感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

2章 新型コロナはどう広がったのか:(1)新型コロナの自然宿主(しゅくしゅ)を追いかけて

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密集して集団生活を営むコウモリに寄生するコロナウイルスは、交雑しあってさまざまな変異をつくり出してきた。そして彼らは自然宿主であるコウモリを「乗りもの」にしてヒトや家畜への侵入を企ててきた。

コロナウイルスに挑んだ3人の女性科学者

感染症の歴史を振り返り、過去に発生したいかなるパンデミック(世界的大流行)と比べても、新型コロナほどウイルスの特定、その遺伝子配列の解析、ワクチン製造など素早い対応はなかった。それだけ医学が発達し、PCR検査や遺伝子解析装置などの技術が進歩した証しであろう。

それでも、2022年11月に80億人(国連推計)に達した世界人口の1%近い死者を出した。もしもワクチンが間に合わなかったら、最大で世界人口の5%が死亡したと推定されるスペイン風邪(1918~19年)の二の舞になったかもしれない。

このウイルスの正体を突き止め、ワクチンをつくり上げた功績を考える上で、3人の女性科学者を見逃すわけにはいかない。1人目は、「コロナ」の名付け親である英国のジューン・アルメイダ(1930~2007年)。

英国グラスゴー王立診療所で電子顕微鏡を操作するジューン・アルメイダ(1950年ごろ撮影)
英国グラスゴー王立診療所で電子顕微鏡を操作するジューン・アルメイダ(1950年ごろ撮影)

2人目は、新型コロナウイルスを特定した中国・武漢ウイルス科学研究所新興感染症センター長の石正麗(せきせいれい、1964年~)。

2020年、中国・北京で開催された中関村(ZGC)フォーラムで講演するウイルス学者の石正麗(Photo by VCG/VCG via Getty Images)
2020年、中国・北京で開催された中関村(ZGC)フォーラムで講演するウイルス学者の石正麗(Photo by VCG/VCG via Getty Images)

そして、ハンガリー生まれのカリコ・カタリン(1955年~)。東西冷戦下のハンガリーを脱出して渡米。数々の挫折を経験しながらも、信念を曲げずに驚異的なスピードでコロナワクチン(mRNAワクチン)の開発に成功した。現在は独ビオンテック社の上級副社長だ。

世界に先駆けて新型コロナワクチンを開発した、生化学者のカリコ・カタリン (Photo by Stephen J. Boitano/LightRocket via Getty Images)
世界に先駆けて新型コロナワクチンを開発した、生化学者のカリコ・カタリン (Photo by Stephen J. Boitano/LightRocket via Getty Images)

女性ならではの理不尽な差別と戦ったキュリー夫人の「夢への情熱があれば逆境を乗り越えられる」という言葉をなぞるように、3人は逆境をはねのけて偉大な発明・発見を成し遂げた。

ヒトに感染するコロナウイルスを発見

ここからは、アルメイダと石正麗を中心に進めたい。英国グラスゴーに生まれたアルメイダは、家が貧しくて16歳のとき学校を中退、家計を助けるために地元の診療所で衛生検査技師として働きはじめる。その後、カナダのトロントにあるがん研究所に移って電子顕微鏡の操作を身につけた。ここで革新的な技術を次々に開発して、ウイルスの画像化、同定、診断のパイオニアとして名をはせ、各国の研究機関から引っ張りだこになった。1971年にはロンドン大学から博士号を取得している。

英国に戻ってロンドンの病院で働いていた1965年に、風邪の研究者から「B814」と標識のついたウイルスが持ち込まれた。電子顕微鏡をのぞき込むと表面がスパイク(とげ)に覆われた奇妙な形のウイルスが目に飛び込んできた。誰もこの形状のウイルスを見たことがなかった。

彼女が撮影した鮮明な電子顕微鏡写真から、新たな種類のウイルスと判明した。その形が「王冠」や「花輪」を連想させたことから、それらを意味するラテン語のコロネから「コロナウイルス」と命名した。このウイルスを「HCoV-229E(コロナウイルス①)」として1965年に発表。ヒトに感染したコロナウイルスの存在を初めて明らかにした大発見だった。

風邪を引き起こす4種類のコロナウイルス

彼女の発見後、野生動物や家畜からさまざまなコロナウイルスが発見され、「国際ウイルス分類委員会」が、46種を「コロナウイルス科」としてまとめた。このうちヒトに感染した前歴のあるのは新型コロナを含めて7種になった。

アルメイダは、B型肝炎、HIV/エイズ、風疹、SARSなどのウイルスの画像化にも成功した。彼女の名はしばらく忘れられていたが、新型コロナの出現によって再び脚光を浴び、伝記も出版された。

中国奥地で広がるナゾの肺炎 

石正麗は河南省南陽市で生まれ、武漢大学で遺伝学を学んだ。卒業後フランスに留学、モンペリエ第2大学で博士号を取得した。特にコウモリを自然宿主とするウイルスの研究では、多くの業績を上げてきた。米国微生物学アカデミーの会員にも選ばれ、2020年には米『タイム』誌恒例の「世界でもっとも影響力のある100人」にも名を連ねた。

