映画『湯徳章―私は誰なのか―』:日台のはざまで生き、散った命が問う「歴史の真実」
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日本人の血を引く知られざる英雄
台湾南部、台南市の中心部に7本の主要道路が放射状に交わる円形広場がある。日本統治時代は「大正公園」、その後「民生緑園」と呼ばれたが、1998年に「湯徳章記念公園」と改称された。
広場には湯徳章(1907–1947)の胸像が立つ。日本人の父と台湾人の母のもと日本統治下の台湾に生まれ、戦時中に日本で猛勉強して司法科と行政科の国家試験に合格。帰台後は弁護士、政治家として活動した。

湯徳章紀念公園に設置された湯徳章の胸像 © 2024角子影音製作有限公司
だが、湯徳章とは何者かを問うと、地元住民でさえ、誰もが答えられるわけではないようだ。1947年にこの場所で公開処刑され、長い間その経緯について語ることがタブーとされてきたのだ。近年ようやく名誉が回復され、2014年に命日の3月13日が台南市の「正義と勇気の記念日」に制定、23年には広場に通じる目抜き通りの一区間が「湯徳章大道」と命名された。
映画『湯徳章―私は誰なのか―』は、親族や歴史家、ジャーナリストらの証言をもとに、湯徳章の知られざる人物像に迫るドキュメンタリー。その40年の生涯をたどりながら、日本統治から国民党独裁体制を経て現在に至る台湾の激動の歩みを浮かび上がらせる。

二・二八事件後、臨時軍事法廷で行われた裁判を再現した場面。鄭有傑(チェン・ユウチェー)が湯徳章を演じた © 2024角子影音製作有限公司
二・二八事件とは何か
台湾の現代史を語る上で避けては通れないのが「二・二八事件」だ。湯徳章の処刑もまた、その渦中で起きた。第二次世界大戦終結から1年半後の1947年2月28日、台北で発生した当局への抗議デモがたちまち全土に拡大すると、騒乱は武力によって鎮圧され、多数の死傷者を出した。
黄 銘正 二・二八事件の要因は、50年にわたる日本統治を経験した台湾社会に、中国から来た体制が突然入り込んだことにありました。その結果、市民と当局が激しく衝突したのです。台湾には整った法制度とこれを執行する機関があり、法を守る市民がいた。一方で中国本土の社会制度は、十分に機能していなかった。大きく異なる2つの社会を無理やり1つにしようとすれば、激しい動揺が起こるのは避けられない。その表れの1つが二・二八事件だったのです。
終戦後、日本から中華民国政府(国民党政権)に施政権が移った台湾では、新体制への失望と不満が高まっていた。日本人が引き揚げた後、台湾の土地や産業、金融などの資産は、大陸から乗り込んできた「外省人」にほぼ占有された。
物資が不足して物価は高騰、企業の倒産が相次ぎ、失業も増加した。北京語が公用語となり、学校や職場で日本語はもちろん台湾語の使用も禁止された。元から台湾にいた「本省人」は、公共機関の重要なポストに就くこともできず、蔓延する汚職に耐えかね、新たな支配者層の横暴に怒りを爆発させたのだった。

二・二八事件直前の1946年、湯徳章は台南市人民自由保障委員会の首席として、警察が起こした不祥事に対し「民主立憲国家の恥」と激しく糾弾する書状を送った © 2024角子影音製作有限公司
黄 政府は、抗議運動を共産党の扇動やマフィア、そして日本の「遺毒」(日本統治が遺した害悪)のせいにして、責任を回避しました。一方で台湾人には、法治と自治の精神があった。やがて各地の有力者らが「二二八処理委員会」を組織し、政府との交渉を通じて、事態の収拾を試みたのです。
当時、弁護士だった湯徳章も処理委員会の一員だった。台南市分会の治安責任者に選ばれ、市長候補にも推挙された。
だがそのわずか数日後、蔣介石の援軍が大陸から到着したのを機に、陳儀行政長官は態度を一気に硬化させ、新たに戒厳令を発令。処理委員会も解散させた。以来、数週間にわたって、日本統治時代に高等教育を受けた指導者層が次々と投獄され、多くは拷問を受け、処刑された。

