日本発「光格子時計」が未来を切り開く:「秒の再定義」だけでなく観測など多様な技術応用に期待

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「時間」は私たちの日々の生活に欠かせない、社会を支える基盤だ。その単位である「秒」の定義が変わろうとしている。1967年から秒の定義に使用されてきた「セシウム原子時計」の精度を桁違いにしのぐ「光格子時計」の開発が進んだ。そして今、国際機関「国際度量衡局(BIPM)」が秒を再定義する基準の有力候補と言われている。

この究極の時計を開発したのは東京大学大学院工学系研究科教授で理化学研究所のチームディレクターも兼務する香取秀俊氏だ。香取氏の光格子時計は社会のさまざまな分野での活用が期待される。未来を切り開く可能性を秘めた世界の先頭を行く「日本発」の技術だ。

超微小の「光格子」にストロンチウム原子を閉じ込め

人間の時間の概念の変遷、時計の誕生や進歩を振り返ってみよう。古代人は太陽や月の動きで季節の移り変わりを認識していたとされる。文明が進み、16世紀にイタリアのガリレオ・ガリレイが振り子は一定の周期で揺れることを発見した。この発見を受けてオランダのクリスティアーン・ホイヘンスが振り子時計を考案した。その後、ぜんまいを使った機械式時計や水晶の振動を利用したクオーツ時計が生まれ、普及している。このクオーツ時計は最高級、最高水準のものは100年に1秒の誤差という。

20世紀後半の時期には原子の振動数を基準にする原子時計が登場した。もともと1秒は地球が太陽を回る公転時間から導いていたが、1967年に質量数133のセシウム原子時計が1秒を定義する国際基準になった。原子はエネルギーの違う状態に変わる時に電波や光を特定の周波数で吸収、放出する。この電波や光の周波数を振り子のように時間の基準とみなす。これが原子時計だ。やや難しいが正確に説明すると、セシウム原子の励起(れいき)と呼ばれる状態を起こすマイクロ波が91億9263万1770回振動する時間を1秒と定義する。現在最も高精度なセシウム原子時計は6000万年に1秒の誤差で、「約15桁の相対精度」と言われている。

この原子時計の精度を桁違いに高めたのが光格子時計だ。誤差は既に人間の感知の想像を超えている。光を利用した次世代の時計だ。光はセシウム原子時計で使われるマイクロ波より桁違いに高い周波数を持つ。周波数が高いほど、より細かく時間を刻めるため、時計の精度は飛躍的に向上する。

もう一つの特徴は、ストロンチウム原子を使うこと。ストロンチウム原子が吸収、放出する光の振動数を測定する。具体的には「魔法波長」と名付けられた特定の波長のレーザー光を干渉させて卵を入れる容器のような形の「光格子」という超微小空間をつくる。さらにこの中に約100万個の冷やしたストロンチウム原子を1個ずつ閉じ込める。この100万個の原子にレーザー光を当てて吸収する振動数を精密に平均計測して1秒の長さを決める仕組みだ。

光格子時計が一つ一つの原子を捉える様子を表現した模型=2022年8月、東京都小金井市の情報通信研究機構(時事)
光格子時計が一つ一つの原子を捉える様子を表現した模型=2022年8月、東京都小金井市の情報通信研究機構(時事)

2001年に提唱し世界的注目浴びる

香取氏は2001年にこの光格子時計を初めて提唱して世界的に注目を浴びた。この時計で特筆すべきは、多数の原子を同時に使いながら、原子同士の相互作用による誤差を抑えることに成功したことだった。従来の高精度時計の研究では原子同士の衝突が起きてこれが誤差を生むために少数の原子しか使えないことが大きな課題だった。

香取氏らの研究チームは光格子時計提唱後も実験や研究を積み重ねた。次々と高精度周波数測定に成功し、「秒の再定義」に重要な役割を果たすと国際的に評価され始めた。06年には早くも次世代時計の候補に採択されている。ただ、香取氏らの光格子時計の当初の装置は研究室内の大型装置だった。このためチームは「持ち運べる光格子時計」の開発も進めた。この時計が国際標準として採用されるためには、異なる国や研究所の時計を直接比較する必要があり、小型化は必須だった。

研究チームは工夫を重ね、24年11月、従来約920リットルあった装置を250リットル程度にまで小型化することに成功したと発表した。従来装置の構造を見直すなどして大幅に軽量化し、消費電力も抑えることができた。「実用化」に向け大きく前進した。この研究チームには島津製作所や日本電子も参加した。

この間、香取氏らは世界に衝撃を与える実験結果を発表している。チームは20年4月、光格子時計の小型化の前段階とも言える可搬型を開発し、一般相対性理論を基に高低差を計測して性能を確認したと発表したのだ。当時の発表によると、チームはそれまで実験室に据え置かれていた光学装置や制御装置などを小型化、集約し、新たに可搬型を開発した。これを東京スカイツリーの地上階と展望台の2カ所に置いて、それぞれが示す時間の進み方の違いを計測した。その結果、展望台では1日当たり4.26ナノ秒(ナノは10億分の1)、地上より時間が速く進んだことを確認した。可搬型光格子時計が従来の実験室のものと同程度の性能を示していた。

「秒」の再定義に関する国際度量衡局との合意を受け、記者会見する光格子時計開発者の香取秀俊・東京大大学院教授=2026年5月12日、川崎市(時事)
「秒」の再定義に関する国際度量衡局との合意を受け、記者会見する光格子時計開発者の香取秀俊・東京大大学院教授=2026年5月12日、川崎市(時事)

