新時代の大相撲を背負う逸材の“学び、追求する姿勢”とは:誕生「唯一無二」の横綱・大の里

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大相撲の春場所、夏場所で連続優勝を果たした大関大の里が、5月28日に第75代横綱に昇進した。初土俵から所要13場所での綱取りは年6場所制となった1958年以降で最速。入幕から同9場所も1位となり、記録ずくめの昇進劇だった。192センチ、191キロの体はとにかく大きい。大関と横綱の昇進伝達式の口上でともに述べた「唯一無二」はもちろん、6月7日で25歳となった新横綱には「前途洋々」の表現もぴたりと当てはまる。

記録ずくめの昇進劇

大の里が2023年夏場所に幕下10枚目格付け出しでデビューした当時、現場にいる親方衆、力士、報道関係者たちは「3年後くらいには横綱になっているかもしれない」とささやいた。ふたを開けると「3年後」はおろか、「3年目」で最高位に上り詰めた。

髪の毛の伸びが出世の速さに追いつけず、十両以上の関取に許される大いちょうを結えたのが年明け早々の1月。夏場所終了時点で、まだ半年足らずだ。初土俵から負け越しなしでの横綱昇進は年6場所制以降では前例がなく、幕内9場所での優勝4度は早くも現役最多回数だ。

大栄翔(右)を攻める大の里=2025年5月24日、東京・両国国技館(時事)
大栄翔(右)を攻める大の里=2025年5月24日、東京・両国国技館(時事)

角界内外で今も「史上最高レベル」と評される「若貴兄弟」を中心とした平成の大相撲ブームと比べると、令和の今は層の厚さという点でどうしても見劣りする。歯止めが利かない新弟子の減少が大きな要因だ。そんな状況下に規格外の大物が入ってきた。日本体育大1年で学生横綱、3、4年でアマチュア横綱。素質と実績からすれば今回のスピード出世は「当然」という反応や、「どこの部屋に入っても横綱になっている」との声も聞こえる。

運命で結ばれた出会い

だがそれは違う。運命の糸で結ばれた出会いが、躍進につながった。

大の里(本名・中村泰輝)が大学4年になると、元横綱白鵬が師匠を務めていた宮城野部屋など複数の部屋がスカウトに名乗り出た。さらに大詰めの秋ごろ、知人を通じて二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)も面会した。

二所ノ関親方は、その時の印象を入門後にこう語っている。「学生相撲の選手は自分というものをもって崩さず、話を聞いているようで聞いていない人が結構いた。でも大の里は違った。15歳の新弟子のように『強くなりたい』という、乾いた感じ、何もかも吸収するぞという雰囲気を感じた。これは普通の学生とは違うなと思った」

数多くの選択肢から迷わず二所ノ関部屋を選んだのは、大の里の直感と意思だった。体験入門では特別扱いを一切せず、自分の弟子と同じように接するところに魅了された。貴重な勧誘の場では丁寧な技術指導や部屋のアピールをしそうなものだが「親方は本当に何も言ってこなかった。最初はすごくミステリアスだった。逆に自分は『この人は何を教えてくれるのだろう』と楽しみになった」と述懐する。

東京から遠く離れた茨城県阿見町という所在地、地方都市ならではの広大な土地と建物も背中を後押しした。生まれ故郷の石川県津幡町で12年間育ち、日本海沿いの新潟県糸魚川市で中高時代を過ごした経験に合致したからだ。そして最後に決め手となったのは純粋な気持ちだった。「日本出身の横綱に教えてもらいたい」

入門が正式に決まると、師弟には共通の命題ができた。「最終的にどこに到達するか」。周囲の期待や注目に惑わされず、目先の結果にこだわらない。地盤を固め、一歩一歩を着実に進む。二所ノ関親方は「体が大きいのは確か。でも中から力が出る大きさはない。また一から鍛え上げると面白い」との構想を描いていた。

大の里には四股、すり足、てっぽう、腰割り(両脚を肩幅程度に開いて腰を上下させる動き)を徹底させた。土俵の中で番数を重ねる方が一般的には見栄えはいいが、それは二の次。名より実を取り、1日のトーナメント戦を勢いで闘うアマチュアから15日間という長丁場を乗り切るプロの体へと作り上げていった。

稽古場の壁ぎりぎりに正対し、体を垂直に上下させる腰割りは特にきつい。弟子はこの基礎運動を忠実にこなしたことで、入門時と比べると肩周りや胸板、おしりや太ももが頑丈になった。二所ノ関親方は「つまらない稽古を部屋で一番やっているのが大の里。やっぱり稽古はうそをつかない」と表現した。

