2回のお代替わりを見つめて

シリーズ・2回のお代替わりを見つめて(10)退位礼と即位の儀式:貫かれる天皇3代の思い

社会 皇室

202年ぶりの天皇退位により、「令和」の時代が始まった。先の陛下(上皇さま)の退位と、新陛下の即位のお言葉に共通しているものがある。昭和天皇が終戦の翌年の初めに発した「天皇の人間宣言」だ。「天皇は国民とあり、信頼と敬愛で結ばれている」というお考えが3代の陛下に貫かれている。

最後まで国民に感謝された上皇さま

在位30年余の先の陛下が2019年4月30日、皇居で国の退位の儀式「退位礼正殿の儀」に臨まれた。最後のお言葉は約1分間半と短かったが、国民への深い感謝を述べられた。

「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」

憲政史上初の退位となったが、多くの国民に支持され、象徴天皇のお務めを全うされた陛下ならではのお言葉だった。約300人の参列者の中には、涙を流す人もいた。陛下は式を終えて退室する際、参列者に一礼された。国民のみんなに向かって、最後の挨拶をされているようだった。

「退位礼正殿の儀」に臨まれる天皇、皇后両陛下。お二人の前に、三種の神器の剣と璽(じ)などが置かれた=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」(時事)
「退位礼正殿の儀」に臨まれる天皇、皇后両陛下。お二人の前に、三種の神器の剣と璽(じ)などが置かれた=2019年4月30日、皇居・宮殿「松の間」(時事)

男性皇族の急減を実感した「剣璽等承継の儀」

翌5月1日午前零時、平成から令和に改元した。長い間、改元は天皇崩御に伴うものと思い込んでいたので、新しい時代をなんの悲しみもなく迎えるのは、少し不思議ではあった。

皇位継承の最初の儀式は、皇位の証しとして伝わる「三種の神器」の剣や曲玉(まがたま=璽)などを受け継ぐ「剣璽等承継の儀」。前日まで先の陛下の玉座だった前に新陛下が立たれ、時代が替わったことを実感した。

しかし、式の映像を見て多くの国民が驚いたのは、新陛下に続く参列皇族がわずかお二方だったことである。国の儀式のため、政府の前例踏襲の判断で、参列皇族は皇位継承資格のある成年の男性と限定したので、秋篠宮さまと、上皇さまの弟の常陸宮さまだけとなった。30年前のこの儀式の参列者は6人だった。男性皇族の急減が、男系天皇に限る現制度の見直しを迫っている。また、女性皇族の参列を認めない国の儀式を今後も続けるのかは、きちんと検討すべき課題だ。

安倍晋三首相らが出席して行われた新天皇陛下の「剣璽等承継の儀」=2019年5月1日、皇居・宮殿「松の間」(時事)
安倍晋三首相らが出席して行われた新天皇陛下の「剣璽等承継の儀」=2019年5月1日、皇居・宮殿「松の間」(時事)

次の世代でただ一人の男子皇族、秋篠宮家の悠仁さまが通う中学校の机に刃物が置かれていた事件が、直前の4月26日に発生した。犯人は「刺そうと思った」などと自供。将来の皇位継承に大きな影響を与える可能性もあっただけに、背筋が寒くなる事件だった。

「常に国民を思い」と述べた新陛下

5月1日の2番目の国の儀式は「即位後朝見の儀」。新陛下が国民の代表と会い、天皇として初めてのお言葉を述べられた。白いロングドレスで、頭にティアラが輝く新皇后さまら、女性皇族方も参列。両陛下が一夜にして皇太子夫妻の時より大きく見えた。

「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」。2分足らずの短いお言葉に、陛下の熱い決意が込められていた。

先の陛下を見習って国民に寄り添い、戦後から続く象徴天皇を継承する覚悟は、前回の上皇さまの時のお言葉によく似ている。そして、その原点は、昭和天皇が敗戦から5か月後、1946年の年頭に発した「天皇の人間宣言」として知られる「新日本建設に関する詔書」にあった。

長い戦争が敗北に終わり、国民はうちひしがれて混乱しているが、「天皇は国民と共にあり、常に喜びと悲しみを分かち合いたい。天皇と国民は、常に相互の信頼と敬愛で結ばれている」と述べている。そして、天皇と国民の結びつきは、天皇が現人神(あらひとがみ)だとする架空の観念に基づくものではない、と続く。敗戦直後、昭和天皇は国家再建のため、すでに象徴天皇の原型を思い描かれていた。

