北米・湖水地方の原野を旅して

ノースウッズに恋した写真家 大竹 英洋(1):オオカミの幻影を追って

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自然写真家の大竹英洋が自らの軌跡を書き下ろす5回シリーズ。第1話は、北米の湖水地方ノースウッズを目指した原点を明かす。導いてくれたのはオオカミだった。

ノースウッズで、自然の営みを撮り続けてきた大竹英洋(46)。20年間の集大成となる初めての写真集『ノースウッズ 生命を与える大地』で、このほど第40回土門拳賞を受賞した。受賞記念作品展は、山形県酒田市の土門拳記念館で10月6日から開催予定。

全ては夢から始まった

大学4年の秋。東京のマンションの4畳半にも満たない自分の部屋で眠りについた僕は、気が付くと薄暗い木造の小屋にいた。ぼんやりと明るい窓に近づくと、外には雪が降っていて、北国を思わせる針葉樹が並んでいた。次の瞬間、視界にすっと灰色の影が躍り出た。その影は木のそばで立ち止まり、こちらを振り返った。1頭のオオカミだった。鋭い視線をこちらに投げると、森の茂みへと走り去った。そこで目が覚めた。真っ暗な天井に、さっき見つめ合ったオオカミの残像がくっきりと浮かんでいた。

当時、僕は自然を伝える写真家になると決意し、最初の撮影フィールドを探していた。アラスカの原野、アフリカのサバンナ、南米のアマゾン、ヒマラヤの山々、東南アジアの熱帯雨林、南極や北極と、魅力的な大自然を挙げれば切りがない。いざ一つを選ぶには決め手がなかった。写真集にまとめ上げるには、人生の全てを懸けることになるかもしれない。自分にしかできないと思えるテーマは何か、ずっと悩んでいた。

島の上のウッドランド•カリブー(撮影:2010年)
島の上のウッドランド•カリブー(撮影:2010年)

写真集『ブラザー・ウルフ』との出会い

夢を見るまでオオカミをテーマにするとは考えてもみなかった。日本では野生のオオカミは100年以上も前に絶滅している。もっと調べてみようと図書館へ行った。そこで出会ったのが写真集『ブラザー・ウルフ』(ジム・ブランデンバーグ写真・文)だった。

ジム・ブランデンバーグは月刊誌『ナショナル ジオグラフィック』の契約写真家として知られる、世界最高の自然写真家の一人。『ブラザー・ウルフ』は、彼が米ミネソタ州北部で撮り続けたオオカミの写真集だ。ページを開くと、夢で見たようなオオカミが、今にも動き出しそうな姿で収められていた。作品の数々に心を奪われた。こんなふうに五感を研ぎ澄まして自然を感じることができたら、どんなに素晴らしい人生だろう。野生のオオカミの姿をこの目で見てみたい。悩んでいた最初のテーマがついに見つかったのである。

『ブラザー ウルフ 我らが兄弟、オオカミ』写真・文:ジム・ブランデンバーグ(講談社)
『ブラザー・ ウルフ われらが兄弟、オオカミ』写真・文:ジム・ブランデンバーグ(講談社)

都会で育ち、ジャーナリストを志す

自然への興味も、写真への興味も、幼い頃から抱いていたわけではない。生まれは京都の舞鶴だが、幼稚園からは東京の世田谷で育った。キャンプや登山をする家庭でもなく、小学生の頃は団地の周りでチョウやトンボを追っていた。中学生になっても音楽や美術など人前で表現する授業は大の苦手。高校には毎日、渋谷のスクランブル交差点を電車の窓から眺めて通学していた。

そんな都会で育った僕は、ジャーナリストを志望して大学の社会学部へ行くことを決めた。だが、海外志向が皆無で英語が不得意だったことが足を引っ張ったのか、なかなか合格できなかった。2浪の末に希望の大学へ入学。そこで出会ったワンダーフォーゲル部が、人生の転機となった。

霧氷に覆われた森(撮影:2013年)
霧氷に覆われた森(撮影:2013年)

シンプルなキャンプ生活を通して考えた

ワンダーフォーゲルとは、ドイツ語で渡り鳥を意味する。大学によって活動はさまざまだが、僕が引かれたのは「沢登り」だった。山肌を流れる渓流の一つをさかのぼって山頂を目指す、日本ならではの登山スタイルだ。

清らかな沢沿いにテントを張り、たき火で暖を取り、星空の下で眠る。電気も水道もないキャンプ生活に身を置くと、都会の便利な暮らしが異質に感じられた。人間は何者なのか。どこへ向かおうとしているのか。卒業後も自然の奥を旅して、人間と自然のつながりについて思索を深め、見たものや感じたことを人々に伝えたいと思うようになった。その道具としてカメラを手にし、写真家を目指したのである。

大学一年の夏合宿。北海道、知床半島の沢を遡る。(1995年)
大学一年の夏合宿。北海道、知床半島の沢を遡る。(撮影:1995年)

どうせダメ元、失うものはない

オオカミを最初のテーマに決めると、すぐにジムに手紙を書いた。アシスタントとして働きながら写真や仕事を学んでみたかった。無謀だと分かっていたが、思いは真剣だった。同級生が就職先を決めていく中、僕にはそれが就職活動だった。

