感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

3章 新型コロナはどう収束するのか:(1)自然消滅した SARSウイルス

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現在、猛威を振るっている新型コロナは、今後どのような経過をたどっていくのか。撤退か、休戦か、それとも長期戦になるのか。近縁のSARSウイルスに何らかの手がかりがあるのだろうか。

コロナウイルスは過去20年間に、ほぼ10年間隔で3回のパンデミック(世界的大流行)を繰り返した。原因となったウイルスはいずれも同じコロナウイルス科に属する近縁であり、若干の違いはあるもののその臨床像(経過・病状・検査結果)は酷似している。ここではまとめて「コロナ3兄弟」と呼ぶことにする。

長男は2002年に中国から世界に広がった「SARS」こと「重症急性呼吸器症候群」 (ウイルス名=SARS-CoV)。次男は2013年に主として中東で流行した「MERS」こと「中東呼吸器症候群」 (MERS-CoV)。そして三男が今回の「新型コロナウイルス感染症」(SARS-CoV-2 /COVID-19)である。

現在、猛威を振るっている三男が、今後どのような経過をたどっていくのか。いずれ撤退するのか、休戦するのか、長期戦をたくらんでいるのか。長男、次男の過去に何らかの手がかりがあるに違いない。今回は、まず長男から見ていこう。

SARSウイルスの驚異的な感染力

コロナウイルスの恐ろしさを世界が思い知らされたのは、SARSの出現だった。その感染力のすさまじさを再現してみたい。「ゼロ号患者」は、中国広東省で発生した。経済ブームにわく当時の広東省には、地方から出稼ぎのために多くの若者が集まっていた。

そんな若者のひとりが2002年11月16日に、同省佛山(フォーシャン)市の「第一人民病院」に運び込まれ、高熱、せき、呼吸困難などの症状を訴え、衰弱して亡くなった。死因は不明だったが、後にSARSによる肺炎と判明した。

この若者は、野生動物の料理である「野味」を提供する料理店で働いていた。おそらく、動物の解体や調理の際に肉や血液に接触、ウイルスに感染したと考えられる。その後、広東省では、市場の売り子、料理人らの間で最初のアウトブレイクが発生した。彼らが殺到した病院では、105人の医療従事者を含む305人の感染者が報告された。

中国政府は、2003年2月まで病気の発生を世界保健機関(WHO)に報告しなかった。しかも、メディアに対してもSARS に関する報道を制限し、北京に派遣されたWHO調査チームは流行の起点となった広東省への訪問さえ許可されなかった。ここでも、その後に発生する新型コロナウイルス感染症とまったく変わらない秘密主義が貫かれた。その間にも、中国では感染者は増えつづけていった。

WHOは10カ国の13の研究機関に協力を要請した。香港大学、米国疾病予防管理センター(CDC)などがウイルスの分離に成功、遺伝子の配列を明らかにし、それに基づいて抗原検査キットが開発された。パンデミック対策でこれほど大規模な国際研究協力が行われたのは初めてだった。

しかし、流行は中国内だけでは収まらなかった。年が明けた03年2月26日、上海と香港を経由してベトナムのハノイに到着した中国系米国人のビジネスマンに重症の呼吸器疾患の症状が現れ、市内のフランス病院に運ばれたが間もなく死亡した。彼はとくに感染力の強い「スーパースプレッダー」で、後の調査で彼を起点にして約80人が感染したと推定された。

診察を担当したイタリア人医師で微生物学者のカルロ・ウルバーニは、アジア・アフリカ諸国で働いた経験豊かな医師だった。危険なウイルス疾患であることに気づいて3月10日にWHOに「原因不明の異型肺炎」と報告した。しかしその翌日には、院内に感染が広がって彼自身も感染して3月29日に死亡。つづいて、医療スタッフや医師、職員ら計36人が次々に倒れた。

同時に、広東省の対岸の香港市内にも感染が広がっていた。広東省広州市の病院で肺炎の治療にあたっていた中国人医師が、SARSに感染していることに気づかずに香港に出かけ、市内のホテルに宿泊したことから新たな感染ルートが生まれた。

医師は香港に到着しホテルにチェックインした直後に、具合が悪くなって入院した。客室はその医師が吐いたものが飛び散っていた。この客室を清掃したホテル従業員が、同じ道具で別の部屋を掃除したためにウイルスが広がり、宿泊客のシンガポール人、カナダ人、ベトナム人、アイルランド人ら16人が病院に運ばれた。あっという間に50人を超える医師や看護師らも同じ症状で倒れ、病院の機能はマヒしてしまった。

この病院に入院した兄を見舞った弟が市内の高層マンションを訪ねたために、そこに住む321人が感染した。マンションの下水管の不備で、その男性の排せつ物に含まれていたウイルスが、トイレの換気扇に吸い上げられてマンション内に拡散した可能性が高い。

