中国の戦後80周年記念式典を読む
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中国では9月3日が「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト戦争勝利80周年」だとされている。日本に対する勝利であるとともに、第2次世界大戦全体での勝利をも意味するという二重の意味がそこには込められている。日本に戦勝したのは中華民国だが、その代表の徐永昌が9月2日に東京湾で日本の降伏文書に署名した。翌9月3日に重慶で勝利記念式典が実施され、その日が抗日戦争勝利記念日とされた。
現在でも台湾の中華民国では9月3日が軍人節となっている。2025年9月3日、台北の円山にある忠烈祠で記念式典が行われ、頼清徳総統が第2次世界大戦での中華民国の勝利80周年を記念するとともに、台湾の防衛と、民主、自由、人権の擁護を訴えた。
しかし、中華人民共和国が9月3日を記念日としているのは、中華民国の記念日を継承したのではない。中国共産党政権は、はじめ8月15日を記念日としていたが、のちにソ連に合わせて9月3日を記念日とした。アメリカが対日戦勝記念日(VJ Day)を9月2日とする中で、ソ連、中国、モンゴルなどの社会主義国は9月3日を勝利記念日だとする傾向にあった。その後、中国では8月15日と9月3日との間に揺らぎがあったが、習近平政権が2014年2月に改めて9月3日を「抗日戦争勝利記念日」に、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」としたのだった。
国内外政策と連動する歴史言説
なぜ習近平政権は歴史言説を重視し、内外に向け「正しい歴史」を唱えるのか。習近平政権は「愛国教育」と共に「愛党教育」を進めた。その目的は、中国共産党史を基軸にして歴史を再整理していくことにある。日中戦争においても同様に中国共産党の役割が重視され、また日中戦争期が1931年(満洲事変)から1945年の14年間に設定されて、国民党との合作(国共合作)も強調されなくなった。
日中戦争に関わる歴史言説の再構成は、習近平政権の政策と深く関わる。第1に、日中戦争の期間の変更、国民党の位置付けの低下は、その台湾政策とも連動する。つまり、2016年5月に台湾で民進党の蔡英文政権が成立すると、中国共産党は国民党との国共合作による台湾統一政策を事実上放棄し、台湾社会での「愛国統一力量」の育成へと手段を切り替えた。その結果、1936年12月の西安事件を契機とする国共合作は公式な歴史叙述から後退することになった。
また、中国国内での「国家の安全」の強調もまた歴史政策に強く連動する。習近平政権は、権力を国家から党に集中させ、社会の管理強化を徹底する。そこで用いられているのが、「国家の安全」の論理と、法に基づく制度だ。「国家の安全」は総体的安全観として理念化され、経済、環境などあらゆる問題が安全と紐づけられ、何事も安全が優先されるとする。そしてその安全観の前提となる「脅威」こそ、アメリカや日本などの先進国による中国社会への浸透、そして中国共産党政権の転覆、すなわちカラー革命だというのである。だからこそ、反スパイ法が強化され、外国からの侵入に備え、外国人と親密な中国人を取り締まるべきだとされる。このことは台湾問題にも結び付けられ、アメリカや日本は中国の統一という国家目標の実現を妨げる「敵」だと認識される。
「国家の安全」に関わる言説は歴史に紐づけられる。かつて日本が中国に多くのスパイを潜入させ、漢奸たちが協力したこと、日本軍の侵略が近代中国の国家建設を妨げ、多くの中国人がその家や家族を失ったことが強調される。「日本の軍国主義復活」という中国の宣伝は過去と現在の橋渡しをする役割を果たす。現在も日本人スパイが中国に潜入してカラー革命を狙っているという言説が中国の一部で広まるのにはこうした背景にある。2024年の言論NPOの世論調査の結果にあるように、中国の対日感情は大きく悪化した。
