ASEAN中所得国の経済安全保障:「関心はあるものの…」、日本と温度差

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日本を含む主要国において、近年重要性が増す一方の「経済安全保障」。しかし、日本の製造業がこれまで国際的サプライチェーン構築の拠点としてきた東南アジア諸国では、かなり認識に温度差がある。

米中経済対立の激化、新感染症のまん延や地政学的リスクの顕在化は、企業の国際的なサプライ・チェーンに対し、重要物資供給の安定的確保の視点を加味する重要性を強く認識させた。そして、特に主要国で、企業のかかる対応を政策面から支援する「経済安全保障」政策の必要性が増し、日本でも全省庁的な取り組みとして緊急対応体制や政策枠組みが整備されてきた。同時に、上述の動きの中で、日本の製造業企業がサプライチェーンの主要な構築場所としてきたASEAN(東南アジア諸国連合)の重要性がさらに増している。

ところが、日本とASEAN諸国との間では、経済安全保障の意味合いや対処策の必要性に係る認識において、大きな温度差があるように感じられる。

筆者が経済安全保障に関してタイの有識者や政府関係者との議論を企画すると、まずもってその分野の専門家や政府担当部局にはたどり着かない。識見のある方と議論をしても、その内容はいつの間にか、中期的な高成長のための官民の投資促進に向けた相互間協力や、食料安全保障などの個別の内容に向かう。2022年の日タイ首脳会談では、岸田首相がサプライ・チェーン強靭化を含む経済安全保障分野での協力の推進を、脱炭素化や成長分野での協力と併せて言及したが、プラユット首相は、日本企業からのさらなる投資機会と解釈して期待を寄せた模様である。

では、ASEANの中所得国において、経済安全保障という課題への認識や対応はどのような現状だろうか。これを、ASEANの中でもサプライチェーン構築の主な舞台である大メコン圏に位置するタイを事例に概観し、必要に応じてベトナムの事例を対照する。

関心はあるが対応は「個別の経済政策で」

タイ政府の経済安全保障政策の検討・実施部局や依拠すべき政策枠組みの有無を調べると、軍事・防衛政策を担う国家安全保障委員会・同事務局(NSC)は経済安全保障政策を所掌しないこと、所掌するとすれば国家経済社会開発庁(NESDC)となることが類推される。しかし、NESDCには経済安全保障との文言を冠する部局は、課レベルでも存在しない。他方、主要経済国の経済安全保障政策への関心は、国家経済社会開発計画において示している。

同計画では、新感染症の流行とそれに伴う情報技術の進歩などがタイ経済にもたらした影響、米中経済関係の悪化やアジア域内での資源等の利権をめぐる紛争等がタイの経済や地理的優位性に与えた影響を考察している。しかし、同計画で政策の基本的な方向性を述べる章に「経済安全保障」の文言はなく、上述に関連する個別の政策が並列的に列挙されているだけである。つまり、経済安全保障への関心は持つ一方で、政策は、個別に、経済安全保障以外の観点から実施されているというのが、タイの現状であり、タイにとっては「それで十分だ」ということなのだろう。

では、タイ(を含むASEAN中所得国)は、なぜ、個別対応で十分と考えるのだろうか。これを、日本の「経済安全保障法」で緊急の法整備を要すると規定された4項目=重要物資や原材料のサプライチェーンの強靱化、基幹インフラ機能の安全性・信頼性の確保、官民が連携して重要技術を育成・支援する枠組み、特許非公開化による機微な発明の流出防止=のそれぞれについてのタイの対応から考えていく。その際、前提として、タイはサプライチェーンの構築国ではなく一角を担う国であること、そして、昨今の外的な経済環境の変化の中で、中国からの逃避・分散投資を動機とする直接投資が増えていることに留意する必要がある。

「重要物資や原材料のサプライチェーンの強靱化」に係るタイの役割は、タイでの工程に係る部品・原材料・資源の供給元国との良好な貿易関係の構築・維持と、物流インフラの改善である。前者に関して問題となるのは、半導体供給(後述)のほかは、従前から取り組まれている食料安全保障やエネルギー安全保障くらいである。後者は4項目のうちの「基幹インフラ機能の安全性・信頼性の確保」に関係するが、タイではインフラ不足がなお続いており、その量の面での充実が、経済安全保障の視点に関係なく重要である。

「重要技術を育成・支援する枠組み」についても、タイ政府は、経済安全保障の観点の有無にかかわらず、外国からの高度技術の移転を伴う直接投資の受入れを通じてこれに取り組んできている。こうした取り組みの中で、「機微な発明の流出防止」に関する政策についても、今後、検討されていく可能性はある。これらは、ベトナムについても同様の指摘が可能だろう。