手紙の返事が来ないまま、とうとう卒業してしまった。けれど、諦める気持ちは全くなく、現地に行って直接ドアをノックしようと思った。何のつてもない僕が、著名な写真家に会える可能性なんてほぼゼロに等しいだろう。でも、どうせダメ元、失うものもない。夢に現れたオオカミに導かれて旅に出たその先に、一体何が待ち受けているのか見届けてみよう。そう思うとワクワクして仕方がなかった。

北米大陸ノースウッズの空撮(撮影:2016年)
北米大陸ノースウッズの空撮(撮影:2016年)

森と湖の世界へ

ジムの撮影拠点の住所は分からないが、著書にミネソタ州北部のイリーが最寄りの町とある。キャンプ道具を詰めた重いリュックサックを背に、初めての米国、ミネアポリス空港に降り立ったのが1999年5月末。格安航空券なので、帰りの日は動かせず、何があっても90日は米国にいる覚悟だ。

バスで北上してダルースまで行ったが、その先に公共の交通機関がない。途方に暮れ、ユースホステルのオーナーに事情を説明すると、何と車でイリーまで案内してくれるという。周辺の地図を見ると、無数の湖が点在していた。そこは「バウンダリー・ウォーターズ」という米国でも有数のカヌーの旅に適した原野で、目的のスタジオはその奥のムース湖畔にあることを突き止めた。道路も続いていたが、車で先を急ぐのは気が進まない。弟子入りを断られてしまえば旅の目的が一つ、早々に消えてしまうのだ。

地図にカヌーのルートを見つけた。そこで、カヌーではなく初心者でも扱いやすいカヤックを購入してムース湖を目指すことにした。水路がつながってない地点は、小道をカヤックや荷物を担いで運ばなくてはならないが、全行程に3カ所あるのみでどれも短かった。通常なら2泊3日の行程だが、時間をかけて進むことにした。

ジム・ブランデンバーグに会いにいく旅で使った地図、コンパス、そしてカヤック(右、撮影:1999年)
ジム・ブランデンバーグに会いにいく旅で使った地図、コンパス、そしてカヤック(右、撮影:1999年)

夢を自分で手繰り寄せる

『そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森 ノースウッズ』(あすなろ書房)
『そして、ぼくは旅に出た。はじまりの森 ノースウッズ』(あすなろ書房)

野営には自信があったが、見知らぬ土地で、初めての水上の旅に不安がなかったといえばうそになる。旅に出る前にアウトドアショップのガイドにさまざまな質問をぶつけ、それほど危険な旅ではなさそうだと感じた。

スタート地点の湖で5分だけこぎ方のレッスンを受けた。カヤックは想像以上に安定していた。水面は手が届きそうなほど近く、パドルをこぐとすーっと進んだ。自分が進んでいるというよりも、景色の方が近づいてくるよう。体験したことのない新鮮な感覚だった。

毎日少しずつ刻むようにして進んだ。写真集の中でしか知らなかった土地を、現実に旅をしている喜びを感じた。パドルを力一杯こぐたびに、夢を自分で手繰り寄せている実感があった。

虹色に輝くクモの巣(撮影:2011年)
虹色に輝くクモの巣(撮影:2011年)

滝から転がり落ちていくように

途中で嵐に遭遇し、テントを張ったはいいものの、夜に激しい雷雨に見舞われたときは生きた心地がしなかった。ビーバーが、尻尾を水面に打ち付けて威嚇してくるのにも驚いた。夜中に木製のパドルを食べられてしまうのではないかと、そのときは本気で心配した。結局8日間かけてムース湖にたどり着いた。釣り客用のロッジに泊まり、ジムのスタジオを探したが、道路沿いには「私有地 ・通り抜け禁止」のサインばかり。再び途方に暮れてしまった。

オーロラの下で(撮影:2016年)
オーロラの下で(撮影:2016年)

困った時は人に相談するしかない。ロッジのオーナーに話をすると、何と、はるばる日本からカヤックをこいでやってきた僕のために、人を介してジムと会う約束を取り付けてくれたのだ。数日後、僕は彼の車でジムのスタジオへ向かった。人生が川の流れだというなら、ゲートを越えて進む時は、滝の落ち口から転がっていくような心境だった。

羽繕いを終えたアビ(撮影:2018年)
羽繕いを終えたアビ(撮影:2018年)

遠回りの末、念願の初対面

玄関先で出迎えてくれたジムが最初にかけてくれた言葉は日本語の「コンニチハ!」だった。実際に会うまでは不安だったけれど、ふたを開けてみれば旅の途中で見つけたアビやハクトウワシの巣のことなど話題は尽きなかった。カヤックで遠回りをして、自然を肌で感じたことが大いに役に立ったのだ。

しかし、僕にはこの楽しい会話を遮って、旅の真の目的を告げる必要があった。アシスタントになりたいと出した手紙の返事を聞かなければならなかったのである。

第2話に続く】
【第3話:カヌーをこいで未知の世界へ
【第4話:森林火災といのちの営み
【第5話:先住民から学んだ生命の大地 (最終回)

ジム・ブランデンバーグ(右)と。ディスカバリー湖にて(撮影:1999年)
ジム・ブランデンバーグ(右)と。ディスカバリー湖にて(撮影:1999年)

撮影=大竹 英洋

バナー写真:1月の厳冬期を迎えたカナダ・マニトバ州北部。気温-40度の雪原を、冬毛に包まれた一頭のオオカミが横切っていった。(撮影:2015年)

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