、首都直下地震への備えの強化も含めて行動していきたい。

地震と津波の概要

3年前から連続地震が生じていた能登半島において、前震の後に、2024年1月1日午後4時10分にM7.6の大地震が発生し、観測された最大震度は石川県志賀町で震度7になり、その後、輪島市でも震度7に修正された。震度階級の最上位の階級であり、地震動の強さの程度が最大にランクされる。この地域での相次ぐ地震のために、住宅や建物も少なからず被害や影響があり、修復最中のものも今回の強震により倒壊してしまったようである。耐震化の遅れに加えて、このような過去の揺れ蓄積の影響も無視できないと考える。

この地震の2分後には、気象庁が山形県、新潟県上中下越、佐渡島、富山県、石川県能登・加賀、福井県、兵庫県北部の各津波予報区に津波警報、その他日本海沿岸各地の津波予報区にも津波注意報をそれぞれ発表していった。その10分後には、石川県能登の津波警報が大津波警報に切り替えられた。大津波警報の発表は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災を引き起こした巨大地震)以来になる。大津波を起こすような大地震は、一般的には太平洋側に多く発生しているが、過去6回の大津波警報の事例の中で、今回も含めて、1983年日本海中部地震津波、93年北海道南西沖地震津波と、実に半数が日本海側で発表されている。

能登半島周辺で何が起きていたのか? ―複合災害の姿

強震動(震度7)と同時に、断層の周辺では地盤が隆起と沈降し地殻変動、沿岸の平地では液状化、山間部では土砂崩れが生じた(写真1)、そのために建物の倒壊(写真2)に加えて火災、山間部で河道閉塞、その結果、電気、水道などのライフライン被害、道路、橋、港などのインフラ被害が生じてしまった。

写真1 河原田川沿いでの土砂崩れと河道閉塞箇所=石川県輪島市熊野町(筆者撮影)
写真1 河原田川沿いでの土砂崩れと河道閉塞箇所=石川県輪島市熊野町(筆者撮影)

写真2 被災した石川県輪島市河井町の市街地(筆者撮影)
写真2 被災した石川県輪島市河井町の市街地(筆者撮影)

数分後には、津波が発生し能登半島および周辺に、あっと言う間に津波が押し寄せてきた(写真3)。これがいわゆる、地震による複合災害になった。特に、大津波警報が発表されている間には、高台や避難場所への緊急避難が優先であり、火災の初期消火や倒壊家屋からの救助などは難しい状況であった。これが連鎖していく複合災害の恐ろしさになる。建物の耐震化や防火装置の設置など事前の対応がいかに重要かを改めて認識したい。

写真3 石川県珠洲市宝立地区での状況(筆者撮影)
写真3 石川県珠洲市宝立地区での状況(筆者撮影)

被害の大きかった半島の先端部の平地が少ない地域で、中山間地の集落につながる道路やライフラインが寸断され、集落の孤立が多く発生した。そのため緊急復旧や今後の本復旧・復興のメインルートとなるべき幹線道路に大きな被害が発生し、被災地の支援の初動対応が取りづらい状況が発生した。

日本海側での津波の特徴 早い到達と長時間の継続

プレート同士のひずみで起こった東日本大震災のような「プレート境界型地震」に対し、内陸で起きる「直下型地震」は日本列島が乗っているプレートの内部で起きる。被害範囲は限定される一方、断層の位置によっては津波の到達時間がかなり早く、揺れは局所的に強くなるという特徴がある(図参照)。

地震の発生場所

日本海側ではこれまで大きな津波の発生が少ないイメージもあるようだが、実際は違う。1993年の北海道南西沖地震(M7.8)では、震源に近い北海道・奥尻島に地震発生から数分後に津波が到達。高さは最大で29メートルにもなり、200人以上の死者を出した。1983年に起きた日本海中部地震(M7.7)では、青森県と秋田県の沿岸部に地震から8〜9分後には津波が襲来。最大で14メートルの津波にもなり、100人以上の死者を出している。大津波警報が過去6回発表されたが、今回も含めて日本海での発表が3回にも及んでいることはあまり知られていない。

実は、能登半島周辺でも、半島の北から北東の海底に断層があることが知られていた。今回はこの断層も含めて長さ150キロにわたって陸側に動いたと見られている。さらに、沿岸に近い海底が隆起したり沈降したりして発生した津波が、すぐに到達したという。

東日本大震災では、日本列島が載っている陸側の北米プレートとその下に潜り込むように動いている海側の太平洋プレートの境界付近で発生したタイプであり震源は陸地からも遠く、津波が沿岸部に到着するまでに一定の時間猶予があった。想定されている南海トラフ巨大地震も、この「プレート境界型」になる。しかし、日本海側での地震は、陸地や陸地に近い海底の活断層で起こることが多く、震源も比較的浅いため、津波が起きればすぐに沿岸部に到達することになる。実際に、珠洲市、輪島市、能登町、七尾市などでは、1~2分以内に津波の初動が到達したと数値シミュレーションで推定された。当時、津波警報等が発表されたのが2~3分後であったので、すでに津波の初動が沿岸域に到達したことになる。

能登半島で発生した断層と津波の発生方向(水色矢印)

