「和紅茶」ルネサンス物語:世界最高峰に挑む

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日本国内で「和紅茶」が好評を博している。1971年の外国産紅茶の輸入自由化で国産紅茶は衰退したが、21世紀の今、復活を遂げているのだ。独自の進化を続ける和紅茶は、国産ウイスキーやワインと同じように海外でも注目を集めている。

セカンドフラッシュが紅茶に向く

「紅茶を製造するのは6月の10日から20日ころまでのわずかな期間です。二番茶で紅茶を作っています」。日本有数の茶産地、佐賀県嬉野(うれしの)市嬉野町にある中島緑茶園の社長、中島浩敏さん(62)はこう語る。

中島緑茶園では、緑茶はすべて新茶で、5月から摘む「一番茶」で作る。紅茶は一番茶を摘んでから40~45日後の「二番茶」を原料にした方がいい味が出るという。紅茶も緑茶も烏龍(ウーロン)茶も、発酵度が違うだけで、同じ茶の木(学名:カメリア・シネンシス)の葉から作られる。緑茶は不発酵茶、烏龍茶は半発酵、十分に発酵させたのが紅茶だ。

世界三大銘茶のひとつ、インドのダージリン紅茶には春の一番摘み(ファーストフラッシュ)と夏の二番摘み(セカンドフラッシュ)があることはよく知られている。中島緑茶園では二番茶で作った紅茶を「うれしの紅茶」のブランドで販売している。

嬉野市のシンボル「大茶樹」(国指定天然記念物)は樹齢350年と推定されている(2023年7月15日、嬉野町)
嬉野市のシンボル「大茶樹」(国指定天然記念物)は樹齢350年と推定されている(2023年7月15日、嬉野町)

温泉地でもある嬉野町は、茶栽培では600年の歴史を誇る。地元特産の紅茶は「うれしの茶交流館チャオシル」の喫茶コーナーでも楽しめる。「優しい香りとほのかな甘みが特徴で、砂糖を入れずにストレートでおいしい」がキャッチフレーズだ。

「嬉野紅茶」を楽しむ小城(おぎ)羊羹の老舗、村岡総本舗の村岡安廣社長。和紅茶は和菓子とも相性がいい(2023年7月15日、嬉野市の「うれしの茶交流館チャオシル」)
「嬉野紅茶」を楽しむ小城(おぎ)羊羹の老舗、村岡総本舗の村岡安廣社長。和紅茶は和菓子とも相性がいい(2023年7月15日、嬉野市の「うれしの茶交流館チャオシル」)

1990年代からルネサンス始まる

「和紅茶」とは、日本で栽培された茶葉を使って加工した国産紅茶を指す。「地紅茶」、「日本紅茶」などと呼ばれることもある。

その歴史は150年ほど前にさかのぼる。明治政府は1874(明治7)年、「紅茶製法書」を各府県に配布した。外貨獲得のための国策として紅茶の生産・輸出を奨励したのである。輸出産業の花形だった時代もあったものの、戦後の紅茶輸入自由化で国産紅茶はほぼ姿を消した。

和紅茶づくりが本格的に再開されたのは1990年代からだ。全国の緑茶生産者が次々に紅茶に挑戦した。現在では北は宮城県など東北地方から南は九州・沖縄県まで各地に広がっている。

田中哲著『もっとおいしい紅茶を飲みたい人へ』(2023年3月31日発行)によると、和紅茶の年間生産量は推定で100~200トンと、輸入が大半の日本の紅茶消費量の1%程度にすぎない。とはいえ「緑茶ができるほとんどの県で有名な生産者が自信作を生み出しており、海外の品評会で表彰されるほど」になっている。

今年5月には全国の茶が集まる静岡茶市場(1956年開業)で、国産紅茶の初入札があった。日本産紅茶は名実ともに復活した。令和の今、“和紅茶ルネサンス時代”を迎えているのである。

「うれしの紅茶」は東京にも進出

嬉野で110年続く農家の三代目、中島社長の人生は和紅茶再生ストーリーと重なっている。佐賀県立武雄高校卒業後、静岡県にある「国立茶業試験場」で2年間学んだ。嬉野に帰ってから、非農家出身の千津子さんと結婚、夫婦で茶業にまい進した。紅茶生産にも乗り出し、今や4ヘクタールの茶園を経営している。