中国人医師と同じホテルに宿泊していた客も次々に感染して、ウイルスをそれぞれの国に持ち帰ったことから今度は海外へ感染が広がっていった。宿泊客のひとり、中国系カナダ人女性が2月23日にオンタリオ州トロントの自宅に戻ったが、発症して10日後に死亡した。

一緒に暮らしていた息子も市内の病院に入院したが、1週間後に亡くなった。この病院の入院患者、見舞客を通じてカナダ全域に流行が拡大していった。カナダ政府の調査では、4月1日までに感染者は4つの州で151人になった。

航空機がウイルスを短期間、広範囲に拡散

間に6人の他人を挟めば、全人類が知り合いになるという「6次の隔たり理論」がある。米イェール大学のスタンレー・ミルグラムが「スモールワールド実験」で証明してから注目され、これを題材にした小説や映画もできた。SARSウイルスはまさにこの理論通り、ヒトからヒトへと連鎖し、世界各地に伝わっていったのだ。

2003年3月12日にWHOが世界規模の警報を出したときには、感染爆発を引き起こしたSARSはすでに欧米にも広がっていた。航空機による大量・高速輸送がこうした新興感染症を短期間で広範囲に拡散させる脅威を改めて思い知らされた。

米国疾病予防管理センター (CDC) は当初、自然宿主(しゅくしゅ)は野味市場で売られていたハクビシンを疑った。だが、結果的にはこれは中間宿主で、自然宿主はキクガシラコウモリ(後に新型コロナでも自然宿主に)が保有していたウイルスの疑いが濃くなった。WHOは2003年4月16日に、原因は新しいコロナウイルスだと発表して、病名は「Severe acute respiratory syndrome」(重症急性呼吸器症候群)の頭文字をとって「SARS」とした。

SARSの名称は皮肉な結果をもたらした。香港は1997 年の英国からの「返還」後、香港特別行政区政府が成立した。「特別行政区」の英語表記では「Special Administrative Region」となるが、 略して「SAR」となり、「SARS」と紛らわしいことになった。一部のマスメディアは皮肉を込めてSARSを「特別行政区症候群」と呼んだ。香港当局は「SARS」を避けて「非定型肺炎」を使いつづけた。

ここでも、お定まりの陰謀論が世界を駆けめぐった。「中国やアジアの経済発展を抑え込もうとした米国の仕掛けた生物テロ」「治療薬の売り上げを伸ばそうとした製薬会社に陰謀」などなど。

集団免疫獲得の前に自然消滅

ところが奇妙なことが起きた。SARSウイルスが突然に勢いを失って姿を消してしまったのだ。WHOはこれを受けて2003年7月5日に「収束宣言」を発した。ゼロ号患者が発生してから、231日目だった。その後も類似した症例がいくつかあったものの、死者はひとりも出なかった。

最終的には、米国、英国を含む世界の30カ国・地域で8422人が感染、916人の命が奪われた。死亡率は10.9%だった。このうち感染者の66%、死者の45%が中国人だった。幸い、日本では感染者が出なかった。

専門家の中には、「SARSが HIV/エイズやスペイン風邪なみのパンデミックを引き起こすかもしれない」と懸念する声も強かった。それがあっけなく消滅したのだ。コメントを求められたウイルス学者は、「ウイルスの燃え尽き症候群だ」と答えるのが精いっぱいだった。WHOは検査の徹底、感染者の隔離、移動の制限など公衆衛生上の対策が功を奏し、感染の連鎖が断ち切られたためと説明した。だが、集団免疫がつくられるには期間が短すぎる。行政の対策だけで、ウイルスが急に消失するとは考えにくい。

ウイルスの主な目的は「生存」「複製」「拡散」で、自分にとって有益か有害か中立的かなどに関係なく、突然変異を起こしながら増殖していく。その変異は多くの場合、宿主には無害だが、感染力や毒性を高めたり、ワクチンを回避できる突然変異株が生まれたりすれば、大流行につながることになる。

逆に、突然変異の中には増殖を抑えるようなものもある。ベルリンのチャリテ病院の著名なウイルス学者クリスチャン・ドロシュテンは、「SARSウイルスは突然変異を繰り返すうちに増殖を抑制し、生存できなくなって最終的には消滅した」と語っている。

状況は異なるが、新型コロナの第5波の流行でも、2021年9月に感染力の強いデルタ株による感染者が急減少したことがあった。国立遺伝学研究所の井ノ上逸郎(いのうえ・いつろう)は「あまりに多くの突然変異を遂げた結果、デルタ株はウイルスのコピーミスの修復が間に合わなくなって、最後には自己破壊を遂げた」と説明した。しかし新型コロナにはデルタ株に替わる新しい変異株が次から次へと登場し、SARSのように舞台から立ち去る気配はまだ見せていない。

(文中敬称略)

3章 新型コロナはどう収束するのか:(2)続出する変異株  に続く

バナー画像=屋外で、互いに距離を取りながら公開試験を受ける韓国ソウルの学生たち。2020年4月25日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Chung Sung-Jun/Getty Images)

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