高市首相の登場:「安倍路線」純化の方向へ

政治・外交

曲折の末に発足した高市早苗新政権だが、公明党という枷(かせ)が外れて新たに日本維新の会と組んだことで、「安倍路線」への単なる回帰以上に保守タカ派色を純化させていくのではないか。日本政治が専門の境家史郎・東京大教授はそう見ている。

安保強化や憲法改正で保守層にアピール

この1カ月あまり、石破茂前首相の退陣表明から自民党総裁選、与野党双方の多数派工作を経て、政党の組み合わせが大きく変わった。

高市政権の基本的な性格は、安倍晋三元首相の路線を継承する保守政権だ。ただし、公明党がいなくなった分、枷が外れて、安倍政権よりも純化したところがある。保守強硬路線は高市首相の「売り」なので、推進しないと支持層を裏切ることになる。保守層にアピールしなければならない点では維新と共通する。

このため、安全保障政策の強化や憲法改正を前面に打ち出せば、少なくとも維新との間ではもめない。右派的なアピールをするインセンティブを、より政権が持つようになったと思う。安倍政権でも公明党がいたから、憲法改正はできなかった。今は「改憲派」勢力の議席数が各議院の3分の2もないので発議はできないが、緊急事態条項の具体的条文案を作るような動きは、安倍政権の時よりも強まるのではないか。

高市自民党にとって、公明党が抜けたことによるダメージがどの程度あるのか、選挙をやってみないと分からないが、当面はむしろ政権運営がやりやすくなったと考えられる。与党という塊としてのスタンスも自公連立時代より分かりやすくなった。

そもそも、維新は自民を割って出た党だ。改革志向の小泉純一郎政権が終わって後続の自民党政権が改革志向を弱めていく過程で、改革を旗印に大阪で維新ができた。それから15年近く経って、維新は今回、自民党の側に出戻りしたような格好になる。1970年代に新自由クラブが自民党を割って誕生したものの、80年代に自民と連立を組んだ後に解散して結局、元のさやに収まることになった。維新の党勢がもし今後さらに衰えていくようなら、自民と維新の関係もそういう流れになるかもしれない。

初の女性首相、0.1か0.15の漸進性をどう評価するか

高市氏は女性で初めての首相でもある。ただし、彼女は女性という属性をさほど重要視していない。だからフェミニストの人たちやジェンダー・バイアスの解消を求める人たちからの受けはあまり良くない。

それでもトップに女性が立ったという象徴的な意味は大きいと私は思う。日本がジェンダー・ギャップ指数でランクが低いのは、外形的な指標によるものだ。思想・信条ではない。とらえ方としては、外形がひとまず重要という面がある。

そもそも日本では、国際比較的に見て、フェミニスト的な女性が受ける政治土壌が乏しい。このことは国際的な世論調査のデータが示唆している。昨年の東京都知事選での蓮舫候補が象徴的だが、フェミニストに支持されるような女性はなかなか多数派にまではなれない。

仮にこれまでの日本の指数がゼロで、フェミニスト的な女性がリーダーになることが1だとすると、高市首相の誕生で少なくとも0.1とか0.15くらいの刻みで前に進んだことになるのではないか。そういう漸進性をプラスに見るかどうかが、高市首相選出の画期性を評価するかどうかの分かれ目になる。

高市氏が総裁に選ばれたのは、既成の保守政党がイメージ転換を図らないといけない時に刷新感を出しやすいという面はあったのだろう。石破政権の主要な政策を引き継ぐという小泉進次郎氏では刷新感は生まれなかった。

特に自民党は参院選で参政党に岩盤保守層を奪われたと分析しているのだから、論理的に右派の有権者をケアしなければ組織が持たないということになる。しかし、男性では、ポリティカル・コレクトネスの観点から、選択的夫婦別姓問題などで保守性を露骨にアピールしにくい。そこで、女性かつ保守派の高市氏の出番がくることになった、ということではないか。