彼女は、2002~04年にパンデミックを起こしたSARS(重症急性呼吸器症候群)の原因となったウイルスの正体を追ってきた。SARSは新型コロナの兄弟分と言っていいほど互いによく似ている。ウイルス学者の多くは、コウモリが保持するSARSウイルスが、中間宿主の「何者」かを介してヒトに飛び移ったとみている。つまり、「動物由来感染症」(人獣共通感染症)だと。

彼女はSARSウイルスの自然宿主を探るため、広東、広西、雲南省などでコウモリを捕獲して保有するウイルスを調べてきた。仲間内では「バットマン」ならぬ「バットウーマン」と呼ばれるほど、コウモリの研究に打ち込んできた。

2012 年、武漢ウイルス科学研究所に雲南省墨江県の山岳地帯にある銅鉱山の作業員から採血された血清サンプルが送られてきた。同年7月から10月にかけて肺炎で倒れ、昆明医科大学付属病院へ運ばれた4人(うち1人は死亡)のものだった。鉱山の坑道はコウモリの巨大な営巣地と化していたため、天井はぶら下がったコウモリで覆われていた。コウモリのフンは良質の肥料になるため、作業員は集めるのが日課だった。

感染源の究明のため、同研究所主任研究員の周鵬(しゅうほう)らが現場の銅山に赴いた。坑内のコウモリから約1300の検体を採取して、293種のコロナウイルスを検出した。

コロナウイルス追跡の執念

石らは、2015年に雲南省昆明市の市街地から南西に約70キロ離れた夕陽郷の山間地で棚田を耕して暮らす少数民族・イ族の村を調査した。周辺に点在する洞窟は、キクガシラコウモリの集団営巣地となっていた。12~80歳まで218人の血液を採取して分析すると、40〜50代の男女6人からSARSを引き起こすウイルスの抗体に近い抗体が見つかり、SARSの感染歴があることが判明した。しかし、この地域にはこれまでSARSの流行が確認されたことはなく、6人とも症状はなかった。

2016年の暮れに雲南省から約1350キロ離れた広東省清遠県の4つの農場で、豚が急性嘔吐(おうと)と下痢を起こして約2万5000頭が死亡した。病気の原因は、豚急性下痢症候群(SADS)と呼ばれるウイルス病だった。調べたところ、ゲノム配列が雲南省の洞窟でキクガシラコウモリが保持していたコロナウイルスと98%同じものだった。

石は2015年に米国の研究者と共に発表した論文で、SARSの原因となるコロナウイルスがコウモリ集団のなかで循環していて、再び新たな流行を引き起こす可能性を示唆していた。「密集して集団生活を営むコウモリに寄生するコロナウイルスは、交雑しあってさまざまな変異をつくり出してきた」というのだ。SARSウイルスものちに判明した新型コロナウイルスも、交雑によって生まれたひとつの「遺伝子プール」と考えられ、それぞれのウイルスやその変異株は、コウモリを「乗りもの」にしてヒトや家畜に侵入しようとして泳ぎ回っていると考えられる。

2019年12月31日には、武漢衛生健康委員会から世界保健機関(WHO)中国支部に、湖北省武漢市内で27人の原因不明の肺炎症状のクラスターが発生したことが報告された。ついに、ヒトに侵入できる変異株が出現したのだ。世界初の新型コロナの集団感染だった。石の予測は見事に的中したのだ。

石は当時の模様を米科学誌のインタビューに次のように答えている。

「上海の会議に出席していた12月30日、すぐ武漢に戻るよう携帯電話に連絡が入りました。市内の病院に入院した老夫婦に原因不明の肺炎症状がみられるので、分析してほしいということでした。夜7時ごろに研究所に戻り、インスタントラーメンをすすりながら徹夜で分析作業をつづけました。翌日になって、ついにゲノム配列がSARSウイルスと96.2%一致した新種のコロナウイルスを捉えるのに成功しました。16年間もコウモリを追いかけてきたのは、この発見のためだったと感じました」

2020年に入ると新型コロナウイルスはまたたく間に世界へと拡散し、社会を混乱に陥れた。改めて、2012年に雲南省墨江県の銅鉱山のコウモリから検出したコロナウイルスを調べてみると、新型コロナとゲノム配列が96%同じウイルスがあった。つまり、パンデミックが起きるずっと前から、中国の奥地ではコロナウイルスが広まり、ヒトへの侵入を試みていたということが裏付けられたのだ。

2章 新型コロナはどう広がったのか:(2)コウモリから野生生物、そしてヒトへと感染した新型コロナウイルスが中国から全世界へ拡散  に続く

バナー写真 : コロナ対策で飲食店の営業が制限されたパリ。130年以上の歴史あるカフェ「ドゥ・マゴ」のテラス席には、常連客に代ってテディベアが陣取っていた。2021年1月6日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Chesnot/Getty Images)

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