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浅間山のプロフィール : 江戸期の大噴火、火砕泥流は利根川を下り太平洋へ

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日本で最も活発な火山の一つである浅間山。甚大な被害をもたらす大噴火は、数百~千年に一度ほどのペースでしか起こっていない。しかし、過去の大噴火の被害を知っておくことは、いつか起こるかもしれない災害に備える意味で有意義だ。

2019年8月7日、浅間山で小規模な噴火が発生した。気象庁は噴火警戒レベルを「1=活火山であることに留意」から、火口から4キロ以内に入らないよう求める「3=入山規制」に引き上げた。19日に警戒レベルを「2=火口周辺規制」に引き下げたが、25日に再び、噴火が起こった。今回の一連の活動では人的・物的な被害はほとんど出ていないが、こうした機会に浅間山について知っておきたい。

浅間山は長野県軽井沢町、御代田町、小諸市、群馬県長野原町、嬬恋村にまたがる標高2568メートルの活火山。約2万年前まで噴火活動をしていた「黒斑(くろふ)山」、2万年前~1万年前にかけて噴火した「仏岩」、1万年前から現在に至るまで活動を続けている「前掛山」の3つの火山が重なりあってできている。明治期以降も頻繁に噴火を繰り返し、時として首都圏まで降灰することもあり、気象庁の常時観測対象となっている。この200年ほどは、甚大な被害が発生する噴火はない。

直近の大噴火は、1783年の天明噴火だ。5月9日~8月5日まで約90日間にわたって活発に活動。特に7月末からの噴火は、日本の火山災害の歴史の中でも特に大きな被害をもたらした。北側の斜面を滑り降りた火砕流は近隣の村を焼き払い、鎌原村(現在の嬬恋村)では岩や土を巻き込んだ火砕流に飲まれて村民の8割以上にあたる477人が死亡。土石流は吾妻川に流れ込み、さらに利根川に合流して、利根川流域でも甚大な洪水被害を起こした。泥流は200キロ以上の距離を下り、太平洋まで達した。

洪水の死者も含めて、天明大噴火による人的被害は1600人以上となった。また、この時、利根川の川底が上がったことで、その後、何年にもわたって流域では洪水が頻発したと伝えられる。

天明大噴火(1873年)の経緯

5月9日 噴火が始まるが、5月~6月は甚大な被害なし
7月17日 大噴火
7月28日 約200キロ離れた江戸でも戸障子振動、降灰あり
8月2日 火山雷・噴石により前掛山は火の海となる
8月4日 北側斜面に火砕流。降灰のため、関東中部で、昼間でも夜のようになる
8月5日 大爆発で大量の溶岩と火山灰が噴出。火砕流は土砂を巻き込みながら山の北側斜面を下り、火口から10キロ以上離れた吾妻川に流れ込んだ。土石流が川の両岸を破壊し、人家を押し流しながら約70キロを下り、利根川に合流
8月6日 噴火は急速に鎮静化
8月9日 利根川に入った泥流は流域の村でも氾濫を起こしながら犬吠埼(千葉県銚子市)まで達し、太平洋に流れ出た

気象庁、内閣府(防災担当)などの資料を基に編集部作成

天明噴火については主として気象庁「浅間山 有史以降の火山活動」、内閣府防災担当「災害史に学ぶ」の記述を参考とした。また、長野県軽井沢町「浅間山の自然」、国土交通省利根川砂防事務所「天明3年浅間山噴火」、砂防・地すべり技術センター機関紙「sabo」Vol.110 のほか関係自治体、観光協会等の浅間山関連情報も参照した。

nippon.comの英語サイトのブログでは、マグマを噴き上げる浅間山を描いた「浅間山夜分大焼之図」や逃げ惑う人々の様子を描いた当時の絵を掲載しています。絵だけでも是非、ご覧下さい。

バナー写真 : 気象庁ウェブサイトより=北西上空からの浅間山釜山火口、後方山麓は軽井沢町(2010年11月2日、陸上自衛隊東部方面航空隊の協力による撮影)

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