なお、タイ、ベトナムとも、アメリカの相互関税導入の動きに対しては、即座に対応する体制を構築したが、この動きは、総合的な経済安全保障を志向する政策対応とは見なしにくい。タイは、アメリカへの主要輸出品目に対する関税の引下げを交渉するが、アメリカからの輸入品に関しては先方の要望にどう応じるかを検討するだけで、重要物資の供給の安定性確保という経済安全保障の観点からの取捨選択は極めて限定的になると考えられるからだ。

既存の経済社会開発計画には経済安保の視点が欠ける

ここで、タイを含むASEAN中所得国はいずれも、中期の経済社会開発計画を有しており、かつ、上述を踏まえると、経済安全保障とは結局、「総合的な産業発展計画と、当該計画の安定的な実施を確保するための経済外交戦略の組み合わせ」と読み替えることができるように思えてくる。ASEAN中所得国においては、同計画があれば、経済安全保障との文言を冠する部局や新たな政策方針は必要ないのではなかろうか、との疑問も生じる。

この疑問に対する答えは「条件付きで是」である。条件とは、当該計画に自国経済に係る生産活動面からのBCP(事業継続計画)を描き、これを確保することが盛り込まれていること、である。多くの国において、中期的な経済社会開発計画は、政府の中期的な予算配分の根拠となっており、政策間調整も予算配分の観点からに限られる。これにかんがみれば、ASEAN各国の経済社会開発計画は、現状では経済安全保障の枠組みを代替せず、当然ながら、経済安全保障に係る経済外交の基礎をなす考え方に置くこともできない。

難しくなる「バンブー外交」

経済安全保障の政府を挙げての基本的な対処方針がないことが外国との経済交渉において不利に影響するという点は、もう少し掘り下げて述べる必要がある。

国際経済関係に関する経済安全保障政策の基本的な考え方には、経済安全保障そのものの目的であるデリスキング(リスク回避)と、防衛力に代わる力としての国際経済関係の戦略的活用の2つが含まれる。ASEAN諸国にとって重要となるのはデリスキングのほうであり、これは、重要物資の供給の安定性確保に向けた国際経済関係の構築を意味する。

経済安全保障が特に主要国間で大きな課題になる中で、経済安全保障の観点からの明確なスタンスを持たない国は、国際的な要請や協力の申し出に対して明確な回答ができなくなる(前述の日タイ首脳会談でのタイの対応もその一例である)。

タイやベトナムは、各方面に良い顔をしながら自国の利益を高める「バンブー(竹)外交」が得意であると言われる。この外交方針は確かに、平時には有効かもしれないが、例えばアメリカの「狭い庭、高い柵」(国際貿易ルールをなるべく順守しつつも、先端技術の利用を通じたアメリカの経済的利益を確保しながら覇権競争の相手側陣営への利用制限を課すという対応方針)に対応できない。各国に、高い柵の内側か外側かのどちらかの選択を明確に迫るからであり、どちらも選ばず投資恩典などによって先進国企業側の対内投資を待っていても、狭い庭の中に存在する先端技術は自国には来ない。この点で、タイは現状、バンブー外交から離れていないが、ベトナム政府は、経済の対中依存が進んでいる中でも、重要個別物資のうち全ての産業にとって必要不可欠である半導体の自国への供給に関してはアメリカを選択して交渉を行っており、この点ではバンブーから脱している。

「防衛力に代わる力としての国際経済関係の戦略的活用」の面では、ASEAN中所得国は、日本が提唱した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想に呼応している。ただしこれは、日本の経済安全保障に係る協力への呼びかけに積極的に応じるもので、ASEAN中所得国が独自の経済安全保障政策を推進しているわけではない。ASEAN諸国にとっては、経済安全保障というより、経済関係の強化を通じた国家安全保障政策となるものである。

ASEAN全体での対応も限定的か

ASEAN各国にとって、経済安全保障に係る認識の高まりが「外的経済環境の変化」と見なされ、関連の取り組みが個別対応になっている主因は、彼らがサプライ・チェーンの構築主体ではなく主要な一角であること、経済活動のレジリエンスより経済成長を志向していること、などにある。そして、ASEANの各国単位では、経済安全保障政策が実現する機運は、今後も高まらないように思われる。

また、ASEAN全体として経済安全保障を主体的に検討・実施する余地も限られよう。現状では総合的な枠組みはないが=食料安全保障、エネルギー安全保障のほか、通貨スワップ協定(多国間チェンマイ・イニシアティブ)など金融市場における連携協力の枠組みは存在=、ASEAN経済共同体の目標の一つに、世界経済のショックと急激な変動に対する経済頑健性の強化が掲げられている。この観点からASEANの経済安全保障も検討し得るかもしれないが、ASEANの域外国に対峙(たいじ)できるような確固たる枠組みを作るには、加盟国それぞれの利害が共通ではないと考えられる中では、難しい調整も要しよう。

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