スポーツジャーナリストが見た五輪とTOKYO2020

「しびれた前夜祭」、88年ソウル大会の濃い思い出-山本浩の五輪の風景(1)

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1988年のソウル五輪は、2回連続のボイコット問題で揺れたモスクワ、ロサンゼルス大会を経て、当時の東西両陣営が久しぶりにそろった対決の場だった。スポーツ大国同士のぶつかり合いとプロ化の波が一気に高まった中での大勝負。その上、夏の五輪に現場で携わるのは初めてだったから、気持ちの上ではずいぶんと気合いが入っていた。

張りきった初の五輪取材

キャリアで言えばアナウンサー経験13年目で年齢35歳。なんとなく放送のありようがわかり始めたという年代に相当する。当時のパスポートを見ると、9月17日に開会式が行われるというのに既に8月25日に成田を出発しソウルに入っている。この時代、まだ試験放送だが、衛星第一放送が完全自主編成になったこともあって、NHKでは早い段階から五輪情報番組を設定していたのだ。私は韓国に入るとすぐに午後6時からのデイリー番組に対応することとなった。

五輪本番を前にして、前夜祭が行われるのは珍しくない。ソウル大会でもNHKは前夜祭を取り込んだ特番を編成。ただでも人手が足りない現地のこと、取材にニュースにと飛び回っていた私にも声が掛かり、イベント現場からのリポーターを拝命した。

夕方近くになってソウルの中心を流れる漢江のコンサート会場に赴くと、河川敷の市民公園は十万人規模の観客であふれかえっている。そこに簡易な柵で囲って有料入場者だけを入れた仮設のスタンドがしつらえられていた。午後7時半からの生放送を前に夕方から現場でリハーサルを繰り返していたのだが、雲行きがあやしくなったかと思うとやがてぽつりぽつりと雨が降り出した。

放送は予定通りに始まった。カメラがソウルの中継現場に切り替わったのを合図に、簡単な挨拶をして周囲の雰囲気を描写。それからややあって、仕掛け花火用のケーブルが四方八方に張り巡らしてある空き地を横切りながら、有料入場者がぎっしり座った仮設スタンドに向かった。

この日のメインイベントは、日本と韓国のスター歌手による共演だ。日本からは西城秀樹。それまで禁じられていた日本の歌詞が公の舞台で初めて歌えるようになったのは地元ではよく知られていた。持ち歌は「傷だらけのローラ」。韓国は、チョー・ヨンピル。「釜山港へ帰れ」は日本でも相当はやった歌だから、記憶されている方も少なくないだろう。

ハプニング続き

コンサートが始まる直前、五輪を前にした市民に一言二言声を聞かせてもらうつもりで私は行動を開始した。ところが、しゃべりながら歩くうちにどうもマイクを持つ手がしびれ始める。「睡眠不足のせいなんだろう」と思いながら、客席前に到達。さあいよいよカメラに向き直ってと思った瞬間どうにもしびれが我慢できなくなって、マイクを持ち変えることにした。ところが、今度は左手がしびれ始めたのだ。こうなるともう、話している内容がしどろもどろになってくる。

そのうちマイクのコードが引っかかったようになって気になったのを、コネクターごと掴んで引っ張ろうとした瞬間だった。両の手に電気が走るような痛みを感じたのだ。この様子をカメラ越しに見ていた技術の担当者が慌てて飛んできて「マイクを離せ!」と鋭い一言。私は思わずマイクを放り出すことになった。なんとマイクコードを延長させるためにつないだコネクターの金属部分が、仕掛け花火の点火に使う裸電線の上に接触しそのせいで電気が手元のマイクにまで届いていたのだった。差し出してもらった乾いたタオルでマイクを握り直すと、改めてインタビューを終えた。

それからしばらく仮設スタンドの横で演奏を聴いたところでコンサートは終了。その雰囲気も覚めやらぬうちに今度は、仮設のスタンドから立ち上がろうとした人たちが雪崩を打ったようにこちらに倒れかかってくる。チケットを手にできないまま、スタンドの後ろで歌手の声だけを聞いていた人たちが、大きなパワーで仮設スタンドを押し倒してしまったのだ。

雨が強まる中で怒号や悲鳴を交えて混乱は収まる気配がない。やがて、暴徒化させてはならないとでも思ったのか、地元の警察官が大挙して群衆を追い散らし始める。気がつけば暗闇の中で、大捕物にも似た大混乱が始まった。明日は大事な開会式。私たちは、雨にぬれながら這々(ほうほう)の体で会場を後にしたのだった。

写真:ガッツポーズする男子競泳の鈴木大地選手(時事通信)

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