政党システムを規定するイデオロギー対立

政治学では、政党間の競争パターンを「政党システム」と呼ぶ。政党の数や政治イデオロギー上の配置によって分類されるものだ。

1980年代の日本では、単独与党の自民党と、中道野党の公明党と民社党による「自公民」連携の枠組みがあり、その外に社会党や共産党がいた。高市政権発足後の政党システムは、右派与党の「自民+維新」と、中道で与党に理解を示す「公明+国民民主党」、そして与党と厳しく対峙する左派の「立憲民主党+共産党」という構図になることが予想され、かつての「自公民」連携時代に戻ったような感じもある。

安倍政権時代は、自民党の1党優位と与野党第1党のイデオロギー的乖離(かいり)が目立った。この状況の政党システムを私は「ネオ55年体制」と呼んで来た。

この体制は石破政権時代に与党が議席を大きく減らし、また与野党第1党が中道化したことでいったん崩れた。高市政権の誕生で、再びイデオロギー的な分極化は戻って来そうであるが、自民党がもはや1党優位というほどの勢力ではないので、やはり「ネオ55年体制」とは呼べない。少数与党とはいえ自民党は中途半端に数を持っているので、「分極的多党制」とも言いにくい。

かつての「55年体制」や、最近までの「ネオ55年体制」の基底にあるのは、憲法や防衛政策を中心的争点とする保守陣営と革新陣営の対立だ。日本ではこの対立によって政党システムが規定されてきた。この対立は、現在もなお続いているという意味で持続性がある。

結局、高市政権誕生までのプロセスでは、この保革イデオロギー軸の磁場の強さが再確認されたと言える。国民民主の玉木雄一郎代表が、立憲と組まなかったのは憲法や防衛や原発の問題で合わなかったから、とはっきり言っている。保革イデオロギーが違うからだということだ。

外国人規制強化も保革対立の新バージョン

政権発足に際して高市首相が維新と合意した衆議院の定数削減には、二重三重の意図が込められている。

まず「政治とカネ」の問題、政治資金規正法の改正が当面難しいから、それに代わるものとして「やってる感」を出すために打ち出したということ。なおかつ、比例代表の部分を多く削れば、最近勃興してきた小勢力、新興政党の伸びを物理的に抑えることができると。そこまで考えたなかなかの策に思える。

ただし、定数を削減すると一般に「1票の格差」是正が難しくなる。しかも議員数を減らしたところで財政的にはそれほど効果がない。野党も「保身」と批判されるから反対はしにくいだろうが、そもそも「身を切る改革」というアイデア自体にあまり賛同できない。政治家が身を切ったところで、それ自体は有権者にとって「溜飲を下げる」以上の意味がない。

二大政党制を志向する政治改革推進派の中には、比例を削ってより小選挙区に純化することに賛成する人もいるだろう。選挙制度の議論は、どの勢力を推しているかということと結びつけられやすい。選挙制度に客観的な正解はなく、どの勢力をどれくらい望むかという党派的思惑と直結している。

1990年代に行われた選挙制度改革はかなりドラスチックなものだった。しかし、依然として自民党は強く、政権交代もめったに起きない。日本政治がこうなっている根本的な理由は、選挙制度の問題ではなく、憲法問題を中心とする保革イデオロギー対立の磁場が強すぎるからだと私は考えている。

安倍政権が退陣したのは2020年だから、高市政権はほぼ5年ぶりの自覚的な右派政権ということになる。憲法改正については、維新はもちろん国民民主も前向きなので、高市首相が争点化しても損することはない。さらに従来の保革イデオロギー対立の1バリエーションとして、外国人政策の規制強化が加わった。

外国人の問題はこれまで政治エリートが争点化してこなかったというだけで、社会には違和感があったと思われる。それをSNSでくみ取り、増幅する勢力が出てきた。SNSの影響力が格段に強まり、新興勢力が台頭しやすくなったという点は、安倍政権時代とは異なる。

一般に保革対立が強まれば、野党が分断されて、保守政党である自民党に有利な状況が生まれる。今後、高市政権がタカ派的な政策で挑発した時に、立憲民主党がどんなスタンスを取るかに注目している。挑発に乗って左傾化したら、かつての社会党のようになり、政権交代の実現はさらに遠のくだろう。

聞き手・構成 ニッポンドットコム常務理事・古賀攻

バナー写真:就任後初の記者会見をする高市早苗首相=2025年10月21日午後、首相官邸(AFP=時事)

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