稽古をする大の里=2025年6月5日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋(筆者撮影)
稽古をする大の里=2025年6月5日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋(筆者撮影)

「横綱から横綱を」の伝統を継ぐ

大の里の師匠・稀勢の里以来8年ぶりの日本出身横綱誕生には、角界が重んじる伝統の深さという壮大なテーマも浮かび上がる。

二所ノ関部屋の公式ホームページには「横綱から横綱を」と大きく記されている。初代若乃花から隆の里、稀勢の里の3人の横綱の名が並ぶ。「土俵の鬼」と称された初代若乃花から相撲道を学び、糖尿病と闘いながら横綱となった隆の里。隆の里から力士としてあるべき精神をたたき込まれた稀勢の里。そして大の里へとつながる系譜は、激しさこそあれど悠久の川のごとくとうとうと流れている。

師匠から弟子、その弟子へと横綱が4人続く例は極めて珍しい。「横綱4代って、いいよね」。二所ノ関親方が2021年8月に前身の荒磯部屋を興した時から目を輝かせて目指してきたのが、次の世代を担う横綱の誕生だ。

大の里は「全てつながっている。この伝統を途絶えさせることなく、自分が横綱になれて良かった」。初代若乃花は29歳、隆の里と稀勢の里は30歳で最高位に到達。対照的に24歳の若さで番付の頂点に立った大の里には、現代にマッチした疾走感が満ち満ちている。

中高の寮生活で身に付けた洞察力

大の里の長所の一つに修正力の高さがある。右一辺倒の取り口から「左おっつけ」を覚え、攻撃の幅が拡大。押し込めないとすぐに引く場面が減り、場所ごとにひざが曲がってきて下半身の安定感は増した。このたぐいまれな吸収力は新潟県の能生中、海洋高で過ごした6年間の寮生活が大きい。

大の里は小学校時代に思うように勝てず、環境を変えるために地元の石川県を出る決断を自ら下した。中高6年間の寮生活は、携帯電話は原則禁止で授業以外は相撲漬けという厳しい状況下で鍛えられた。そんな日々の中で「これをしたら怒られる、怒られたら自分の時間がなくなる。その時間がもったいない」と感じるようになった。わずかな自由を確保するために、神経が研ぎ澄まされた。

「寮生活のおかげで人間観察力、洞察力がすごく身についた」と話すように、青春時代の過酷な経験で育んだ鋭い感受性が今も生きている。

「普段から親方が何を言いたいのかがぱっと読める。稽古中に親方の目を見たら、何を言いたいのかが分かる」。ここに幼少期から大相撲専門誌を読んできた相撲愛を礎に、歴代の横綱を中心とした名力士の映像を好んで見る研究熱心さ、相撲にまつわる話で知らないことがあればすぐに周囲に尋ねる好奇心が重なり合い、力士としての成長につながった。

自分のスタイル崩すことなく

5月29日に真新しい純白の綱が完成し、腰に巻いた新横綱は師匠の指導で雲竜型の土俵入りを練習した。石川県出身は「輪島」以来52年ぶり。オールドファンには何とも懐かしい輪島の存在をよみがえらせたことも意義深い。「横綱というものをしっかりと勉強して、追求して頑張りたい。重みのある番付だが重荷にならないように、自分のスタイルを崩すことなく伸び伸びとやっていきたい。自分は自分。唯一無二の存在なんだと言い聞かせていく」。進取の精神とともに、地に足はしっかりとついている。

2月と6月を除き、本場所のない偶数月は地方巡業が春夏秋冬と続く。場所となる体育館の板床で四股を踏む大の里は「早く二所ノ関部屋の土の上で基礎をやりたい」と言えるようになった。このひたむきさがあれば、馬力も出足もまだまだ進化できる。

稽古場の大の里。名札には横綱を示す木札が掲げられた=2025年6月5日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋(筆者撮影)
稽古場の大の里。名札には横綱を示す木札が掲げられた=2025年6月5日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋(筆者撮影)

7月の名古屋場所は新会場「IGアリーナ」のこけら落とし。豊昇龍と東西の横綱に並び、令和の土俵を牽引する。大の里はどんな横綱像を築いていくか。新時代が到来した大相撲の中心には、この逸材が堂々と立っている。

バナー写真:師匠の二所ノ関親方(手前右、元横綱稀勢の里)から雲竜型の土俵入りの指導を受ける新横綱大の里(同左)=2024年5月29日、茨城県阿見町の二所ノ関部屋、代表撮影(時事)

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