転機は1997年だった。東京ドームでほぼ毎年開催されるイベント「テーブルウエア・フェスティバル」に地元の仲間とともに『喫茶うれしの』を出展、嬉野茶を直接販売する道を開いた。出展はその後も続けた。今年2月1日、筆者は東京ドームでの同フェスティバルを訪れたが、喫茶コーナーのメニューには「うれしの紅茶」も健在だった。

四代目は社長の次男、中島佳祐さん(30)。若手生産者を中心に設立された「うれしの紅茶振興協議会」(三根直樹会長)の一員として、さらなる品質の向上、ブランドの確立に取り組んでいる。嬉野での和紅茶再生物語のバトンは確かに引き継がれつつある。

四国の新世代は「沢渡茶」を演出

「外国産の紅茶に比べ、渋みが少なく、ほのかな甘みがあります。香りもよく、女性に人気がありますが、スイーツだけでなく、実は和食にも合うんです」

高知県吾川郡仁淀川(によどがわ)町にあるカフェ「茶農家の店あすなろ」の店長、岸本実佳さん(40)は、自社ブランドの和紅茶「香ル茶(かおるちゃ)」の魅力をこう紹介する。

「茶農家の店あすなろ」の岸本実佳店長(2023年7月21日、高知県仁淀川町)
「茶農家の店あすなろ」の岸本実佳店長(2023年7月21日、高知県仁淀川町)

仁淀川町の沢渡(さわたり)地区は、知る人ぞ知る古くからの「土佐茶」の産地。“仁淀ブルー”で有名な清流、仁淀川の渓谷には、山の急斜面に這(は)いつくように茶畑が広がっている。しかし、高齢化で茶農家は減るばかり。茶畑は荒廃しかけていた。

実佳さんは1982年生まれの夫、岸本憲明さんと高知市内で暮らしていた。しかし、夫婦は沢渡の美しい段々茶畑の風景を守りたいと、一念発起で夫の祖父の茶農家を継ぐことを決意、2004年に娘とともに仁淀川町に移住した。憲明さんは日鉄鉱業系の地元企業で働きながら、祖父からノウハウを学び、移住から7年後に専業農家になった。

仁淀川沿いの沢渡地区の急斜面の茶畑風景(2023年7月21日、高知県仁淀川町)
仁淀川沿いの沢渡地区の急斜面の茶畑風景(2023年7月21日、高知県仁淀川町)

憲明さんは現在、株式会社ビバ沢渡の代表取締役、実佳さんはカフェ事業部の部長だ。今でこそ「沢渡茶」は知名度があり、緑茶、ほうじ茶など品ぞろえも豊富で、ネット販売もしている。だが、生産から加工・販売まで手掛けるようになるまでは相当の苦労があった。

カフェ「あすなろ」は2018年にオープンした。高台のテラス席からの眺めは絶景だ。実佳さんは「海外からもSNS(交流サイト)で知ったというお客さんがいらっしゃいます。台湾、香港、中国など断然アジア系が多いですが、コロナ禍前は欧米からの観光客も来ました」と話す。

和紅茶も味わえるカフェ「あすなろ」のテラス席からの眺めは絶景(2023年7月21日、高知県仁淀川町)
和紅茶も味わえるカフェ「あすなろ」のテラス席からの眺めは絶景(2023年7月21日、高知県仁淀川町)

和紅茶専門店、入門書も続々と登場

東京・新宿区の果物専門店「新宿高野」はフルーツパーラーが人気だが、実は紅茶販売の老舗でもある。1973年、新宿本店に「インディア・ティーセンター」を開設、紅茶専門店ブームの先駆け的な存在となった。インド、スリランカ産などに加え、今年になって本店内に「有機和紅茶」のコーナーも設けられた。鹿児島県産「べにふうき」、鳥取県産「べにひかり」を取り扱っている。

新宿高野の有機和紅茶コーナー(2023年6月24日)
新宿高野の有機和紅茶コーナー(2023年6月24日)

ずばり和紅茶専門店を標榜(ひょうぼう)しているのは、佐賀県佐賀市柳町に店を構える「紅葉(くれは)」。旧長崎街道沿いの築100年の古民家を改造し、2001年に開業した。店長の岡本啓(おかもと・ひろし)さんは1973年福岡県生まれ。トラック運転手から転身した異色の経歴だ。岡本さん自ら全国各地の生産者を訪ね、「自分の舌で味わい厳選した国産の紅茶」を販売している。

佐賀市内の和紅茶専門店「紅葉」(2023年7月15日)
佐賀市内の和紅茶専門店「紅葉」(2023年7月15日)

