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映画『カウラは忘れない』:死を選んだ日本人捕虜の悲劇から学ぶ「空気に流されるな」「生きろ」

Cinema 歴史

1944年8月、オーストラリアのカウラ捕虜収容所で1100人を超える日本人捕虜が、史上最大の集団脱走を試み、234人が命を落とした。彼らはなぜ無謀な行動に出たのか。数少ない生存者らに取材し、事件の真相と現在につながる教訓を探った満田康弘監督に話を聞いた。

満田 康弘 MITSUDA Yasuhiro

1961年香川県生まれ。京都大学を卒業後、1984年にKSB瀬戸内海放送入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。ANN系列のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」で数多くの番組を制作、プロデュース。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞優秀賞などを受賞。元陸軍通訳・永瀬隆氏による泰緬鉄道の個人的な戦後処理を取材したテレメンタリーのシリーズは全5作品。16年、ドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』を監督、キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門第5位に選ばれたほか、数々の賞に輝いた。

戦死したはずの飛行兵が生きていた

オーストラリアのシドニーから西へ250キロのカウラという町に、日本人戦争墓地があり、524人が埋葬されている。その中の「ミナミ・タダオ」という人物が、1980年代の日豪共同調査の結果、豊島一海軍飛行兵と同一人物であることが判明した。

豊島さんは「豪版パールハーバー」と言われるポートダーウィン奇襲攻撃の際に戦死したことになっていたが、実は不時着して生き延び、収容所で捕虜生活を送っていた。陸軍の戦陣訓に「生きて​虜囚の辱を受けず」とあるように、日本の軍人にとって捕虜になることは最大のタブーだったため、多くの捕虜が本国に戦死と報告され、収容所では偽名を使っていたのだ。

豊島一(1920-1944)三等飛行兵曹(戦死後の最終階級) ©瀬戸内海放送
豊島一(1920-1944)三等飛行兵曹(戦死後の最終階級) ©瀬戸内海放送

墓地のあるカウラには、かつて戦争捕虜の収容所があった。そこで1944年8月5日、近代戦史上最多の1104人におよぶ捕虜の集団脱走事件が起こる。脱走は生き延びるためではなく、監視兵によって狙撃され、命を絶つためだった。234人が死亡し、豊島さんもその1人だ。生き残った捕虜は別の2カ所の収容所に移送されて終戦を迎え、46年2月から3月にかけて日本に送還された。

捕虜問題におけるコインの表と裏

この史実の詳細を追った映画が『カウラは忘れない』である。今なお残る悔恨を胸に秘める生存者たち、その思いを受け止めようとする若い世代、事件を教訓に和解の道を歩んできたカウラの住民などに取材したテレビドキュメンタリー3本分の映像が、新たに劇場用映画として再編集された。2016年に『クワイ河に虹をかけた男』で数々の賞を受賞した満田康弘監督の2作目となる。

死亡した戦争捕虜や抑留者、墜落した飛行士らが眠るカウラ日本人戦争墓地 ©瀬戸内海放送
死亡した戦争捕虜や抑留者、墜落した飛行士らが眠るカウラ日本人戦争墓地 ©瀬戸内海放送

前作は、日本軍の泰緬(たいめん)鉄道建設に関係した元陸軍通訳の故・永瀬隆さんを約20年にわたり追ったドキュメンタリーだった。タイとビルマ(現在のミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道は、日本軍が物資の輸送手段として1942年6月に建設に着手し、連合国の捕虜や周辺国の労働者を酷使した突貫工事によりわずか1年3カ月で完成させた。この日本軍の暴挙を永瀬さんは悔やみ、戦後、私財を投じるとともに賛同者からの寄付を募って、現地を訪れ贖罪と和解の活動に生涯を捧げた。

満田 泰緬鉄道の建設とカウラ事件は、日本の捕虜問題におけるコインの表と裏なんですね。日本兵は戦争中、捕虜になることは恥である、捕虜になるくらいなら死ねと教えられました。そういう捕虜への軽蔑が、一方で連合国捕虜に対する虐待を生み、もう一方で、カウラでの絶望的な脱走へとつながっていった。自分には生きる価値がない、生き残っても居場所がないと考えた捕虜たちが、銃撃されるのを覚悟の上で決起したんです。

映画には、生き残った元日本人捕虜4名の生々しい証言が収録されている。オーストラリア軍はジュネーブ条約を順守し、人道的に捕虜を扱った。元陸軍一等兵の村上輝夫さんが「天国でした」、元陸軍伍長の山田雅美さんが「大変いい生活でした」と振り返るように、たっぷりと食事が与えられ、1日5本の煙草まで支給された。

元陸軍伍長の山田雅美さん(1919-2014) ©瀬戸内海放送
元陸軍伍長の山田雅美さん(1919-2014) ©瀬戸内海放送

しかし、手製の野球道具や麻雀牌、花札で遊んで日々を過ごす捕虜たちの心の中には、常に「こんな楽をしていていいのか」という葛藤が渦巻いていたようだ。そんな折に、オーストラリア当局から、過密収容を解消するため、兵士たちを下士官から分離し、別の収容所に移送するとの通知があった。班長会議で決起の案が出されたのはその直後だった。賛否を問うために、全班で各自トイレットペーパーに○か×を書いて投票したという。