湯徳章の死刑執行を報じた新聞記事。「台南暴徒坂井徳章」と日本名で記した © 2024角子影音製作有限公司
湯徳章も3月11日に逮捕され、すぐさま臨時軍事法廷で裁かれた。このとき裁判官は「坂井徳章」と日本名で呼び、「政府は戦争に負けた日本人を温情で帰国させたのに、なぜ帰国しないのだ」と詰め寄った。そのわずか2日後、湯徳章は処刑されてしまう。
それから約40年にわたる国民党の恐怖政治(白色恐怖)の下、二・二八事件に関わる言論は封じ込まれた。台湾が民主化を果たした1992年になってようやく事件の再調査が行われ、その3年後から被害者への賠償が始まった。現在のように2月28日が台湾の法定祝日となったのは1997年以降のことだ。
台湾の未来のために
このように台湾は、日本統治下の50年、それから戦後の50年と激動の世紀をくぐり抜け、民主化の時代を迎えた。いまも中国との緊張関係は続く。戒厳令下(1949~87年)に生まれ育った両監督は、こうした複雑な歴史をどう捉え、映画を撮ろうと考えたのか。意外な答えが返ってきた。
連 楨惠 正直に言って、最初は二・二八事件について関心がなかったし、湯徳章が誰かも知らなかった。ただ彼の人物と生涯には興味を引かれました。まず彼の父親はなぜ日本から台湾にやってきたのか。父親は警察官でしたが、1915年に台南で起きた抗日武装蜂起(タパニ―事件)で殺されてしまいます。その息子も30数年後、新体制下で殺される。孫(徳章の養子)は、その悲しみをどう乗り越えて成長し、自分の人生を歩んだか。この一家三代の物語が、台湾近現代史そのものを語っている。そこに魅力を感じたのです。

湯徳章の養子、湯聰模(トゥン・ツォンボ)とその娘、雅清(ヤーチン) © 2024角子影音製作有限公司
黄 もともと歴史の勉強はそんなに好きじゃなかった。僕は1970年生まれですが、主に学校で教わったのは中国の歴史でした。自分たちの生活とはほぼ関係なかったんです。だから歴史を扱う上で考えたのは「歴史=生活」という視点でした。過去を語るだけではなく、撮影した2020年前後の台湾を記録したいと思った。50年後にはそれが歴史になるのですから。
この考えにしたがって、ドキュメンタリーは、歴史学者の視点で組み立てた論証よりも、ジャーナリストやアマチュア歴史家への取材を通じた新たな資料の発見や、親族と知人がたどる記憶を軸に構成されていった。
「歴史の真実」にたどりつくのは難しい。だからこそ慎重に事実を積み重ねていかなくてはならない。連監督は「白色恐怖」の時代に体験した「情報操作」を振り返る。1979年、雑誌「美麗島」が世界人権デーに合わせて主催したデモ活動で、警官隊と衝突が起き、主催者らが投獄された「美麗島事件」だ。
連 当時、私は小学生で何も知らなかった。学校の先生からは「国家転覆を企んだ暴徒」と教わりました。それが事実でないと分かったのは大人になってからです。彼らは台湾の民主化のために尽力した人たちだった。自分が受け取った情報が真実とかけ離れていたのを知りました。それは私にとって、とても大きな教訓だったのです。
黄 間違った情報に触れていても気付かないことがあります。重要なのは興味を持ち、自分で調べて、真相にたどりつくことです。だからこの映画でも、複雑な歴史を掘り下げるよりも、観客の関心を引くことに重点を置きました。ユーモアを交え、軽いトーンで受け取りやすい形にしたのです。

二・二八事件の混乱で各紙が休刊する中、唯一休まず発行された中華日報の紙面を調べるジャーナリストの楊淑芬(ヤン・シューフェン) © 2024角子影音製作有限公司
台湾で歴史の話をすれば、どうしても政治の話になってしまうと黄監督は言う。そして台湾で政治の話をすれば、必然的にアイデンティティーの問題へと結びつく。
黄 1945年8月に日本の統治が終わったとき、台湾人はこれから自分たちがどこへ向かうのか、実はそれほどはっきりした考えを持っていなかった。ただ、中国が戻ってくることをある意味で歓迎していたと思います。でも1年半後に二・二八事件が起き、未来がどうなるのか本当に分からなくなった。私は湯徳章の物語を通じて、未来の台湾人たちが「歴史の真実」を知り、そこからより多くの思考や選択肢を持てるようになってほしいと願っています。
最後に、日本でこの映画が公開されることへの期待を語ってもらった。
連 この映画を通して、かつて台湾と日本が1つの時代を共有していたことをあらためて理解できると思います。私の祖父母はみんな日本語世代で、そういう共通の過去を生きてきた人たちなんです。特に若い世代に観てもらえたらうれしい。自分たちの歴史をもっとよく知りたいと思う人が増えてきていると感じていますから。
黄 いま台湾と日本はとてもいい関係にありますよね。どうしてそんな支え合うような関係が築かれたか、その経緯や背景をもっと知ることができれば、夜市やタピオカミルクティーだけじゃない台湾が見えてくると思うんです。
インタビュー撮影:花井智子
取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・撮影:黃 銘正 連 楨惠
- プロデューサー:連 楨惠
- 出演:鄭 有傑 ほか
- 監修:栖来 ひかり
- 配給:太秦
- 製作年:2024年
- 製作国:台湾
- 上映時間:93分
- 公式サイト:thngtek-chiong.com
- 2026年2月28日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
予告編
バナー写真:映画『湯徳章―私は誰なのか―』二・二八事件の犠牲となった弁護士・湯徳章(1907-1947) © 2024角子影音製作有限公司






