【新刊紹介】日系3世作家の広島と父への思い:平原直美『ヒロシマ・ボーイ』
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東京五輪大会が終盤を迎えた8月6日、76回目の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が広島市で開催された。連日、コロナ感染急拡大と五輪関連のニュースがあふれる中で、被爆者や戦争の残した傷跡に改めて思いをはせた人はどれだけいただろうか。
この「原爆の日」に、日系3世のミステリー作家、ナオミ・ヒラハラが15年にわたり書き続けた「庭師マス・アライ」シリーズの第7作『ヒロシマ・ボーイ』の邦訳版(訳:芹澤恵)が刊行された。
主人公のマスは米国生まれで広島育ち。10代で被爆し、戦後に帰米した。シリーズ完結作となる本作では、80代後半のマスが、やはり広島出身の被爆者で親友・ハルオの遺灰と共に50年ぶりに広島を訪れる。瀬戸内海に浮かぶイノ島に滞在していた彼は、海で少年の遺体を発見する。前日島に向かうフェリーの中で見かけた少年だった。警察の捜査が始まり、マスはいや応なく事件に巻き込まれる。さらに、なぜかハルオの遺灰が「行方不明」になってしまう。少年の死の謎、消えた遺灰の行方を探りながら、マスは自らの広島の記憶と原爆の傷跡に改めて向き合う。
マスのモデルとなった著者の父(平原勇)は米カリフォルニア州生まれで、幼い頃広島に移り住んだ。1945年、16歳の時に学徒動員先の広島駅で被爆。戦後帰米して広島出身の女性と結婚、庭師として生計を立てて一男一女を育て上げ、2012年82歳で亡くなった。一方、86歳のマスは、体力の衰えは自覚しつつも危急の際には驚くほどタフだ。50年ぶりの第二の祖国で感傷に溺れず、冷静な観察眼を保つ。シニカルだが他者の不幸を見て見ぬふりができない。派手な展開はないが、マスを探偵役に島の複雑な人間関係をひも解く「ハードボイルド小説」として楽しめる。
ヒラハラ氏は、2016年に本作の取材で広島県の似島を訪れた際の経験を寄稿してくれた。「イノ島」のモデルとなった小島だ。戦時中広島で被爆した多くの人たちが、一時この島の臨時野戦病院に運ばれたという事実はあまり知られていない。(『原爆の記憶をとどめる瀬戸内海の似島を訪ねて』)
これまで「マス・アライ」シリーズは、『ガサガサ・ガール』『スネークスキン三味線』の2作が訳されているのみ。初めて日本を舞台にした完結作を日本の読者に届けることは、作者の悲願だった。邦訳の著者名をカタカナではなく、初めて「平原直美」と表記したのもそんな思いの表れだ。日系米国人として、自らのアイデンティティーの一部でもある日本との絆を大事にしている。日系人の戦中・戦後の体験を伝えることはヒラハラ氏のライフワークだ。最新作(“Clark and Division”)は、カリフォルニアのマンザナー日系人強制収容所から解放されたヒロインが、自殺とされた姉の死の真相を探るミステリーだ。邦訳を待ちたい。
カズオ・イシグロを別格として、日系人作家はあまり日本でなじみがない。もっと意識的に紹介する必要があるのではないか。日系人の経験を知ることは、日本人の歴史の一部と向き合うことにもなるのだから。
(ニッポンドットコム編集部・板倉君枝)
小学館
発売日:2021年8月6日
文庫版:320ページ
価格:1034円(税込み)
ISBN 978-4-09-406728-6
