スポーツジャーナリストが見た五輪とTOKYO2020

見えないカレンダーで戦う、コロナ禍を乗り越えて-山本浩の五輪の風景(6)

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新聞のスポーツ欄が日ごとに小さくなっている。テレビはテレビで、スポーツ番組の中にアーカイブスから取り出す過去の名勝負が増えてきた。新型コロナウイルスは、「見るスポーツ」「見せるスポーツ」までも厳しい状況にさらしている。

引きちぎれたカレンダー

それにしても、「終わりが見えない」のが「始められない」もどかしさを伴うことを、これほどはっきり意識させられたことがあっただろうか。思い返せば私たちの周りのイベントはこれまでずっと、始めたら終わることを想定して組まれてきた。

スポーツも、スケジュールあって初めて自分の目標を設定し、モチベーションを維持し、なお優劣を決定することを繰り返してきた。そんなサイクルが、世界に波及したパンデミックによって瞬く間にフリーズしたかと思うと、私たちをナビゲートするはずの行事カレンダーはバラバラに引きちぎられてしまった。

3月24日、競技スポーツ界の懸案だった東京五輪の延期が表明された。これによって、アスリートとその周りの世界にある種の安堵(あんど)感が生まれたのには誰もが気づいているだろう。世界各国の競技団体やスポーツ組織のサイトを見れば、2021年に実施するとの国際オリンピック委員会(IOC)の発表を、それなりに好意的に受け取った様子が見て取れる。

それでもスポーツ界には問題が山積している。五輪の開催に至るまでに、既定の大会、イベントを実施することができるかどうか定かでないからだ。対戦相手を前にして勝敗を競うことで得られるものは少なくない。試合の感覚、戦術眼、コンディションのチェック、相手の分析。勝負の場を用意することの重要性は分かっていながら、スポーツ組織もおいそれと一歩は踏み出せない。会場の確保に始まってスポンサーの契約、放映権の締結など、解決すべきいくつもの課題にどう手をつけたものか判断できないでいる。

こうした状況下、組織員会は4月16日にIOCとのテレビ電話会議を開催し、いくつかの原則を確認した。それによれば、「サービスレベルの水準を最適化・合理化する施策を検討する」こと、また「コスト削減と延期のもたらす影響について評価と議論をする」としている。これから先の方針を示しはしたものの、個別の大会の期日を推薦できる状況ではないことを表わしている。

問われる柔軟性

報道を見返してみれば、新型コロナウイルスに関して初めてニュースが伝えられたのは、昨年の大みそかのことだった。年をまたいで元日には、新国立競技場でサッカーの天皇杯決勝戦。来たるべき東京五輪のシーンを脳裏に重ねる人もいたに違いない。東京五輪は、招致に成功したあと国立競技場の建設やエンブレムの決定に関して一度はつまずきながら、持ち前の手際の良い仕事ぶりでなんとか本番に向けて準備を整えてきた。日本の持ち味である時間をきっちり守ろうとする姿勢あってのことだった。

日本のスポーツ現場の時間厳守精神は徹底している。集合時間に遅れないのはもちろんのこと、ここぞという場面で早めの対応をよしとするところがある。スケジュール作り、選手の選考、会場の決定。時間にゆとりを持つことが、万全を期すためには欠かせないと考える思想が行き届いている。これこそが、IOCがたびたび日本を評価する「開催能力」を裏で支える重要な行動様式なのだとも言える。

時間厳守でしかも早めの対応。日本の大事にしてきた振る舞いが、しかし今度ばかりは日本人選手の足を引っ張るかもしれない。「聞いてないよ」「もっと早く教えてくれ」。あらかじめ決められたスケジュールをもとに自分を調整するのは得意でも、突然の変更にアジャストするのをそれほど得意としない。

そんな日本の選手を何人も見てきたことがあるからだ。五輪が予定どおり1年後に開催されるとしたならば、いずれは行われる事前の競技会の数々。1カ月、2カ月前に知らされた競技団体からの連絡で、にわかに自分をきっちり合わせられるのか。そうした大会は運営にえてして行き届かないところが生まれがち。それでも十全の力を発揮できるのか。

生命を脅かすウイルスを前に自分を律する強い心を保つ。ぼんやりとかすんでいる1年後に向けて、何が起こっても対応できるような心と体の準備をする。今回の状況は、五輪を目指す私たち一人一人に静かで忍耐強く、しかも息の長い戦いを要求している。

バナー写真:新国立競技場は待っている(時事通信)

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