感染症の文明史 :【第1部】コロナの正体に迫る

3章 新型コロナはどう収束するのか:(2)続出する変異株

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コロナウイルス3兄弟のうちSARSは突然に消滅。 MERSの収束の見通しはたっていないが、 約10年間の感染者数は2500人に抑えられている。それ対して新型コロナは変異株が続々と登場し、今後どのような展開を見せるのか予測するのは難しい。

収束の見通しが立たないMERS

前回はコロナウイルス3兄弟の長男SARSが突然に消滅した話を紹介したが、今回は次男のMERSについて見てみよう。SARS発生の10年後の2012年6月から翌年5月にかけて、サウジアラビア、カタール、チュニジアなどの中東諸国で、SARSに症状がよく似た呼吸器疾患のクラスターが発生した。これが「中東呼吸器症候群 」(Middle East Respiratory Syndrome=MERS)だった。

新興感染症を引き起こす3種類のコロナウイルス

追跡調査で「ゼロ号患者」は、 2012年4月にヨルダンで発生したことが突き止められた。感染者の大部分は中東地域の居住者だったが、一部渡航者にも拡大して2013年には英国で3例、フランスで2例が報告された。感染力の強さからパンデミック(世界的大流行)になるのではとウイルス学者の間では危惧された。

その予感が当たって、2015年5月~7月にかけて原発生地から約8000キロ離れた韓国で、MERSのアウトブレイクが発生した。韓国における「ゼロ号患者」は68歳の男性。アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビアなどに滞在し、5月4日に仁川空港に帰着したが、発熱・せき・倦怠(けんたい)感がひどくなって入院した。

韓国政府は世界保健機関(WHO)に報告するとともに、ゼロ号患者を医療機関に隔離した。だが、間もなく彼の妻と見舞いに訪れた息子、さらに同じ病室の男性が感染した。この男性は、発病してから隔離されるまでに10日たっており、その間に4カ所の医療機関で受診していた。このため、医療従事者や入院患者ら多数と濃厚接触していた。

彼が発端となって2次・3次感染者が急増して、6月8日の時点で64人に達した。結局、韓国では186 人が感染し、38 人が死亡した。致死率は 20.4%だった。その後、流行は6月1日をピークとして減少し、韓国政府は7月28日に同国内ではMERSが収束したと発表した。

だが、依然としてMERSの流行は中東を中心につづいている。2012年9月から2022年10月17日までの間にWHOに報告された世界のMERS感染者数は、27カ国で2578人にのぼり、死者は関連死も含めて計888人、致死率は34.4%と高かった。これらの症例の8割までがアラビア半島で発生したが、現在も収束の見通しはたっていない。

10年前にヒトコブラクダの間で感染拡大

MERSウイルスを人へと介在する中間宿主(しゅくしゅ)を見つけるために、さまざまな動物について調査が行われた。エジプト・カフレルシェイク大学マジド・ヘミダらの報告では、サウジアラビアでヒトコブラクダ310頭、羊100頭、ヤギ45頭、牛50頭、鶏240羽について抗体保有の状況を調べた結果、ヒトコブラクダのみが90%と非常に高い陽性率を示した。別の調査でフタコブラクダの抗体検査も行われたが、陽性を示したものはなかった。なぜヒトコブラクダのみが中間宿主になるのか、理由は分かっていない。

大規模な疫学調査から、一般のサウジアラビア人の0.15%がMERSに対する抗体を保有していることが判明し、無症状や軽い症状の感染者が多数存在していることが推定された。とくに高齢者や基礎疾患をもつ人が感染した場合に重症化すると考えられる。少なくとも1992年からヒトコブラクダの間でMERSの流行が始まっていたことも明らかにされた。

