サナエノミクスの理論的基礎:「量」から「質」を高める政策へ
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「責任ある積極財政」の「積極」とは何か
2026年2月20日の施政方針演説では補正予算依存から脱し、複数年度予算や長期的な基金によって予算の予見可能性を高める方針が強調された。同日の財政演説では片山さつき財務相が「責任ある積極財政」は「いたずらに拡張的に規模を追求するものではありません」と述べ、効果の期待できる施策への重点化と効果の乏しい施策の見直しを並べて強調した。
「積極」財政とは歳出総額を大きくするという意味ではない。予算の使い方を変える、投資の時間軸を長くする、民間投資を誘発する財政構造に組み替えるという意味で捉えるべきだ。
コロナショックが一巡した後の23年度から25年度にかけて、予算規模は補正を含めても5%弱の伸びにとどまる。同期間に税収が12%伸びていることを踏まえると、財政再建と経済対策を兼ねた財政スタンスと言えるのではないか。26年度予算における財政赤字規模は主要国と比べても小さい。ここからある程度大規模な補正予算が組まれても、特別に赤字の大きい国とはならないだろう。さらに政府債務残高の対国内総生産(GDP)比は今後も漸減が予想されている。
それにもかかわらず、財政問題や金融政策に注目する論考が多いのは、過去にとらわれた経済論壇の「経路依存性」と言ってもよい。2000年代(場合によっては1990年代)以来、日本経済の最大の問題は需要不足とデフレにあった。この場合、財政・金融政策の規模や有効性は重要な論点となる。
しかし、現在、日本経済のフェーズは変化している(実際には2018年後半が転換点であるとの議論もある)。人手不足や生産性の低迷といった供給サイドの課題が重要になっているのだ。経済状況の変化に経済論壇が追い付いていないのではないか。
高市内閣の経済政策における注目点であり、論争点として設定していくべきは、財政の使い道や制度改革である。施政方針演説でも「日本経済に圧倒的に足りないのは資本投入量、すなわち国内投資」であるとした上で、危機管理投資と成長投資というビジョンが示されている。
バックボーンとなる経済理論
このような政策方針を理解する鍵は第一に「高圧経済」論、第二に現代サプライサイド経済論である。
高圧経済論の起源は1973年のアーサー・オークンの論文にさかのぼる。主に労働力移動に注目して、景気の過熱が生産性を高める可能性を示唆した論文である。伝統的なマクロ経済学では、景気循環は短期の需要変動、潜在成長率は人口・資本・技術によって決まる長期の供給側要因として、ある程度分けて考えられてきた。
2008年の世界金融危機後の経験は、この二分法を揺さぶった。金融ショックは短期の問題なので、中長期的な経済活動には影響しないはずだ。しかし、金融危機が収束しても経済活動は十分には回復しなかったのだ。
総需要の変化は長期的なGDP水準といった供給サイドに持続的な影響を及ぼす。需要不足が長引けば労働参加や投資が傷み、逆に強い需要が続けば人材移動、設備投資、研究開発、省力化投資を通じて潜在的なGDPそのものが向上する。供給能力に対して需要が超過し、人手不足が発生している状況は人材と資本の再配置を通じた生産性上昇の好機でもある。インフレに対して急激な財政・金融政策の縮小をもって臨むことはその機会をつぶしてしまう。
一方で、供給能力不足時に何かをすることは、「別の何かをできなくすること」でもある。高圧経済下でいたずらに財政規模を拡大すれば、政府プロジェクトに人手を奪われた経済活動が抑制される。衰退産業への補助金は人材移動による生産性向上を妨げかねない。
高圧経済のメリットを生かすためには適切な「ガイド」が必要だとするのが現代サプライサイド経済論(Modern Supply Side Economics: MSSE)である。1980年代のサプライサイド経済学は、減税と規制緩和を通じて企業活動を刺激すれば供給力が高まるとの発想に基礎をおいていた。今日、「新自由主義」とくくられる政策思想である。
これに対し、MSSEは2022年にイエレン財務長官(当時)が示したように、人材育成による経済のボトムアップ、新産業育成のための地域産業クラスター戦略とインフラ整備を重視する。政府にガイドされた経済成長を目指すという政策方針だ。ちなみにイエレン氏は高圧経済論についての学術論文も執筆しており、米連邦準備制度理事会(FRB)の議長であった16年には需要が潜在GDPを含む総供給に持続的な影響を与える可能性を指摘するなど両経済理論の親和性は高い。
「産業政策」の再評価
サナエノミクスの「危機管理投資」や「成長投資」は日本版MSSEとして理解するのが適切だろう。半導体工場を誘致しても電力や水、交通網、サプライヤー、人材育成の仕組みがなければ、産業集積は育たない。AIやロボットの導入も教育訓練、データ基盤、標準化、規制改革が必要となり、公共部門がその役割を担う。民間企業が投資しやすい土台を政府が整えることで官民連携しての投資復活を狙うというわけだ。
このように整理すると、「産業政策」の復活だとの批判があるだろう。私も含め、たいていの経済学者は経済政策に産業政策のにおいを感じると身構えてしまう。1990年代から2000年代の産業政策研究では、日本の産業政策が必ずしも成長産業を的確に育成したわけではなく、むしろ低成長部門や規模の経済が働きにくい部門に政策資源が向かった面も指摘されてきた。
特定産業振興法案(自動車・鉄鋼業の半官半民化を目指す法案、1964年廃案)など、明らかに誤った産業政策が提案されたこともある。ここから経済学者やエコノミストの間では「身銭を切っていない役人が将来の成長産業を企画することなどできるはずがない」という産業政策批判のイメージが定着している。
しかし、2010年代後半からの研究では産業政策の再評価が進んでいる。米国のインターネットや情報セキュリティーに関する政府の役割が明確になったことや、韓国・台湾におけるケーススタディなどが再評価の契機となった。
日本についても、衰退産業保護と成長産業育成が同時に行われたため、その有効性が観察されづらくなった(または同時に行ったから失敗した)との議論が行われるようになっている。これらの再評価は、産業政策は常に成功するという楽観論ではない。むしろ、調整の失敗や学習効果、安全保障上の必要性が特定できないならば、政策介入は正当化されないという主張を含んだ「再評価」である点に注意が必要だ。
経済政策の焦点は規模から中身へ
高圧経済論とMSSEは、労働力不足やインフラの未熟さといった「供給能力の天井」を意識した政策運営を求める。そこでは「どれだけ財政支出をするか」と同じか、それ以上に「何にどう使うか」が重要になる。また、財政ではなく制度改革が政策の可否を決めることになるだろう。近年の産業政策研究が示す、政府による「ガイドされた成長」が有効となる条件を満たしているかを精査したうえでの政策立案が求められるようになるだろう。
経済政策の議論は、長らく「財政出動か財政再建か」「金融緩和か引き締めか」という量的対立を中心に展開されてきた。しかし、人手不足と供給制約の時代には、論点は少し変わる。経済政策の課題はマクロからミクロへと移りつつある。政策の可否は政策が各業界の現状やポテンシャルに適したものかによって決まってくる。十分な分野特有の知識がないと正しい政策評論が出来ない。私も含めた経済学者・エコノミストにとってはなかなか苦労が多い時代である。
バナー写真:衆院本会議で施政方針演説をする高市早苗首相(時事)