戦後80年をどうとらえる

21世紀は「遠心力の時代」米国の顔色をうかがうばかりではない “新たな道”を: 吉見俊哉教授に聞く(後編)

政治・外交 経済・ビジネス

トランプ大統領の返り咲きで、これまで隠れていた日米関係の“軋みの真相”が現前化しつつある。「黒船来航」から始まる両国の交流の歴史を今一度振り返ってみると、日米どちらに視点を置くかで、まったく違った景色が見えてくる。太平洋戦争で激しく戦火を交えた米国に対し、戦後の日本人が「一体化」を進めてきたのはなぜなのか。『アメリカ・イン・ジャパン ハーバード講義録』などの著作がある東京大学名誉教授の吉見俊哉さんに話を聞いた。

吉見 俊哉 YOSHIMI Shun'ya

1957年、東京都生まれ。社会学者。東京大学で大学院情報学環 学環長、副学長などを歴任し、名誉教授。2023年から國學院大學観光まちづくり学部教授。研究分野は都市と戦後日本、大学、メディアなど。第1次トランプ政権時の17~18年に米ハーバード大学で客員教授として教鞭をとり、帰国後すぐに『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)を出版。『アメリカ・イン・ジャパン ハーバード講義録』(24年、同)、『親米と反米』(07年、同)など著書多数。

マッカーサーに日本人が送った44万通の手紙

80年前の日本の敗戦は、日米関係の最大のターニングポイントだった。日本は独立を失い、ダグラス・マッカーサー元帥率いる連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に置かれた。

吉見教授が著書の中で紹介している、『拝啓マッカーサー元帥様』(袖井林二郎著、岩波現代文庫)にはこの時代の衝撃的なエピソードがつづられている。当時多くの日本人が、マッカーサー元帥宛てに手紙を書いていたのだ。その数は、記録されているものだけで約44万通にのぼる。

保存されている手紙の多くは、マッカーサー元帥や米国に好意的なものだった。「日本全国民及子孫のため米国の支配を受ける方将来の日本の幸福」「どん底の日本を救う途はすべてをアメリカに託す『日米合邦』以外にない」「みじめなる日本を再び以前の如く栄えさして下さるのは貴国をおいて他になく日本国民の貴国に対する信頼感は日本国の全(す)べてを貴国に託して閣下のご指導に御縋(すが)り(する)」などと、占領者に自ら身をゆだねるような内容も散見された。

戦時中は「鬼畜米英」と忌み嫌い、主要都市を空襲で焼き払われ、広島、長崎に原子爆弾を落とされた直後なのに、この変わり身の早さはいったいなぜだったのか。吉見教授はこう語る。

1942年の「同盟写真特報」 みよこの暴虐!この非人道!鬼畜米英遂に本性を暴露の見出しがある(共同イメージズ)
1942年の「同盟写真特報」 みよこの暴虐!この非人道!鬼畜米英遂に本性を暴露の見出しがある(共同イメージズ)

「同じ戦勝国側でも、仮に占領軍の司令官が中国人だったら、日本人はここまで従順な態度をとらなかったでしょう。明治以降の日本人の精神の基本構造は、米国が体現する西欧文明により近い位置にいることで優越感を保ち、他のアジア諸国を蔑視するというものでした。戦後の日本人はマッカーサーを崇拝し米国に近づくことで、それまでと同じメンタリティを維持できることに気がついた。だからあっさりと親米に転換し、大きな反対運動は起きましたが日米安保条約も受け入れることになったのです」

約6年の任務終えて離日するマッカーサー元帥を名残惜しんで、20万人もの人々が沿道で見送った(共同イメージズ)
約6年の任務終えて離日するマッカーサー元帥を名残惜しんで、20万人もの人々が沿道で見送った(共同イメージズ)

米国の西漸運動としての「黒船来航」

そうしたメンタリティの原点となったのが、1853年のペリー提督の「黒船来航」だ。最新鋭の蒸気船に象徴される武力を前に、江戸幕府は鎖国政策の転換を余儀なくされ、明治維新による新政府の誕生へとつながっていく。この出来事は単に江戸幕府を終わらせただけでなく、日本人の精神構造を大きく転換させたと吉見教授は言う。それは遣隋使や遣唐使に代表される約1500年続いてきた、近隣の大国・中国に対する意識だ。

ペリー艦隊(共同イメージズ)
ペリー艦隊(共同イメージズ)

「ペリー来航前の日本では、時の権力者は常に中国との距離感を何より意識していました。自分たちより進んだ中華帝国の文明を取り入れたいと思いながらも、取り込まれることを警戒して近づきすぎないように腐心してきた。ところが、東の果てに米国というはるかに高度な文明を持った国があることを知り、日本人は、米国に近づき、その力をテコにすれば、中国に対して優位に立てるという欲望を持ったんです」

一方、黒船来航を米国の視点から見直してみると、まったく違う景色が見えてくるという。

米国は1776年に東部の13州が英国から独立して以来、先住民の土地を奪いながら、西へと領土を広げていった。1848年に西海岸のカリフォルニアまで到達すると、今度は太平洋に進出し、ハワイやフィリピンを植民地にしていった。

「米国人は西へと覇権を広げていくことを神が定めた『マニフェスト・デスティニー(明白なる運命)』と位置づけ、先住民の大量殺りくや土地のはく奪、太平洋の島々の植民地化を正当化してきました。日本で「黒船来航」呼ばれる出来事は、米国では西漸運動の延長にある『ペリー艦隊の遠征』です。同じ出来事でも見え方がまるで違っていた」