捕虜たちが手作りした野球のバット。決起の際にはこれを持って機関銃で武装する監視兵に立ち向かった ©瀬戸内海放送
捕虜たちが手作りした野球のバット。決起の際にはこれを持って機関銃で武装する監視兵に立ち向かった ©瀬戸内海放送

当時、海軍の軍属だった今井祐之介さんが、このときの捕虜の心情を分かりやすく4つのタイプに分類して説明する。1つめは軍人精神が旺盛で死をいとわない人。2つめは軍人精神があり死ぬ覚悟もできているが「今はその時期でない」と考える人。3つめは生き延びたいがそれを公言できない人。そして4つめが、決起に反対の人。だが、本心は×でも〇を書いた人が多数いたはずだという。

復員後は通産省に長年勤めた今井祐之介さん(1920-2018) ©瀬戸内海放送
復員後は通産省に長年勤めた今井祐之介さん(1920-2018) ©瀬戸内海放送

投票による結論は「〇」。移送を通知された日の深夜、捕虜たちは決起した。陸軍所属でない今井さんは、戦陣訓を知らなかったが、それでも死を覚悟し、突撃ラッパの合図とともに真っ先に飛び出していった。しかし最初は上方への威嚇射撃だったために銃弾を浴びず、命を落としたのは、その後に出た人たちだったという。ちなみに突撃ラッパを吹いていたのが、元ゼロ戦パイロット、リーダー格の1人だった前述の豊島さんのようだ。

豊島さんが突撃の合図に吹いたラッパ ©瀬戸内海放送
豊島さんが突撃の合図に吹いたラッパ ©瀬戸内海放送

満田 亡くなれば英雄にされる。でも生き残れば普通の人たちです。だから彼らの言葉は人間らしく、正直でした。4名のうち3名はすでに他界されましたが、皆さん、僕の質問によく答えてくださったと感謝しています。取材を始めたのは2009年。本当はもっと早く始めるべきでした。すでに生存者の多くが亡くなっていたんです。映画を作るには、生存者の声が足りないのではないかと気がかりでした。でもその反面、仲間の多くが亡くなった後だからこそ、正直な気持ちを言えたというのもあると思うんですよ。

このうちの1人、立花誠一郎さんは、ラッパを吹いて勇猛果敢に突撃した豊島飛行兵とは対照的な人物で、他の3人とも違っていた。立花さんはハンセン病に罹患したため、収容所の敷地内で独りテントに隔離され、計画すら知らされていなかったのだ。

元陸軍兵長の立花誠一郎さん(1921-2017) ©瀬戸内海放送
元陸軍兵長の立花誠一郎さん(1921-2017) ©瀬戸内海放送

復員後は岡山県瀬戸内市のハンセン病療養所、邑久光明園に入所し、理容師として働いた。車の免許を取ると、他の患者たちを乗せて、彼らが行きたい場所へ率先して連れて行ったという。

満田 立花さんは亡くなった方々に申し訳ないという思いを抱えながらも、自分の運命を受け入れて生きてきた。与えられた場で、誠実に一生懸命生き抜いてきた。僕はそれをとても尊いと思うんです。本当に強い人って何だろうと考えたときに、戦って美しく散った人よりも、立花さんのような人が思い浮かびます。

豊島飛行兵が捕虜になって偽名を用いたのは、家の名を守り、やがて豊島一として名誉の死を遂げるためだった。立花さんもまた、捕虜になりハンセン病患者となったために、家族を差別から守ろうと名前を変えたが、豊島飛行兵と決定的に違うのは、決して仮の名前という意識ではなく、これからはこの新しい名前とともに生きようという覚悟が感じられることだ。

歴史から学び現在・未来へとつなぐ

カウラ捕虜収容所の跡地。山陽女子高校の生徒らが、テントに隔離された立花さんが寂しいときに話しかけたユーカリの木に向かう ©瀬戸内海放送
カウラ捕虜収容所の跡地。山陽女子高校の生徒らが、テントに隔離された立花さんが寂しいときに話しかけたユーカリの木に向かう ©瀬戸内海放送

映画には、岡山市の山陽女子高校の生徒や卒業生と立花さんの交流が描かれる。彼女たちは2014年、カウラ事件70周年の記念式典に参加するため現地を訪れ、健康状態を理由に渡航を断念した立花さんの思いをつなぐ役目を果たす。

70周年記念行事では、劇団「燐光群」による事件を描いた劇が、オーストラリア人の俳優たちを加えて、現地で上演された。上演後の観客たちの反応は驚くべきものだった。事件に何らかの関係を持つ人が次々と現れたのだ。70年以上を経てもなお、事件の記憶が生々しく濃密に受け継がれていく場所なのだということが分かる。

