激動の歴史舞台となった名建築で「昭和」の時代を感じる : 荻外荘展示棟カフェ
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「もう一つの首相官邸」と呼ばれた邸宅
JR荻窪駅南口の閑静な住宅街に、激動の昭和史の舞台となった築約100年の邸宅がある。緑深い屋敷林の奥にたたずむ「荻外荘 / てきがいそう」。そこは3度にわたって内閣総理大臣を務めた近衛文麿が暮らし、「もう一つの首相官邸」と呼ばれた場所だ。
一時は建物の東側の一部が豊島区へ移築されていたが、杉並区の約10年の歳月をかけた復原・整備プロジェクトにより元の場所に再移築され、2024年、当時の息吹が美しく蘇った。
2025年には隈研吾氏が設計した荻外荘展示棟が誕生し、カフェもオープン。杉並区の銘店の味を楽しみながら、昭和史の記憶を眺めるという、この場所ならではの時間が体験できるようになった。木洩れ日のまぶしい季節、歴史と建築と味覚をめぐる散歩に出かけよう。
門をくぐる前に──4人の登場人物
はじめに、荻外荘にまつわる4人の人物について簡単に頭に入れておきたい。彼らを知ることで、建物が語りかけてくる言葉が変わるはずだ。
当初は大正天皇の侍医頭を務めた入澤達吉の別邸だった。設計は入澤の義弟で、東京・築地本願寺や京都・平安神宮を手がけた日本建築界の巨匠として知られる伊東忠太。入澤は、「自分の思う通りに腕をふるってほしい」と託し、1927年に完成した邸宅は和洋中の意匠が自在に溶け合う美しい建築となった。
1937年に入澤から荻外荘を譲り受けたのが、内閣総理大臣となった近衛文麿である。以来、応接室では非公式の政治協議が幾度となく重ねられ、近衛邸は日本の針路を決する場となっていく。そして終戦の年の1945年12月、自決の場所として選んだのもこの邸宅の書斎だった。
終戦からの復興期に長期政権を築いた吉田茂は、1947年に近衛家から荻外荘の一部を借り受け、1年ほど暮らしている。戦後日本の骨格を作った吉田もまた、この場所で思索を重ねた。もともと近衛と吉田は早期終戦と和平をめざす動きの中で接点を持ち、立場や信条を超えて互いを認め合っていたという。荻外荘は戦前、戦中、戦後と激動の歴史の目撃者なのだ。
龍の舞う応接室
中国風の応接室でまず目を引くのは、螺鈿(らでん)のテーブルと、天井や床の敷瓦にあしらわれた龍のモティーフだ。日本建築のルーツを訪ねて、中国、インド、トルコなどの建築を調査した経験を持つ伊東忠太は、豊かな知見と想像力で、漢詩に親しんだ入澤達吉の趣向に応えたのだ。

龍の天井画は、上海出身の実業家で書画家でもあった王一亭によるもの
螺鈿のテーブルと椅子は、夜光貝をちりばめた贅沢な意匠。残された写真をもとに三越製作所(三越伊勢丹プロパティ・デザイン)が製作している。光を受けて虹色にきらめく細工に、どれほど繊細な手仕事が施されたのだろう。
視線を下げると、テーブルの脚も龍の爪をかたどっていることに気づく。伊東忠太の建築には、龍をはじめとする想像上の不思議な生き物たちが随所に潜んでいる。他の部屋でも壁紙や装飾に注目すれば、小さな発見が待っているはずだ。
日本の運命を左右した客間
見学のハイライトは、洋風の客間だ。数多くの政治会談や組閣がおこなわれたこの部屋こそ、荻外荘が「もう一つの首相官邸」と呼ばれた所以である。
1940年、日中戦争が長期化するなかで近衛文麿、松岡洋右、東條英機らがここに集い、日独伊三国同盟につながる重要な方針を決定した。客間の前に置かれたタブレットをかざすと、近衛や東條らの姿が浮かび上がり、「荻窪会談」と呼ばれるこの会合の様子をAR(拡張現実)で体験することができる。目の前で緊迫した議論が繰り広げられているかのようだ。
椅子やテーブルクロスも、残された白黒写真をカラー化解析して忠実に復元したものだ。壁の剥製はもちろん、キャビネットに飾られた人形の衣裳にいたるまで再現するという徹底したこだわりと技術に圧倒される。

日本の針路を決める議論が交わされた客間。右は、「荻窪会談」の様子。テーブルクロスまで忠実に再現されていることが分かる。左端が荻外荘の主である近衛文麿首相(共同イメージズ)
日常生活を彩った食堂
会談の舞台を離れ、廊下を進もう。隣室の食堂は近衛家の日常と非日常が交差する空間だ。そこは家族で囲む食卓であると同時に、会談を終えた後に要人が食事を楽しむ場になることもあったそうだ。