ペリーは日本各地で、測量などの徹底した調査を行っていた。まるで、その後の世代の軍事的な衝突を意識していたかのようだ。西漸運動という一連のプロセスとしてとらえると、一つひとつの出来事が水面下ではつながっていたことが見えてくる。

「米国は1898年にスペインとの戦争に勝利し、フィリピンを領有します。この時、現地の独立運動を徹底的に弾圧してフィリピンの総督になったのが、マッカーサー元帥の父親のアーサー・マッカーサーでした。父を強く慕っていたマッカーサー元帥は、そのやり方を意識して日本の統治をした。そういった面からもマッカーサー親子を通じて、フィリピン領有から日本占領までが一直線につながるんです」

親米化で維持したアジアへの優越感

両者とも思惑を抱えながら始まった日米関係は、1941年の真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争で、凄惨な殺し合いへと発展する。当時の米国側の出版物では、日本人はしばしば、「猿」として描かれた。一方の日本側では、米国人を「鬼」や「悪魔」として表象する描写が多かったという。

「米国人が日本人を『猿』として表現した根底にあるのは、人種差別的な社会進化論です。自分たち白人の西洋文明こそが文明の頂点であり、日本を含むアジアの発展途上国は猿の状態に近い存在とみなした。こうした考えのもと、米国は日本社会のあり方や都市の構造をデータに基づいて徹底的に調査し、本土空襲による無差別大量殺りくを行いました。対する日本は、科学的なデータなどは少なく、米国を鬼のような想像上の魔物のとして見て、米国を直視する冷徹な“まなざし”を欠いていました」

吉見俊哉教授
吉見俊哉教授

そうして訪れた戦後社会で、日本がマッカーサー元帥による占領を進んで受け入れていったことは冒頭で述べた通りだ。日本人は米国を頂点とした「人種差別的な社会進化論」の序列の中で米国の下位に自分たちを位置づけ、アジアの国々に対する優越感を維持することを選んだとも受け取れる。

米国の消費文化の象徴だった東京ディズニーランド

冷戦の時代に入ると、日米安保同盟の枠組みのもと、日本は経済的な繁栄を享受するようになった。米国の文化は豊かさの象徴としてさまざまなジャンルで取り入れられ、社会の隅々にまで浸透。日本人はいつしか、米国文化を消費する欲望の渦に飲み込まれていった。

「冷戦体制のアジアにおける軍事的な前線は、朝鮮半島や台湾、ベトナムやフィリピンでした。この軍事的なフロントを支えるためには経済的な基地が必要で、それが日本だった。このため、米国は日本に技術や資金を供与して経済復興させ、自律的な産業の発展を促しました。日本からすれば軍事的なリスクを負わなくてもアジアにマーケットを広げて豊かになっていくことができるわけで、多くの日本人は喜んでこれを受け入れました。日米安保体制下、軍事面だけでなく経済や文化の面でも米国との一体化が進んでいったのは、こうした特殊な状況も背景にあったのです」

米国と一体化していく日本を象徴する存在として吉見教授が挙げるのが、1983年に開園した東京ディズニーランドだ。

2023年に開業40年を迎えた東京ディズニーランド。今も多くの人でにぎわう(時事)
2023年に開業40年を迎えた東京ディズニーランド。今も多くの人でにぎわう(時事)

「土地を奪って先住民を追いやった西部開拓時代を模した『ウエスタンランド』、ジャングルや南国の島を探索する『アドベンチャーランド』などといった世界観は、米国の西漸運動の軌跡をなぞるようなもの。ペリー提督の遠征や太平洋戦争もこうした歴史の延長線上にあるのですが、多くの日本人はそうしたことを意識せずに楽しんでいる。日本人は米国と一体化した幻想の中を生きているとも言えます。でも、これは幻想です」

日本を取り巻く「多島海」の重要性

しかし、この状況が未来永劫続くとは限らない。転換の大きなきっかけとなりそうなのが、トランプ大統領の再登場だ。前編の記事でも触れた通り、厳しい対日政策をとる米国に対して日本人の対米感情が悪化すれば、長く蜜月関係を続けてきた日米間に“致命的な亀裂”が生じる可能性がある。

ところが西に目を転じれば、経済大国となり急速に軍事力を増強する中国の存在があり、北朝鮮やロシアの脅威も無視できない。日本外交はどのような道に活路を見出せばいいのだろうか。吉見教授はこう話す。

「20世紀は『求心力の時代』で、米国やソ連といった巨大な帝国を中心にグローバル化が進みました。グローバル化が限界に達した現代は『遠心力の時代』。韓国や台湾、東南アジアの国々との関係が、今まで以上に重要になってくると思います。東シナ海を中心とした海域には日本列島やフィリピン、インドネシアなど、数万の島々の連なりがあり、多様な文化の蓄積がある。この多島海地域にある国々がお互いにつながって、米国とも中国とも距離をとった独自の位置を目指していく選択肢もあるのではないかと思います」

確かに、日本はいつまでもトランプ政権やアメリカの顔色をうかがうばかりではなく、“新たな道”を探り始める時に来ているのかもしれない。

取材・文:小泉耕平、株式会社POWER NEWS・五十嵐京治
吉見教授のインタビュー撮影 : 横関一浩

バナー写真:國學院大學たまプラーザキャンパスの研究室にて

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