上皇さまは、最後の「退位礼正殿の儀」で、「人間宣言」の中にある「(天皇と国民の)信頼と敬愛」という言葉を使われた。また、新陛下も「人間宣言」にある国民を思う気持ちを、「即位後朝見の儀」で述べられた。こうして、戦後から続く象徴天皇3代の「常に国民を思う」連携がみごとに成立したと、筆者は考えている。

一般参賀に14万人

重要な皇位継承儀式を終え、5月4日、即位を祝う一般参賀が皇居で行われた。東京都心の最高気温が24.8度となる暑い日だったが、平成以降では今年正月に次いで2番目に多い14万1000人余が訪れた。

陛下は6回のお出ましで、5回目以降は予定のお言葉に「このように暑い中、来ていただいことに感謝いたします」と付け加えられた。お人柄を感じさせる気遣いだった。黄色のロングドレス姿の皇后さまも笑顔で、何度も参賀者に手を振って応えられていた。

即位を祝う一般参賀で、手を振られる天皇、皇后両陛下と皇族方=2019年5月4日、皇居(時事)
即位を祝う一般参賀で、手を振られる天皇、皇后両陛下と皇族方=2019年5月4日、皇居(時事)

読売新聞が同3日に発表した世論調査によると、「今の象徴天皇のままでよい」と答えた人が78%。また、朝日新聞が4月にまとめた世論調査では、「皇室に親しみを持っている」との回答が76%で、同社調査では過去最高になった。安定した皇室支持の中で、令和は順調なスタートを切ったといえる。

「三種の神器」と天照大神

30年前、1989年1月の平成の皇位継承儀式については、この連載6回目の「新年宮中行事:悲しみに包まれた30年前」で書いたので重複を避けたい。

今回の皇位継承儀式でも登場して注目された「三種の神器」について、当時の取材メモなどを見ながら記していく。天皇の正統性を万世一系といわれる血統のほかに、形あるもので示したのが神器だ。

日本神話を記した古事記や日本書紀から要約すると、皇祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が孫のニニギノミコトを天上界から地上界に送る(天孫降臨)際に授けたのが、「三種の神器」とされる鏡、剣、曲玉。天照大神は特に鏡について、「私の御魂と思って祀るように」と指示した。ニニギノミコトの子孫が初代の神武天皇とされている。

こうして、皇居の宮中三殿の中央にある「賢所」には天照大神が祀られ、「三種の神器」の鏡が納められている。天皇や皇族が今も即位、退位、結婚など重大事には、まず賢所に拝礼、報告されるのはこのためだ。また、剣と曲玉は天皇のお住まいの御所に保管されている。

昭和天皇の終戦までの半生を描いた児島襄の大著「天皇」(文藝春秋社刊、全5巻)。その第1巻「若き親王」に、昭和天皇がご自分の立場を自覚し始めた頃の興味深いエピソードが記されている。学習院初等科2年生の時(明治42年=1909年)のことだ。

≪学習院から帰る途中、沿道には通りすがりの市民たちが並び、裕仁親王に敬礼するのが恒例だった。侍従が「どうして宮さまばかりに最敬礼をいたすのでしょうか」と質問すると、裕仁親王は即座に「天照大神の子孫だからです」と返答されたという。(一部簡略)≫

昭和天皇は人間宣言で、ご自分が神であることは明確に否定した。だが、「天照大神の子孫として祖先を敬い、熱心に宮中祭祀を行って、国家と国民の安寧や繁栄を祈られてきた」と侍従たちは語っていた。

新憲法下で、皇室の宮中祭祀は天皇の私的行為とされ、祭祀の担当者や費用はけじめをつけて、天皇家の私費(内廷費)から支出されている。上皇さまも宮中祭祀はきちんと行うが、国民に負担をかけないよう、私費で行って来た。天照大神を祀る伊勢神宮に退位報告のため、4月に「三種の神器」の剣璽を伴って参拝をされたが、両陛下(当時)の交通費などは内廷費が充てられた。

新陛下は即位直前の2月の記者会見で、「古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに,それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います」と述べられている。「三種の神器」を側に置き、時には平安朝の古式装束で宮中祭祀に臨み、祈られる。それも長い歴史を誇る天皇の実像である。

(2019年5月13日 記)

バナー写真:「即位後朝見の儀」でお言葉を述べられる新天皇陛下=2019年5月1日午前、皇居・宮殿「松の間」(時事)

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