岡本さんは2013年5月、『和紅茶の本』を上梓した。全国に拡大している和紅茶の選び方から美味しい淹(い)れ方まで伝授している。今秋には2冊目の著書『和紅茶ペアリング』を発売する予定だ。

2019年10月には藤原一輝監修『ニッポンの地紅茶《完全ガイド》』が出版された。全国141の茶園・製茶場・生産組合などが販売する450種類以上の国産紅茶を網羅、カラー写真入りで紹介している。

和紅茶を扱う専門店は首都圏をはじめ各地で続々と登場、最近はペットボトルも生まれている。アサヒ飲料は2022年4月、鹿児島県産茶葉100%の新ブランド「和紅茶 無糖ストレート」(500ミリリットル)を発売した。このほか「さしま和紅茶」(茨城県)や「伊勢の和紅茶」(三重県)など地元ブランドのペットボトルも珍しくない。一時は壊滅状態だった国産紅茶が百花繚乱(りょうらん)のごとく復活してきていることを象徴している。

和紅茶、地紅茶に関する書籍と製品の数々
和紅茶、地紅茶に関する書籍と製品の数々

“テロワール”で茶の世界一に輝く

令和の和紅茶は格段の進化を遂げている。2022年10月、英国の茶認定機関「UKティー・アカデミー」がロンドンで初開催した国際品評会で、ある日本の紅茶が、緑茶・烏龍(ウーロン)茶・白茶など各種の茶約300銘柄の中で世界一に輝いた。

紅茶部門の「中国・台湾・ミャンマー・ベトナム・日本」ジャンルで金賞、さらには全部門の金賞の中から唯一選ばれるBest In Show(ベスト・イン・ショウ)を受賞したのは、熊本県葦北郡芦北町の茶園、お茶のカジハラの「夏摘みべにふうき」だった。

お茶のカジハラのホームページなどによると、3代目の園主、梶原敏弘さんは1960年生まれ。地元の高校から熊本県立農業大学校に進学、お茶コースを選択した。卒業後、地元に戻り、20歳で就農した。台湾、中国でも修行するなど努力を重ねた。「小さな農家」を自認する梶原さんが農薬・化学肥料を使わずに栽培している山奥の茶畑は「霧も深く、寒暖差があり、空気も水も澄んでいる」。こうした地元特有の環境の中で世界最高峰の紅茶が誕生したのだ。

『テロワール――ワインと茶をめぐる歴史・空間・流通』(昭和堂)
『テロワール――ワインと茶をめぐる歴史・空間・流通』(昭和堂)

ワインの世界では、その地域の土壌や気候などから生まれる味わいの個性を「テロワール」と呼ぶ。赤松加寿江/中川理編『テロワール――ワインと茶をめぐる歴史・空間・流通』(2023年5月31日発行)によると、日本茶も「嬉野茶や八女茶など在来種や少数種を生産し、加工場と集散地が比較的近接している小規模な山間地茶園が今後テロワールを使ったブランディングをさらに推進していくとも考えられる」という。

同書はテロワールの概念に関して「自然と人間の相互作品」とも記述、人間の営みも重要な要素だと指摘している。

和紅茶の復活物語はドラマチックだ。列島の各地域によって大きく異なる日本の四季の移り変わり、小規模経営が多い生産者たちの個性豊かな人生模様、そして生産者と消費者の距離の近さが大きく影響しているのかもしれない。

【「和紅茶」をめぐる歴史年表】

1874年 明治政府、「紅茶製法書」を府県に配布、生産を奨励
1875年 政府、茶業調査のため元幕臣の多田元吉を清国に派遣
1876年 多田元吉ら、インドからアッサム種の種子を持ち帰る
1877年 高知県でインド式紅茶を5000斤(約3トン)生産
1878年 三井物産、日本産紅茶の輸出を本格的に開始
1927年 日本初の国産ブランド「三井紅茶」(現日東紅茶)発売
1971年 紅茶の完全輸入自由化、国内紅茶産業は壊滅状態へ
1993年 紅茶の新品種として「べにふうき」が種苗登録される
2002年 第1回全国地紅茶サミット、鳥取県名和町で開催
2010年 国産紅茶の生産量、推計で100トンを突破
2018年 地紅茶学会設立
2022年 熊本県産の和紅茶、英国での国際品評会で世界一に

バナー写真:中島緑茶園の茶畑に立つ中島浩敏社長=2023年7月15日、佐賀県嬉野市(書影を除き写真はすべて筆者撮影)

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