「五大陸五輪」提唱が意味するものとは?-IOC会長選から考える祝祭の未来
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渡辺氏が訴えた公約のメリット
投票を前に発表された選挙公約の中で、渡辺氏はこう訴えた。
「五輪は大会の規模が拡大し、今ではさまざまな都市で開催することが経済的にも環境的にも困難になっている。大国の政治力を誇示する手段とみなされることもあり、それが五輪に対する否定的な認識につながっている」
渡辺氏の案によれば、五大陸の5都市で10競技ずつを実施し、計50競技で夏季五輪を構成する。昨夏のパリ五輪では計32競技が実施されたが、大会の規模を縮小するのではなく、分散開催によって競技数を増やす。時差のため、24時間を通しての中継も可能になるという。

IOC会長選挙に立候補した渡辺守成・国際体操連盟会長。公約のプレゼンテーションの後、記者会見で「五大陸五輪」について説明した=2025年1月30日、スイス・ローザンヌ(AFP=時事)
1月下旬に記者会見した渡辺氏は、「五大陸五輪」の公約の中で、以下のようなメリットを挙げた。(1)世界中で五輪の興奮を共有し、五大陸の結びつきが強まる(2)自治体の負担は軽減され、小さな都市でも五輪を開催できるようになる(3)スポンサーは世界規模でのプロモーション活動を展開しやすくなる──などだ。
トーマス・バッハ会長の後任を決める選挙には、コベントリー、渡辺両氏の他に▽セバスチャン・コー(世界陸連会長、英国)▽フアンアントニオ・サマランチ・ジュニア(IOC副会長、スペイン)▽ダビド・ラパルティアン(国際自転車連合会長、フランス)▽ヨハン・エリアシュ(国際スキー・スノーボード連盟会長、英国)▽ファイサル王子(IOC理事、ヨルダン)の5氏が立候補した。だが、渡辺氏のような大胆な改革案を示す候補はいなかった。
渡辺氏は、選手として五輪出場などの目立った経験はないが、東海大学体操競技部時代にブルガリアへ留学。その際に東欧の新体操界に人脈を広げた。ジャスコ(現イオン)入社後は社業として新体操の普及に尽力し、日本体操協会の役員から国際競技団体のトップに上り詰めた人物だ。東側諸国とのつながりもあるだけに、「五大陸五輪」で世界の連帯を訴えた。
五輪の理想像とは
五輪憲章は第32条の2で「オリンピック競技大会を開催する栄誉と責任は、オリンピック競技大会の開催地として選定された、原則として1都市に対し、 IOC により委ねられる」と明示する。「適当であると判断できるなら、IOC は複数の都市、あるいは複数の地域、州、国など他の行政単位をオリンピック競技大会の開催地として選ぶことができる」とも付け加えているが、五大陸で同時開催することなど想定してはいないだろう。
五輪は各競技の世界選手権の寄せ集めではない、といわれる。その象徴が選手村だ。競技に関係なく、各国の選手や役員、チームスタッフが一堂に会して生活することによって、若者たちの交流が生まれ、培った友好が平和な社会の構築に結びつくと考えられているためだ。
そのような視点に立てば、五大陸に分かれて開催するという構想は、本来の五輪精神から外れるのではないか、という見方もある。一方、5つの輪のマークが示すように、五大陸を同時に結びつけるという意味では、より五輪の理想に近づくという考え方もできる。
コロナ禍で進んだ技術
最新の通信技術を使えば、「五大陸五輪」も全く不可能なアイデアとはいえないだろう。渡辺氏は「21世紀の今、技術は発展し、私たちはさまざまな旅行や、インターネットを含むコミュニケーションを楽しんでいる。五輪も新しいモデルを研究しなければならない」と強調していた。
新型コロナ禍の社会において、オンラインによる会議や授業、テレワークが世界中に広がり、スポーツ界にも「距離」という概念を超越する新しい潮流が生まれた。
伝統の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」では、世界各地のプロ選手をオンラインでつなぎ、バーチャルのコース映像を見ながら固定式の自転車でレースをする大会が実施された。コンピューターゲームの腕を競う「eスポーツ」の人気も高まり、2027年にはIOCはサウジアラビアで「オリンピック・eスポーツ・ゲームズ」の第1回大会も開く予定だ。