元陸軍一等兵の村上輝夫さん(1920年生)。カウラ事件70周年、75周年の記念行事に参加した ©瀬戸内海放送
元陸軍一等兵の村上輝夫さん(1920年生)。カウラ事件70周年、75周年の記念行事に参加した ©瀬戸内海放送

事件の生存者としてただ1人、村上さんが行事に参加した。カウラ高校で開かれた集会で、質問者が村上さんに仲間へ祈りを捧げ続ける理由を問う場面がある。村上さんはこれに答えることを拒んだ。この沈黙の重みが私たちの胸に迫る。

満田 4人のうち、ご存命なのは村上さんだけです。去年100歳になられた。この先何年も生きられないという時になって、やっと正直な気持ちを少しずつ明かしてくれるようになった。それでも十分に口では表せない思いがあるんですね。年月を経て振り返れば、いろいろ考えることもできるでしょう。でも単純な話ではないんです。あの切迫した状況で、仮に自分がその場にいたらどうだろうか。(決起に)絶対反対だって言えるだろうかと。

カウラ高校で開かれた事件70周年の記念集会に出席し、村上さんの話に耳を傾ける山陽女子高校卒業生の大和美緒さん(左)と在校生(当時)の板井悠さん ©瀬戸内海放送
カウラ高校で開かれた事件70周年の記念集会に出席し、村上さんの話に耳を傾ける山陽女子高校卒業生の大和美緒さん(左)と在校生(当時)の板井悠さん ©瀬戸内海放送

満田監督は、生存者の証言を中心に、研究者、カウラの住民、劇団員、高校生など、さまざまな姿や声を通して、多面的に事件を捉えようと努めた。そこから浮かび上がったのは、戦後の和解という重要なテーマだった。しかし、このような美談だけでまとめてしまってよいのか、という思いが残った。

満田 カウラの人々は、歴史から学んで未来につなぐという意味で、非常にポジティブで、僕もそこに感銘を受けました。でもそのムードだけを取り上げていいのかと。最初の編集ではどうもしっくりこなかった。カウラの事件は、日本人の本質を見る上で大事な教訓を含んでいるんです。日本には「世間」はあるが「社会」はない。「世間」は人とのつながりで成り立っていて、自立した個人が構成する「社会」にはなっていないんです。それはここ数年の政治の動きと人々の反応にも表れている。組織ぐるみの公文書改ざん、新型コロナへの対応、オリンピックの開催…。日本は民主的な国になりましたと胸を張って言えるような状況ではないですよね。

カウラ事件ではオーストラリア軍の監視兵4人も亡くなった。犠牲者を追悼し平和を祈念するランタン・ウォークに多くの市民が参加 ©瀬戸内海放送
カウラ事件ではオーストラリア軍の監視兵4人も亡くなった。犠牲者を追悼し平和を祈念するランタン・ウォークに多くの市民が参加 ©瀬戸内海放送

コロナ禍であぶり出された人命の軽視。差別を生みやすい社会。自殺者の多さ…。今だからこそ、カウラで起きたことを振り返りながら、伝えられるものがあるのではないか。満田監督はそう考えた。

満田 今の人たちが自分に引き寄せて何を考えられるか。その材料を提供すればいいと考えて、構成をだいぶ練り直しました。日本人が同調圧力に弱いと言われても、「みんなそんなこと分かってるよ、でもどうしようもないんだよ」という反応があるかもしれない。でも少しでも、ふと立ち止まって考えるきっかけになればいいなと。

満田監督が大学生の時、フランス人の講師から最終授業で聞かされた素朴な疑問に、目を開かされたという。「日本人は歩行者用の信号で車が1台も来ないのになぜ止まって待つんだ?」

満田 田舎の高校から都会の大学に行った僕にとって、ものすごい解放感をもたらす言葉でした。教室から出て青空が広々として見えたことを思い出しました。自分が属している狭い集団、学校のクラスだとか、会社だとか、ママ友の会だとか…。その中で自分の言いたいことが言えず、声の大きい人や周りの空気に流されて悩んでいる人がいるとしたら、この映画から何かヒントが見つかるかもしれない。世間の枠から外れたら生きていけないなどと思い込まず、逃げてもいいと思ってほしいですね。

事件後の捕虜収容所。捕虜たちは毛布を掛けて鉄条網を乗り越えようとし狙撃された ©瀬戸内海放送
事件後の捕虜収容所。捕虜たちは毛布を掛けて鉄条網を乗り越えようとし狙撃された ©瀬戸内海放送

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

©瀬戸内海放送
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作品情報

  • 監督:満田 康弘
  • 撮影:山田 寛
  • 音楽:須江 麻友
  • 製作:瀬戸内海放送
  • 配給:太秦 
  • 製作年:2021
  • 製作国:日本
  • 上映時間:96分
  • 公式サイト:https://www.ksb.co.jp/cowra/
  • 8月7日(土)より、ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開

予告編

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