「誤差300億年に1秒」の究極の時計に進化

アインシュタインの一般相対性理論によると、標高が低く、重力が大きい場所は高い場所より時間がゆっくり進む。光格子時計はごくごくわずかな時間変化を計れるために、高低差の計測に応用できる。香取氏らのこの実験は「東京スカイツリーのわずか450メートルの高低差でも、従来の人工衛星を用いた宇宙実験に匹敵する精度で一般相対性理論を検証した」と評価された。

香取氏らのチームは2015年2月に光格子時計を2台作動させて2台のずれが「160億年に1秒の誤差」だったと発表している。この誤差は宇宙誕生以来の138億年にわたって動かし続けても1秒程度しかずれない計算になる。想像を超える精度だったが、最新の装置での精度は「18桁精度」に達し、「300億年に1秒」の精度とも表現されている。途方もない「究極の時計」だ。

24年に公表された光格子時計の小型化に東京大学や理化学研究所とともに貢献した島津製作所は25年3月、超高精度の商用光格子時計を発売すると発表した。商用化実現は世界初だった。このサイズは幅114センチ、高さ109.3センチ、奥行き65センチ。性能は「誤差100億年に1秒」で、当時の希望販売価格は5億円(税込み)、販売目標は3年で10台だった。

「実用化」を立証したこうした実績を重ね、島津製作所と理化学研究所は今年5月12日、2030年に秒を再定義する予定の国際度量衡局(BIPM)と光格子時計の研究や実証で協力するための覚書に調印した。秒の再定義の基準の候補には欧米が提唱、開発した「単一イオン時計」も挙がっているが、光格子時計は安定性に優れ、再定義に向けた有力候補と見なされている。

今回の覚書調印は、光格子時計の採用実現に向けての動きとして注目されている。関係者によると、調印式後の記者会見で香取氏は「時間の比較ツールを提供することで、再定義が少しでも早くなればうれしい」と述べたという。

地震や火山噴火研究への応用も期待

改めて香取氏の経歴を紹介する。1988年東京大学工学部物理工学科卒、94年同大学大学院論文博士(工学)。ドイツ・マックス・プランク量子光学研究所客員研究員、東京大学工学部助教授、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST研究代表者などを経て2010年同大学大学院工学系研究科教授。13年に仁科記念賞、15年に日本学士院賞、22年に本田賞(本田財団主催)などをそれぞれ受賞している。ノーベル賞受賞の有力候補とされ、受賞への期待も大きい。

22年11月17日に東京都内で開かれた本田賞授与式で香取氏は「好奇心が稼働するサイエンスを未来につなぐ」と題して受賞記念講演をしている。この講演で同氏は冒頭「この(光格子)技術を使って人類、社会に役立つような成果を残したいと歳を取るに従って考えるようになった」と述べている。

実際に香取氏が提唱したこの画期的な技術の意味は、単に現在の秒の定義を変える可能性を持つだけではない。人間が生活する実感覚での「時計の正確さ」の点では、原子時計で十分とも言える。光格子時計の素晴らしさはその技術が新たな技術をもたらす影響、波及効果だ。

東京スカイツリーでの実験で立証されたように超高精度の時計ではわずかな高さの違いを測定できる。つまり「時計を置くだけで高さが分かる」。この技術は「相対論的測地」と呼ばれ、例えば、光格子時計の超高精度だと、わずか数センチの高低差を正確に測定できる。

火山は噴火前にマグマが上昇したり、山体がわずかに膨脹するなどのの変化がみられることが知られている。火山のわずかな変化だけでなく、地震活動に関連する地殻変動も従来の測量では検知しにくいわずかな変化も捉える可能性があるという。つまり光格子時計を「超高精度の位置測定計」として複数配置したりネットワーク化したりすることにより、地殻変動の監視制度の向上や火山活動の連続監視などに使えるというわけだ。

こうした地震や火山に関連する防災技術だけでなく、宇宙観測・探査や、衛星利用測位システム(GPS)の進化、次世代通信技術や自動運転など、私たちの生活や社会基盤にも深く関わる技術として注目されている。究極の時計は単なる時刻測定装置ではなく、「地球や宇宙を見る観測装置」になりつつある。

東京スカイツリーを利用した光格子時計の実験の概要(香取英俊東京大学教授提供)
東京スカイツリーを利用した光格子時計の実験の概要(香取英俊東京大学教授提供)

「研究は社会還元につながるまで進んだ」と香取氏

香取氏は本田賞受賞講演の中で「依頼された高校物理の教科書の中で『いままで発見されないような物理の新しい知見が得られるかもしれない』と書いた」と紹介している。そして本田財団が主催した、東京大学名誉教授の村上陽一郎氏との対談の中で香取氏は次のように語っている。

「最初に研究のトピックを探す時に考えたたのは『競争しない研究をしたい。しかも面白く自分たちで楽しめる研究をしたい』でした。それが原点でした。ただし役に立たない研究ではいけない。今基礎研究をするのであれば、20年後にはそれが役立つ芽を出しているであろう」と思っていました。20年して社会還元につながるところまで研究が進んだのが何より良かったと思います」。香取氏の率直な思いが込められていた。

現在でも時間計測は科学技術の基盤になっているが、時計の精度向上はそのまま社会基盤の進化につながる。未来社会は正確な時間計測技術なしには成立しないだろう。香取氏が切り開いた超高精度の光格子時計技術はその期待を担っている。

バナー写真:島津製作所が世界で初めて製品化した光格子時計「イーサクロック OC 020」=5日、京都府精華町(時事)

ノーベル賞 物理学 原子時計