日本のアフリカ支援 欧米後退で重要性増す TICADの果たした役割とは
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ポスト冷戦でデビュー
TICADは1993年以来、日本政府が主導し、現在は国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、アフリカ連合の事務局であるアフリカ連合委員会(AUC)と共同で開催している。2013年からは3年ごとに、日本とアフリカで交互に開かれている。
「欧米では当時、アフリカに対する『援助疲れ(aid fatigue)』がささやかれていた。そこに日本がアフリカ支援に乗り出したことで、米ワシントンのアフリカ関係者からTICADは画期的な取り組みとして受け止められた」
こう思い起こすのは、TICADが始まった1993年、政府開発援助(ODA)担当の1等書記官としてワシントンの日本大使館に勤務していた若林秀樹氏だ。100を超える日本の国際協力NGOが加盟するネットワーク組織、国際協力NGOセンターの事務局長をへて、現在は同センターの政策アドバイザーを務める。
日本の経済成長は「バブル崩壊」で止まっていたものの、ODA予算はなお「右肩上がり」で年々増え 、国際的な援助額は世界第1位となっていた。一方、アフリカを東西陣営の勢力争い、代理戦争の場としていた冷戦が終結し、欧米諸国はアフリカへの関心を弱め、援助を減少させた。
日本外交の大きな目標の一つは、国連改革による常任理事国入りであり、TICADにはアフリカ各国の支持を取り付ける思惑があったとされる。若林氏は「そうした思惑をアフリカ各国は何となく気付いていただろう。日本にはレアメタル確保などの経済的な事情もあった」と認めつつ、各国は「日本の登場」を歓迎する雰囲気だったと証言する。
アフリカ各国がおおむね日本の援助を歓迎したのは、支援にあたっての真摯(しんし)な姿勢を認めたからだ。日本のODAは支援先の要望を踏まえて支援内容を決める「要請主義」が基本だ。若林氏は批判の多い中国の支援を念頭に、「日本からの指示ではなく、現地の要請に誠実に応えるという姿勢が、評価につながった。支援先に借金だけを残したり、現地の企業や労働者を使わずに日本から労働者を連れて行ったりすることもなく、必要な技術などを現地に根付かせる。その姿勢で援助を続けてきたことが、アフリカだけでなくアジアでも評価されている」と解説する。
支援の潮流を変えた
国際通貨基金(IMF)や世界銀行は1980年代以降、アフリカ各国を中心に財政赤字削減や市場自由化、公営部門の縮小などに代表される「構造調整政策」を進めた。ところが、同政策は多くの国々に貧困や、教育、保健の後退をもたらしてしまった。この反省から、各国の債務を免除し、保健・教育・環境・ジェンダーなど「社会開発」を中心とした課題を主テーマに置いて国際的目標を設定しようという構想が動き出した。
TICADに市民社会の声を届ける活動をしているアフリカ日本協議会の稲場雅紀共同代表によると、同構想を本格的に討議する多国間フォーラムの一つとして機能したのが、98年のTICAD Ⅱだった。時を経て、2001年に国連がまとめた「ミレニアム開発目標」(MDGs)につながり、構造調整から社会開発を中心とした支援が世界潮流となる。稲場氏は「TICADはそのターニングポイントを担った」と話す。
その後、アフリカ各国で経済が成長し、市場としてのアフリカが注目されるようになると、TICADも変化する。13年のTICAD Vでは、「援助から民間投資へ」という考えの下、アフリカ首脳と日本企業代表が直接対話を行うセッションが実施されたほか、アフリカの若手人材1000人に日本の大学への留学と日本企業でのインターン経験の機会を提供する「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアチブ(ABEイニシアチブ)」が発表された。
新自由主義の影響
第2次米トランプ政権の発足以降、米国の国際協力への関与が低下している。世界各国で援助活動にあたってきた米国際開発庁(USAID)は解体された。途上国支援を巡る状況変化について、稲場氏は「広範な貧困層を対象とした公衆衛生は市場性が低く、収益を上げることは難しい。しかし、新自由主義の文脈では投資を上回る成果が求められ、『援助は古い』という考え方になっている」と解説する。
今回のTICAD 9では、これまで日本が主導してきたアフリカとの協調や社会開発重視の流れが維持された。さらに日本は、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」のビジョンの下で、「インド洋・アフリカ経済圏イニシアチブ」の取り組みを表明し、アフリカ大陸が臨むインド洋の諸国とも連携を強化する方針を打ち出した。
若林氏は「米国が国際協力への関与を減らし、欧州も予算を削減している。そうした状況だからこそ、アフリカ諸国は日本の動向を注視している」と指摘する。世界潮流が再び大きく変わりつつある中、日本のアフリカ支援は新たなアプローチを求められている。日本が示したイニシアチブは、回答の一つになるかもしれない。
若者の起業活発に
アフリカに限らず、近年の日本の国際協力を巡る動きの中で特徴的なのが、若者たちによる社会課題解決につながる起業の動きだ。
ウガンダを拠点に井戸用のプリペイド料金システム「SUNDA」の普及を図る「Sunda Technology Global」は、そうしたスタートアップ企業の一つだ。代表の坪井彩氏はパナソニックを休職し、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として2018年にウガンダへ赴き、井戸の維持管理などを改善する活動に従事した。
援助団体が整備した井戸の管理のため、住民から井戸の利用料を徴収していたが、住民の家を一軒一軒回って、やっと払ってもらえる状況。集めたお金が適切に管理・使用されないかもしれないという不安や、使用量によらない定額制についての不満が背景にあったのだという。
坪井氏は現場経験を踏まえ、井戸を遠隔管理できる水栓やモバイルマネーを組み合わせた機器を独自に開発した。パナソニックに復職後、同機器の普及を会社の事業にすることも模索したが、退社して起業に踏み切った。
坪井氏は今回、TICADに初めて自社ブースを出展し、2つのイベントに登壇した。「ブースにはアフリカ各国の大臣のほか、日本の国会議員、省庁、企業など200人以上が訪れてくれた。ウガンダに進出する日本企業は少しずつ増えており、これを契機に日本の官民がワンチームで取り組んでいきたい」。坪井氏の夢は膨らむ。
外務省の事業で、30年を超えて続いているものはそれほど多くない。若林氏は、TICADの意義を次のように語る。「日本から遠く離れ、文化、言語、人種も違うアフリカで、多くの日本人が親近感を持って活動している。日本にも多くのアフリカの人が来るようになった。もしTICADがなければ、日本とアフリカ諸国との関係は希薄になっていたかもしれない」。
バナー写真:TICAD 9に参加した各国・機関の首脳ら。前列中央は石破茂首相、向かって右隣はグテレス国連事務総長=2025年8月20日、横浜市(FRANCK ROBICHON/Pool via REUTERS)