NHK武田真一アナウンサーに聞く(前編):大阪から感じる日本の底力

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東日本大震災や熊本地震、改元と、日本の報道の“顔”としてニュースを伝え続けてきた、NHKアナウンサーの武田真一さん。この春、長年勤めた東京を離れ、大阪から情報を発信する立場になった。“脱東京”して考える放送の在り方や、災害報道への思いとは――。

武田 真一 TAKETA Shin’ichi

1967年熊本県生まれ。90年NHK入局。熊本放送局や松山放送局、沖縄放送局の勤務を経験。2008年から9年間『NHKニュース7』キャスター、その後21年春まで『クローズアップ現代+』キャスターを務めたほか、東日本大震災や改元、選挙など多くの特別番組を担当。21年4月から大阪拠点放送局に異動し、『ニュースきん5時』『列島ニュース』などのキャスターを担当している

―13年間の東京勤務を経て、この春から大阪に異動されて番組を担当されています。初の大阪生活はいかがですか。

コロナ禍、そして緊急事態宣言もあり、まだ自宅と会社を行き来してばかりですが、それでもちょっとしたところに発見があります。たとえば東京で「渋谷」といえばかなり広いエリアが該当しますが、大阪はひとつひとつの町が細かく、ワンブロック歩けば地名が変わっていくので歩いていても楽しいですし、私は方向音痴なので、町が碁盤の目のように作られていることにはずいぶん助けられています(笑)。

インタビューに応じる武田真一アナウンサー、取材前後に感染防止に注意して撮影した。撮影:NHK
インタビューに応じる武田真一アナウンサー、取材前後に感染防止に注意して撮影した。撮影:NHK

それから東京は新宿や池袋など大きなターミナルごとに特徴があり、人々の年代や属性も分かれている印象があるのに比べて、大阪は梅田や心斎橋など人が集まる場所にはたいていアーケード街が作られ、おしゃれな洋服屋さんの隣に昔ながらのお店があったりして、人の営みが分断されることなく続いているところにも違いを感じます。引っ越してくるまでは大阪も東京も似たような大都市だろうと想像していましたが、まったくそうではなかった。新しい暮らしにときめいています(笑)。

90歳のOLに学んだ、人生の「自己決定」

―新しい番組について、教えてください。

毎週金曜日の夕方に、「ニュースきん5時」という大阪発、全国向けの番組を放送しています。まだ始まったばかりですが、日本各地にこれほど豊かな暮らしがあったのかと毎回驚かされてばかりです。

4月の放送では、大阪府から京都の綾部市にIターンしてきた男性が他の移住者の方々と協力して醤油づくりの会社を立ち上げ、地元に暮らしを創り上げていく様子をお伝えしました。また熊本地震から5年のルポでは、被災者同士が新たにつながって地域の魅力を発信していく過程を追いかけています。

私自身、90歳になっても現役の総務課職員として働く女性に大阪でお話を伺いました。何か特別な仕事をされているわけではありませんが、日々仕事や世界の動向について考え、映画や本に触れて自身の在り方を問い直して向上心を持って働き続けた結果、60年が経っていたといいます。日常の1日が何かニュースになるわけではないのですが、積み重ねられてきた日常の重みに学ぶことも多く、心を大きく動かされました。

「ニュースきん5時」に出演する武田真一アナウンサー(中)、小籔千豊(右)、石橋亜紗アナウンサー(左)、撮影:NHK
「ニュースきん5時」に出演する武田真一アナウンサー(中)、小籔千豊(右)、石橋亜紗アナウンサー(左)、撮影:NHK

みなさんに共通しているのは、生き方を誰かに指示されるのではなく、自分で考え、自分で決めていること。生き方の「自己決定」です。私自身はこれまで毎日満員電車に揺られて職場に通い、与えられたミッションのために、ときにはもがきながらも組織の中で一生懸命働くことを普通だと思ってきました。でもそれは一つの価値観でしかなかったと、この番組で出会った方々の生き方を見て実感しています。