キャビネットに並ぶオールドノリタケの食器は、実際に近衛家で使用されていたもの。アンティーク食器好きなら見逃せない
廊下の窓からは緑輝く芝生広場がのぞめる。職人の手仕事による木枠の凝ったデザイン、古いガラスの独特のゆらぎ。100年の時を経たガラス越しに、近衛がゴルフを楽しむこともあったという芝生を眺めていると、自分がどこか違う時間の層に差し込まれたような不思議な感覚を覚える。
時間が静止した書斎
光と緑が踊る食堂の先に待つのは、一転して静寂と歴史の重みが沈殿する和室である。
1945年12月、近衛が服毒による自決の道を選んだこの書斎は、遺族により聖域として守られてきた。床の間に掲げられた掛け軸「本立而道生」は、近衛自身の筆によるもので、「根本が定まれば、おのずと道が見えてくる」の意。書斎の前に立つと、時間がここだけ止まっているような、張り詰めた静けさを感じる。
隈研吾氏による荻外荘展示棟のカフェで休憩
邸宅が内包する歴史の重みを味わった後は、その余韻を抱いたまま、新しく建てられた荻外荘展示棟でひと休みしたい。隈研吾氏が設計したこの建物は、周辺環境との調和を重視し、敷地内に枝をひろげるケヤキに寄り添うように配置されている。荻外荘から展示棟へと続く一つの風景として、シームレスにつながる設計だ。
カフェメニューには、「ローストハウス ブラウンチップ」のコーヒー、「西荻窪 三原堂」の大最中、「菓人 結人」の水羊羹、「プチグレース」のスノーボール、「寅印菓子屋」の季節のマシュマロなどスタッフが一店ずつ足を運んでセレクトした地元の銘品がそろう。3月から6月末までの限定で、「ジェラテリア シンチェリータ」のソルベ、「パティスリー アンファミーユ」のビスキュイ、老舗和菓子屋「とらや」のあんペーストが共演する極上のサンデーも登場。
本来であれば各店を回らなければ出会えない味が、現代の巨匠・隈研吾氏の建築の中で一度に楽しめる。窓辺の席からは、豊かな緑のすぐ向こうに100年前の巨匠の作品・荻外荘の建物が見える。静けさを満喫したいなら午前中の訪問がおすすめだ。

サンデー〈あんといちご〉は、ここでしか味わえない地元の銘店のコラボ
荻窪三庭園をめぐる散策コース
荻外荘を後にしたら、徒歩10分圏内にある大田黒公園や角川庭園もセットで散策したい。3つの庭園は合わせて「荻窪三庭園」と呼ばれている。音楽評論家、大田黒元雄が愛用した1900年製のスタインウェイのピアノや、角川書店の創業者で俳人でもあった角川源義の近代数寄屋建築など、それぞれの園が異なる文化の薫りを放ち、荻窪という土地の重層的な魅力を伝えている。
歴史の表舞台ではないが、しかし確かに時代を動かした場所がある。荻外荘はそういう種類の空間だ。木々の奥にたたずむ邸宅を訪れるとき、私たちは教科書の活字の裏側へ、そっと踏み込む。そこには、権力者たちが人目を避けて語り合った部屋があり、一人の人間が静かに死を選んだ書斎があり、100年前の職人が魂を込めた細工がいまも光を照り返している。
荻外荘公園
- 住所:東京都杉並区荻窪2-43-36
- 開園時間:午前9時〜午後5時(最終入園午後4時30分)
- 休園日:水曜日、年末年始(芝生広場は年末年始のみ休園)
- 入館料:一般300円、小・中学生150円(就学前の子どもは無料)
- アクセス:JR線・東京メトロ丸ノ内線「荻窪」南口駅より徒歩15分
- 公式サイト:https://ogikubo3gardens.jp/tekigaiso/
荻外荘 展示棟 カフェ
- 住所:東京都杉並区荻窪2-43-36 荻外荘展示棟1階(荻外荘 東側)
- 営業時間:午前10時~午後4時
- 定休日:水曜日、年末年始
- アクセス:JR線・東京メトロ丸ノ内線「荻窪」駅南口より徒歩15分
- 公式サイト:https://ogikubo3gardens.jp/tekigaiso/tenjitou/
取材・文・写真=川口葉子
「荻窪会議」の写真のみ共同イメージズ
バナー写真:激動の昭和史の舞台となった荻外荘