2020年7月に開催された「バーチャル ツール・ド・フランス」。2019年総合優勝者のエガン・ベルナルら世界のトップ選手たちがエントリーした(Zwift)
サッカーW杯は複数国開催の時代
世界的な巨大イベントを分散開催する例は、五輪よりサッカーが先行している。かつてはワールドカップ(W杯)も1カ国開催が原則だったが、2002年に日本と韓国による共催が例外的に決まった。思い起こせば、あの大会をきっかけに日韓両国の交流は活発になり、国際理解が深まったといえるのではないか。
来年のW杯は米国、カナダ、メキシコによる北中米3カ国で行われる。さらに30年大会は、スペイン、ポルトガル、モロッコの3カ国による共催を軸とし、加えて第1回大会のウルグアイ大会から100周年を記念して、ウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイでも1試合ずつが実施される。

国際サッカー連盟(FIFA)は2030年のワールドカップ開幕戦をパラグアイなど南米3カ国で開くことをリモートで公表。大会はスペイン、ポルトガル、モロッコの3カ国の共催だが、大陸をまたいで競技を盛り上げる計画だ=2024年12月、 パラグアイ、アスンシオン (ロイター)
「アフリカ大陸」への視点
過去の五輪開催地を見ると、五大陸の中で開催経験がないのは唯一アフリカ大陸である。
コベントリー氏はアフリカ南部の内陸部に位置するジンバブエの首都ハラレで生まれ、高校卒業後、米国の大学に留学した経歴を持つ。競泳選手として00年シドニー五輪から16年リオ・デジャネイロ五輪まで5大会連続出場。04年アテネ、08年北京両大会では200㍍背泳ぎで金メダルを獲得した名スイマーだ。13年からはIOC選手委員となり、近年は理事の立場にある。母国ではスポーツ担当の大臣も務めている。

国際オリンピック委員会の会長に選ばれ、記者会見するコベントリー氏=2025年3月20日、ギリシャ・コスタナバリノ(AFP時事)
世界的イベントであるサッカーやラグビーのW杯は、すでに南アフリカで開かれたことがある。五輪もアフリカ開催が実現すれば、五大陸が実質的につながることを意味する。コベントリー氏にはそういう点での期待も大きい。
大会の肥大化を抑制しつつ、発展途上国でも開催できるような体制を構築しなければならない。そのための抜本的な改革はアフリカ開催のみならず、五輪の持続可能性を高める上で極めて重要だ。最新の通信技術の活用や分散開催など多様な方式を通じ、世界をつなぐ取り組みに力を入れてほしいものだ。
分断した世界を結び付けられるか
IOCには、大きな壁が立ちはだかる。分断が進む世界情勢だ。
ロシアによるウクライナ侵攻と、パレスチナ自治区ガザにおけるイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が続き、2つの戦争がスポーツ界にも暗い影を落とした。世界最大のスポーツ組織を率いるコベントリー氏には、さらに難関が待ち受ける。自国第一主義と高圧的な外交で世界を動揺させるトランプ米大統領の存在である。
「連邦政府が認める性別は男性と女性だけだ」と述べるトランプ氏は、28年に開かれるロサンゼルス五輪でトランスジェンダーの選手に入国ビザを発給しない考えを表明した。生まれたときに認定された性と自認する性が異なる人たちだ。とりわけ出生時の性別が男性で、女性を自認する選手の女子競技への参加が、競技の公平性の観点から議論になっている。
IOCはジェンダー平等に関する指針で「性の多様性、身体的外見、トランスジェンダーであることを理由に不公平に競技から排除されるべきではない」として、多様な性を尊重する方針を掲げる。この点、トランプ氏の価値観は明らかにIOCとは相反する。
コベントリー氏は米メディア、The Athleticのインタビューでトランスジェンダーの問題についてこう答えている。
「トランスジェンダーの選手に関するルール作りには、国際競技団体が大きな役割を果たしてきたが、IOCが主導的な役割を果たさなければならない」
その上でトランプ大統領との関係については「政治家は常にスポーツイベントをさまざまなメッセージを伝えるための場と見なすだろう。私たちIOCは中立を保つ必要がある。言うのは簡単だが、中立を保つ唯一の方法は、私たちの誠実さと価値観を守ることだ」と、スポーツの独立性に言及している。
世界の分断は簡単には修復されそうにない。ウクライナの安全保障や軍事支援を巡って米欧の関係もぎくしゃくしている。そんな時代だからこそ、国家や人種、宗教、性差といった壁を越え、平和の尊さを分かち合うオリンピック・ムーブメント(五輪精神を広める運動)は貴重だ。新会長に就任するコベントリー氏には、政治の圧力に屈せず、「五大陸」を真に結びつけるリーダーシップが求められる。
※オリジナルの記事は2025年3月18日公開。同3月21日に情報を更新した。
バナー写真:パリ五輪体操女子の表彰式に出席したIOCのバッハ会長(右)と国際体操連盟の渡辺守成会長=2024年8月1日(Xinhua/Abaca Press/共同通信イメージズ)