いま、コロナによって私たちの生活は大きく変わり、従来の価値観や生き方、社会の在り方が大きく問われています。都会で当たり前とされてきた暮らし方に、行き詰まったり疑問を感じたりしている方もいらっしゃるかもしれません。日本各地で暮らす方々のありようを大阪から発信することで、これからの時代を生きるヒントのようなものを一緒に探していけたらと願っています。

―ずっと報道の第一線でニュースを伝え続けている武田さんでも、まだまだ驚くことがあるのですね。

むしろ、驚いてばかりです(笑)。東京のスタジオからニュースを伝えるということは、例えてみると、鳥の目のように高い位置から世界や日本、社会を見渡す視点でした。その後、今春まで「クローズアップ現代+」を担当し、もう少し地べたに近いところから具体的な人々の営みを伝えてきたつもりですが、それでも大企業や政府など、世の中の最先端の動きに注目することが多かった。大阪に来て“隣に住んでいる人がどういう生き方をしているのか”に興味が湧いてきましたし、私自身の視点も変わっていく予感がしています。

昼間は「列島ニュース」のキャスターとして、日本各地の情報を伝えています。この年齢になっても知らない野菜や花、鳥の話題が毎日、どんどん出て来るんですよ。先日は霜で柿が枯れ、大きな被害が出ているというニュースが鳥取県から届きました。ニュース7でもニュースウオッチ9でも取り上げられないような話題ですが、地元にとっては重大なニュースです。ただそういうところに、実は日本の豊かさや多様性が潜んでいる。これまでなんてもったいないことをしていたんだろうと後悔しています(笑)。

インフォメーションからコミュニケーションへ

―大阪への異動が決まられたとき、「東京から日本を眺めることに慣れ切っています」とおっしゃっていました。実際に大阪から日本を眺めてみてどんなことを感じていますか。

大阪も大都会で、NHKという大きな組織で働いていることも変わりません。東京と同じ感覚で生活しようと思えばできてしまう。大事なのは、せっかく大阪にいるのだから、ものごとをより客観的に、外側から見る意識を自分が常に持ち続けることだと思っています。これまでは報道やマスメディアも“東京発”が当たり前で、日本各地の視点に立って考える姿勢が足りませんでした。

「クローズアップ現代+」を4年間放送して痛切に感じたのは、多様性の大切さです。そもそも多様である人間ひとりひとりの生き方が、そのままの形で大切にされる、まさにダイバーシティ&インクルージョンな社会を目指したいと、この4年間ずっと考えてきました。大阪に来て日本の多様性を実感する毎日を送るなかで、ここにこそ、今後の日本を支える底力があると確信しています。

―武田さんご自身は熊本県のご出身で、5年前の熊本地震の際には、NHKスぺシャルの中で「熊本県は私のふるさとです。ふるさとを思うと、胸が締め付けられます」「一緒に災害を乗り越えましょう」と語りかけられたことも話題になりました。

あれは実は、苦肉の策だったんですよ。熊本地震は震度7という大きな揺れに2回襲われていて、番組を準備しているさなかに2回目の地震が起きました。阿蘇大橋が崩れ、大規模な土砂災害が発生するという状況に、考えてきた放送内容を見直さざるを得なかったのですが、放送時間は迫っていて取材をやり直す時間はありません。

「私たちに何ができるだろう?」とスタッフと話し合うなかで出てきたのが、たとえ今は十分な取材はできなくても、NHKはこれからもみなさんと共にあり、被災地をしっかり見ていくつもりだという、“我々の姿勢”を伝えようという考えでした。それがあの言葉になっています。

口にしてみて、自分でも大きな発見がありました。2011年の東日本大震災をきっかけに、「いのちを守る放送」はコミュニケーションでなければならないと考えてはきましたが、熊本地震の際にこうして自分の気持ちを表現してみたら、大きな反響をいただけた。「どこどこで震度〇の地震がありました」とか、「警報が出ています」と情報を伝えるだけではなく、放送する側として気持ちや態度をはっきり表現し、視聴者の方への誓いを立てて努力をしていく、つまりインフォメーションからコミュニケーションへの変化こそ、災害報道で本当に大切だと実感したのがこの熊本地震です。この時はその後徹底的に取材を重ね、1週間後には充実した内容でNHKスペシャルを放送することができました。(後編に続く

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