米ミネソタ大学の李放(りほう)らは、コウモリから中間宿主のヒトコブラクダを介してヒトに感染したとみている。これを裏付けるように、サウジアラビア南西部のビシャでの感染者から分離された MERS ウイルスの配列が、付近のナツメヤシ園で捕獲されたコウモリのウイルスときわめて類似していた。この事実から、コウモリが自然宿主の可能性が高い。

ただし、遺伝子の変異からみてコウモリかからラクダにスピルオーバー(宿主の乗り換え)したのは、かなり昔のことだったと考えられる。ラクダへとスピルオーバーしたコロナウイルスはその集団の中を循環しながら、さまざまな機会をとらえてヒトへの感染を繰り返してきたと考えられる。それが2012年になってアウトブレイクしたのだろう。

私たち日本人にとって、ラクダというと童謡の「月の砂漠」がまず思い浮かぶ。しかしアラブ世界では運搬用の役畜として飼われることが少なくなり、食肉にされることが多くなっている。それだけラクダの血液や肉に接す機会が増え、感染が広がりやすくなったと考えられる。

流行の波状攻撃を繰り返す武漢株

経験豊富なウイルス学者でも、新型コロナほど激しく変異するウイルスには出会ったことがないという。この激しさが、今後の収束の可能性にも響いてくる。この変異がどのような経緯で現れ、どう進化するのかを洗い出してみたい。

この進化の道筋は「系統樹」という家系図に表される。人間の家族と同じように、各メンバー (変異株) が他の家族とどのように関連しているかを示す。子どもは枝によって親とつながっている。系統図はウイルスが時間の経過とともにどのように進化し、将来はどのような変化が予想されるかについて手がかりを与えてくれる。

多くの変異株を持つ新型コロナウイルスの系統図

新型コロナが最初に中国の武漢に現れたとき、複数の感染者から2種類のウイルスが検出された。「A系統」と「B系統」である。A系統は自然宿主のキクガシラコウモリから見つかったコロナウイルスに近く、一時的に流行したが感染拡大には関わらなかった。

B系統はその後の感染爆発の主役になり、「武漢株」と呼ばれるようになった。いわば新型コロナの「ご先祖」である。ワクチン開発もこの武漢株を対象に進められた。しかし武漢株が世界各地に広がるにつれて、さまざまな変異株を生み出し、流行の波状攻撃が止まらない。

米カリフォルニア大学のジョナサン・ピーカーらの研究チームは、種を越えてヒトに感染した時期は、遺伝子の変異からみてB系統が2019年11月中旬、A系統が同月下旬と推定した。この時期は、武漢でゼロ号患者が現れた11月17日と符合する。

うんざりするほど複雑な変異株の名称

新型コロナウイルスは、あまりに多くの変異株が短時間に生まれ、しかも互いに交雑して変異株のさらなる変異をつくり出しているので、それぞれの名称は専門家でもうんざりするほど複雑だ。私たちを苦しめてしているウイルスが、いかに千変万化(せんぺんばんか)を繰り返しているか。それを知っていただくために、あえて面倒な説明をする。頭の痛くなりそうな話なので、飛ばしていただいても構わない。

新型コロナ系統樹、つまり家系図は、最初に武漢で流行がはじまったときに感染者から発見されたAとBの2系統にさかのぼる。もともとはコウモリが保有していたウイルスが、何らかの中間宿主の動物(タヌキなどの候補はいるが確定していない)を中継ぎにしてヒトに感染した。2系統があったことが、武漢ウイルス科学研究所から流出したとされる「ラボリーク説」を否定する根拠にもなった。異なる2種のウイルスがほぼ同時に流出する確率はきわめて低いからだ。

この種を越えた感染、つまりスピルオーバーは自然界ではひんぱんに起きるものの、多くの場合自然に消滅する。2つの系統が生き残るには、最少でも2回、最大では23回のスピルオーバーが起きた可能性があると言われている。変異株の出現はウイルスが進化していることを示すもので、より攻撃的で感染性が高く、ワクチンを回避できる変異株がこれからもどんどん出現する可能性を秘めている。