他方、日本が敗戦し、敗戦国として講和に臨んだ歴史も対象となり、昨今の中国ではサンフランシスコ講和条約無効論が唱えられる。これは日本の戦後処理を非難するだけでなく、台湾や沖縄の位置付けをも揺さぶろうとする点に目的がある。まさに現在の中国の対外政策と連動しているのだ。歴史言説が現在の中国の国家目標、すなわちアメリカに追いつき追い越すことや台湾統一、そして東アジアの国際秩序を自らに有利に再編することなどに結び付けられているのだ。
「先進国対非先進国」の構図を明確に
2015年の戦後70年と25年の戦後80年の言説を比較するとどこに異同があるのか。歴史と自らの国内外政策を結びつけることも、「正しい歴史」の提唱も大きな変化はない。変わったのは国内外情勢そのものであり、その変化に対応して習近平政権は歴史政策や言説を調整している。
10年前と比較して大きく異なるのは、パレードで示された最先端の武器などの他、天安門の壇上に登った首脳たちの顔ぶれである。15年には朴槿恵大統領など多様な存在がいたが、25年には中ロ、北朝鮮など新興大国と開発途上国の首脳たちが中心になった。10年前、中国は英米など西側諸国とともに戦後秩序の創造者となったとしていた。しかし、17年の第19回党大会で国家目標が明確にされ、中国自身を新たな国際秩序の創出者に位置付け、また米中関係の悪化したことによって、情勢は大きく変化した。中国は「先進国対非先進国」の構図を明確にし、先進国を「時代遅れ」と非難し始めた。この10年の変化が天安門上の顔ぶれの変化に対応している。
また、中国国民党の位置付けの変化も明確だ。15年の70周年に際しては、依然として国共合作が台湾政策の基礎であったこともあり、かつての中華民国国軍の「老兵」たちはパレードに加わった。25年には国民党や老兵の参加者もいたが、パレードの隊列に加わることもなかった。
対日批判を強化した王毅氏
今回式典の習近平の言葉をみれば、10年前の演説と大差ないことに気づく。ただ、全体として80周年の方が短く、内容も簡略化されている。例えば、70周年の時にも人類運命共同体を実現させることが書き込まれ、それこそが国連憲章を原則とする国際秩序、すなわち新型国際関係の実現を意味するとしていた。だが、80周年ではこうした「中国の秩序」への説明が省かれ、人類運命共同体の実現という目標とともに、2035年に実現するとされる中国式現代化の意義が強調されるに止まる。これは昨今中国で35年の意義が強調される傾向を反映されたものだろう。
他方、70周年と80周年との間に違いもある。それは70周年の時には30万もの兵を削減すると宣言されたが、80周年には軍縮の内容が見られない点だ。
それでは日本の位置付けについてはどうだろう。習近平の演説では10年前も今回も日本軍国主義を侵略者とする点で変わらないが基本的に日本への言及は多くない。今回日本に多く触れたのは、8月15日に行われた王毅国務委員兼外相の共同記者会見だ。そこでは、日本の戦争責任が「一部の軍国主義者」にあること、日本の人民もまた被害者だとする従来からの「軍民二元論」が継承された。
しかし、王毅国務委員の日本批判は強化された。特に台湾に言及し、1943年のカイロ宣言も、日本が無条件降伏をして受け入れた45年のポツダム宣言もともに「中国から窃取した、台湾を含む領土を中国に返還することを要求した」というのに、「日本の『一部の勢力』が依然として侵略を美化し、否認し、歴史を歪曲し、改ざんし、当時の戦争犯罪の罪を覆そうとの企みを有している」などと批判の語気を強める。ここで大切なのは、日本の「一部の勢力」と限定している点だが、日本の「一部の勢力」の言動が国連憲章、そして戦後国際秩序への挑戦だなどと強い言葉が用いられていることだ。中国での日本の位置付けは基本的には変わらないが、批判の程度は増しているのである。
中国の歴史政策は、基本的な原則を基礎に、現実の国内外への諸政策に応じて刻々と変化している。歴史をめぐる日本の位置付けも同様であり、特に中国が昨今見せる歴史の扱いの変化に注目していく必要があろう。
バナー写真:抗日戦争勝利80年記念軍事パレードで閲兵する中国の習近平国家主席=2025年9月3日、北京の天安門広場(AFP=時事)