大子漆(だいごうるし):文化財修復にも欠かせない“血の一滴”
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10年かけて育て、たったコップ1杯
日本の伝統的な塗料である漆は、ウルシの木の樹液を精製したものだ。固まると接着力が強く、防水性や耐火性にも優れている。採取方法は、幹に横一文字の傷をつけ、木が傷を癒すために分泌する液をヘラで掻き取る。木が成長するまでに10年を要し、1本の木から採れる漆はわずか180グラム、コップ一杯ほどだ。一度採取した木から、再び漆を採ることはできない。漆掻き職人は、「漆の一滴は血の一滴」と呼んで大切に扱う。

採取した漆を入れる漆桶(左)と漆の原液。原液から木屑を取り除いた生漆(きうるし)を攪拌(かくはん)して均質にする「なやし」、加熱して水分を蒸発させる「くろめ」の作業を行うと、半透明で粘度のある精製漆になる
漆の歴史は古く、1万年以上前の縄文時代の遺跡からも漆塗りの装飾品が見つかっている。飛鳥・奈良時代には寺院などの建造物や仏具などにも使われるようになった。鎌倉・室町時代には漆器産業が盛んになり、貴族の食器や武士が身につける鎧(よろい)にも漆塗りが施された。江戸時代には輪島塗や会津塗など漆器の産地が全国に誕生。海外への輸出品としても珍重され、ベルサイユ宮殿のマリー・アントワネットの部屋には、漆器の展示スペースがあったという。西欧の王侯貴族に愛された日本の漆器は「japan」と呼ばれ、中国の「陶器=china」と並び、東洋を代表する工芸品として名声を博した。
黄門さまがウルシの植栽を奨励
大子漆は主成分のウルシオール(樹脂)を多く含む。ウルシオールはフェノール系の物質で、含有する割合が高くなるほど透明度が増す。さらに塗り上がると深みと温もりを感じさせる独特の光沢を発するため高品質の漆として国内外で認知されている。この良質な漆は昔から、輪島塗など高級漆器の仕上げ用として使われてきた。人間国宝に認定されている漆芸家・大西勲氏も大子漆を愛用する一人で、「何度も塗り重ねるほどに深みのある輝きが出てきます。他の産地の漆ではこの艶(つや)は得難い」と語る。
大子漆は、茨城県大子町および栃木県那珂川町などで採取される漆のことを言う。大子町は寒暖の激しさが漆の生育に適した地形で、昔から優れた漆の産地として知られていた。大子町におけるウルシの栽培は古く、水戸黄門で有名な水戸藩二代藩主・徳川光圀が植栽を奨励し、農民の持ち高一石につきウルシの木1本を植えさせたことに始まる。当時は、塗料のほかに蝋燭(ろうそく)にも用いられた。明治初期には約3トンの採取量があり、昭和初期から福井・石川・福島など他県から漆掻き職人が大子町や那珂川町に滞在して漆を採った。
かつては生産量日本一を誇っていたが、近年の生産量は岩手県に次いで茨城県が全国第2位、栃木県が第3位となっている。岩手県が1位なのは、二戸市浄法寺(じょうぼうじ)町を本拠とする漆掻き職人が採取する「浄法寺漆」の集積地だからだ。
国産漆が衰退する中で
中国などの安価な漆が出回るようになり国産漆が衰退していく中で、最盛期には大子町だけで150人以上いた漆掻き職人も高齢化などにより減少し、平成になるとわずか数人となった。こうした状況に危機感を抱いた漆掻き職人の飛田祐造(とびた・ゆうぞう)氏と大子町農林課は、2010年に大子町や栃木県那珂川町の漆掻き職人10人からなる大子漆保存会を結成。それに伴い、「大子漆」「奥久慈漆」「茨城漆」などさまざまに呼ばれていた名称を、歴史的・文化的背景を踏まえて「大子漆」で統一することにした。同保存会は2023年現在、20代の若者や女性が職人として新たに加わり、18人で活発に活動している。
同保存会は主に2つの活動に取り組んでいる。1つは、ウルシの苗木の育成や植林を積極的に行うことで生産量を増やすことだ。以前は斜面に植栽していたが、現在は平らな畑に整然と植えるようになったため管理作業がしやすくなっている。もう1つは、後継者の育成だ。ベテランの職人は若手への技術伝承に貴重な時間を惜しみなく費やし、苗の育成、植栽、枝打ち、下草刈り、肥培管理、枝打ち、採取や伐採の仕方などを指導している。
日本の漆芸は千数百年以上の伝統を持つ。しかし、その基本材料の漆の供給は98%を中国などの外国産に頼っている。国産漆の生産量は年々少なくなっており、全国的にみると漆掻きの職人もどんどん減っている。国産漆が衰退した理由は、漆を採取することに手間暇がかかる割には収入が少ない上に低品質の中国産が安価に手に入ることによる。こうした中で、2015年に文化庁が国宝・重要文化財の修繕には国産漆のみを使用するよう通達したことの意義は大きい。大子漆は京都・知恩院御影堂など国重要文化財の修復には無くてはならないものになっており、日本の伝統文化を守るという意味でも優れた品質の材料確保は喫緊の課題だと言えるだろう。

大子漆保存会の仁平良廣(にだいら・よしひろ)会長(右)と初代会長の飛田祐造氏
写真撮影:乙咩海太
バナー写真=漆の樹液を採取する漆掻き職人の飛田祐造氏(撮影=乙咩海太)