変異株の分類には、英語のアルファベットと数字の組み合わせで命名する国際的な系統分類命名法、通称「PANGOリニエージ(系統)」が使われる。最初の変異株がさらに変異して亜系統(サブバリアント)が現れ、それがまた変異を重ねていく。あくまでこの変異の系統を重視した命名法だ。これは「AからZ」が使われ、それが一杯になると「AA から AZ」、さらに「BAからBZ」というように、系統別の順序がつづく。

たとえば、「B.1.1.529」と呼ばれる変異株を例にとると、「B」が最初に見つかった武漢株の「B系統」を祖先として、「1」は最初の変異で、次の「.」(ピリオド)は「~の子孫」という意味になる。変異を重ねるごとに「B.1」、さらに「B.1.1」と数字が重なっていく。この変異株は「B系統の孫世代の529番目に現れた株」という意味になる。

PANGOによる分類は、対象の変異株が膨大な数にぼるために混乱が避けられない。そこでWHOは変異株の中から、感染力や免疫回避能力からみて脅威となる変異株を選びだし、「注目すべき変異株(VOI)」と「懸念される変異株(VOC)」として指定した。

当初は名称に「イギリス株」「インド株」など、最初に発見された国名を使っていたが、その国に対する偏見や差別につながるとして、2021年5月から意味を持たないギリシャ文字のアルファベット表記にして、「アルファ株」「ベータ株」「ガンマ株」と順に名付けた。専門家以外にも分かりやすいように配慮したものだ。この分類法は「WHOラベル」と呼ばれる。PANGOから名づけられた「B.1.1.529」では何のことかさっぱり分からなくとも、別名の「オミクロン株」の名は世界中に知れ渡っている。

ところで、WHOは12番目の「ミュー」まできたところで、2つ飛ばして15番目の「オミクロン」を変異株の名前とした。13番目のニューは「new」と混同しやすく、14番目のクサイは英語で「xi」と表記するので中国でxi(周)の姓が多いのがスキップした理由だと説明している。

新型コロナウイルスの変異株にWHOが充てたギリシャ文字

文字 読み方 最初に発見された年月 国
α アルファ 2020年9月 英国
β ベータ 2020年5月 南アフリカ
γ ガンマ 2020年11月 ブラジル
δ デルタ 2020年10月 インド
ε イプシロン 2020年3月 米国
ζ ゼータ 2020年4月 ブラジル
η イータ 2020年12月 複数の国々
θ シータ 2021年1月 フィリピン
ι イオタ 2020年11月 米国
κ カッパ 2020年10月 インド
λ ラムダ 2020年8月 ペルー
μ ミュー 2021年1月 コロンビア
ν ニュー 英語の「new」との混同を避けるため未使用
ξ クサイ クサイは英語で「xi」と表記。中国で「xi=周」の姓が多いので未使用
ο オミクロン 2021年11月 複数の国々
π パイ まだ使われていない
ρ ロー
σ シグマ
τ タウ
υ ウプシロン
φ ファイ
χ カイ
ψ プサイ
ω オメガ

ただ、中国の習近平国家主席の名は英語表記で「Xi Jinping」 なので、恐れ多いとして忖度(そんたく)したのではないかといううわさが流れた。24しかないギリシャ文字ではいずれ足りなくなる恐れがある。WHOはそのときには星座の名前をあてるという。

変異株の数がこれだけ膨大になるというのは、長男のSARSや次男のMERSではなかったことだ。

(文中敬称略)

3章 新型コロナはどう収束するのか:(3)変幻自在なオミクロン株  に続く

バナー画像=インド・ニューデリーのスポーツスタジアムに仮設された新型コロナウイルス感染症患者の収容施設。2021年5月2日撮影(この写真は記事の内容に直接の関係はありません)(Photo by Getty Images/Getty Images)

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