津波シミュレーションによる再現

加えて、長い時間にわたって津波の継続が見られた。今回も注意報が解除されたのは18時間後である。下図に示すように日本海は、ロシアや朝鮮半島にも囲まれた閉鎖海域であり、一旦津波が発生するとこのエリアで寄せたり、引いたりを繰り返し、なかなか減衰しなかった。実際、各地での験潮記録によると、約24時間の海面の変動があった。また、日本列島側の浅瀬海域が続くために、ここでも津波が寄せたり、弾いたりが繰り返され、複雑な挙動になる。それらが組み合わさると後続の津波が大きくなる場合もある。津波は能登半島を中心に繰り返し押し寄せ、長時間、影響を与えていたと言える。

日本海域での観測された津波

津波による被害状況

国土交通省によると、震源に近かった石川県珠洲市、能登町、志賀町では、津波で浸水した面積が少なくとも計190ヘクタールになった。また、土木学会海岸工学委員会などの調査によると、志賀町の赤崎・鹿頭地区では5.1メートルの高さまで津波が押し寄せていたという。珠洲市沿岸(宝立地区)では海岸線にはえぐられたような痕跡があり、津波が侵食したことが分かる。強いパワーがある津波が海岸に押し寄せた証拠だという。さらに、船や車を持ち上げ、弱い建物を壊し、瓦礫(がれき)を押し流した。流れが強力であった証拠の1つが破壊されたアスファルトであり、強い流れで剥ぎ取られ道路も壊れている状況があった。

強度の弱い建物は壊されているが、多くの建物は残っている。東日本大震災では、海から陸に乗り上げた強い流れがずっと続き、建物を根こそぎ破壊した。今回は長周期の波ではなく比較的短い周期の波だったため、海岸に波しぶきのようにパーンと打ち寄せ、砂浜を浸食したが、そこでパワーが一定程度そがれて、街の方に入っていった可能性があるという。

現地調査をしなければ確実なことは分からないが、航空写真で被害建物を見ると、1階は浸水しているようだ。地盤が海抜2~3メートルの場所なので、津波の高さは4メートルを超えていたのではないか。海岸線から内陸へ数百メートルにわたって浸水したが、その浸水域の広がりは実はもっと大きかった可能性があり、地殻変動のために抑えられたと考えられる。国土地理院の暫定的な解析では、石川県の珠洲市は隆起していたとみられるからである。逆に沈降していたら、もっと浸水範囲が広がっていただろう。輪島市は珠洲市よりかなり隆起したために、津波の影響があまりなかったのではないかと推定している。

当時の津波避難は? 東日本大震災の教訓は生かされていたのか?

当時の津波からの避難状況はどうだったのか? まず、「津波防災地域づくりに関する法律(津波防災地域づくり法)」が東日本大震災の直後に制定され、各都道府県では最悪シナリオによる津波ハザードマップが策定されていった。石川県では2012年3月に見直し作業が行われ、各地域に配布されていた。

住民からの証言によると、能登半島の多くの地域では、東日本大震災の経験に基づく避難訓練がなされ、迅速な行動が取られていたようである。地震から津波の想起や、避難の呼びかけに教訓が生きていたと思われる。

一方で、半島以外での地域では、東日本大震災を契機に避難訓練を実施していたが、継続につながらなかった事例もあり、避難時に混乱もあったようである。さらに、車を使った避難により渋滞が発生したり、緊急津波避難場所が開放されていなかったりするなど、課題点も指摘されている。

避難の在り方 「揺れたらすぐに避難」

では、限られた時間の中でどのような避難をするべきなのか。気象庁が注意報や警報を出す目安は発生から3分だ。早いところだとその3分以内に津波が到達する可能性がある。日本海側の多くの断層の幅、長さなどから浸水域は太平洋側と比べ比較的限られることも多い。揺れたらすぐに避難することを徹底してほしい。作業や釣り、サーフィン、海水浴などで沿岸部にいる方は、強い揺れを感じたらまずは沿岸部からは離れていただきたい。加えて河口や河川に沿ったエリアも津波の到達が非常に早いので、そこからも離れていただきたい。今後も南海トラフを中心に地震および津波が発生する可能性は高い。その際に、今回の複合災害の実態を理解し、経験と教訓を生かして今後の事前防災を充実させ、避難意識を向上させなければならない。過去の悲劇を繰り返さないことこそ、東日本大震災の教訓であり日本の防災文化の原点である。

今回の地震において津波が発生したが、津波浸水想定を踏まえたハザードマップの公表、東日本大震災など、これまでの我が国における災害経験を踏まえた住民の避難訓練の実施が、被害の最小化に寄与したと考える。一方で、新潟の液状化被害は、過去に液状化したところで発生しており、過去のデータの蓄積から、これからの被害発生リスクを予測することの大切さが改めて示された。これらを含め、これまでの災害経験と教訓を伝承し、あらゆる関係者が情報発信していくことが重要であり、それらに活用し得る情報・データを集約し、伝承していくアーカイブの構築などが求められる。

バナー写真:能登半島地震による火災が発生し、煙が上がる石川県輪島市の市街地=1月2日午前[時事通信チャーター機より](時事)

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